ホムンクルス

ふみ

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「あたしたちね、地元から逃げるようにして上京したの。閉鎖的な村で、どの家も自分のことしか考えてない。新しいものを嫌って古いものばかり大切にしてた。それが嫌になって逃げたの」
「それで東京に?」
「うん。先に上京していたはる姉が誘ってくれたんだ」
 縋るような目に貫かれて目をそらせない。
「そんな所で一生を終えるより、東京で生まれ変わろうって。そのために一生懸命勉強して大学に受かって、はる姉がいたここに住み始めたの」
 ちーちゃんが言葉を紡ぐ。その表情には嬉しさと寂しさが共存していた。
「嫌な思い出を忘れて、一からやり直したいってはる姉が言ってたから隠してたの。ずっと黙ってて、ごめんなさい」
 ちーちゃんの体が折れ、何かを待っている。とっさに愛らしい頭へ手を重ねた。
「私こそごめんなさい。おしとやかって教えてくれたのに、自分勝手になってしまったわ」
 しっとりした髪の上で右手が滑る。往復するたびに、胸にはびこっていた靄が消えてゆく。
 いつだって私を想う気持ちを信じないでどうするの。ずっとそばにいたちーちゃんを疑うのは間違っている。そんな反省が伝わったのか、ちーちゃんがこちらをうかがうように顔を上げた。
「故郷のことも家族のことも、今はまだ話せないの」
 ちーちゃんの申し訳なさそうな口調に胸が痛む。
「いつか必ず話すよ。それまではあたしを信じて。これも全部はる姉のためなの。お願い」
 縋るような視線を優しく受け入れ、妹のような小さな体を抱き寄せる。シャンプーの甘い香りが鼻孔をくすぐった。
「ちーちゃんがそう言うのなら。でもいつか必ず教えてね?」
「うん。いつか、必ず」
「じゃあ待っているわ。他にも何か話しておきたいことってある?」
「他には……」
ちーちゃんが顎下の傷に触れた。考える時の癖、だろうか。
「本棚と机は自分で掃除するから、それ以外はお願いしてもいい? そうだ。本棚の一番上にあるぬいぐるみには、絶対触っちゃ駄目だからね? 絶対だよ」
 ちーちゃんが指した方へ目を向ける。確かに言う通り、本棚の最上段をウサギのぬいぐるみが陣取っている。どうしてあのぬいぐるみだけウサギなのだろう。何か思い入れでもあるのだろうか。
「それと、あんまり外には出てほしくないかな」
「外? 外出するなってこと?」
 驚きに任せて語気を強くした。ちーちゃんが慌てて「待って待って、話を聞いて」と両手を突きだした。
「あの日は運が良かったけど、次はどうなるかわからないでしょ? 事故に遭わないって確証もないんだし」
「それはそうだけど」
「後遺症で倒れちゃっても大変だよ。先生も、何が起こるか予測できないって言っていたでしょ?」
「そう、ね」
 やり過ぎだという小さな不満を飲み込む。ちーちゃんに悪気はなく、ただ心配しているだけ。それに文句を言う資格はない。
「わかったわ。心配してくれてありがとう」
 不満を隠して笑った。時間がたてば緩和してくれるだろうし、しばらくはおとなしくしておこう。愛してくれているちーちゃんのためにも。
「買いたい物があれば、あたしが大学の帰りに買ってくるよ。休みの日には一緒に出掛けようね」
「ちーちゃんと一緒なら外出してもいいの?」
「もちろん。あたしがはる姉を守るから」
 心強い幼さに小さく微笑んだ。
「はる姉は他に何かある? 気になることとかさ」
「そうね……部屋のことで気になることがあるの」
「部屋?」
 ちーちゃんの反応が少しだけ変わった。いつもならまばたきを繰り返し首をかしげる。だけど今のはあからさまに目つきが変わった。神経質過ぎるだけなのだろうか。
「少しきれい過ぎると思って」
「せっかく掃除したのに文句言うつもり?」
 ちーちゃんがわかりやすく頬を膨らませた。
「それは感謝しているけど、何だか違和感があるの。きれい過ぎるっていうか」
「模様替えをしてすぐだからじゃない?」
 模様替え? 目でそう尋ねるとちーちゃんが首を縦に振った。
「はる姉が新しい本棚とか買ってさ、部屋のインテリアを変えたの。その一週間後くらいに事故に遭ったから、きれいなまま残っているんだよきっと」
 あの妙なきれいさはそのせいか。となると部屋にサボテンと小さな花しかないのも、そういう気分だったから? 今となってはほぼ迷宮入りだけれど。
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