ホムンクルス

ふみ

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「聞きたいことってそれだけ?」
「ええ。何か思い出したらその時に聞くわ」
「りょーかい」
 ちーちゃんがびしっと背筋を伸ばした。
「それじゃあそろそろ寝ようか」
「寝るってまだ九時になったばかりよ?」
「そうだよ?」
 沈黙した二人の間で、ゆったりと時が過ぎていく。それはちーちゃんの「えっ?」という真顔で動きだし、互いに笑みを漏らした。
 小さな部屋に転がる笑い声。これからはここが居場所になるんだ。その嬉しさをかみしめ、まぶたをこするちーちゃんの布団で一緒に眠ることにした。
「それじゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
 明かりを消した中で息遣いが聞こえる。初めての触れ合いに、妙に頭が冴えてしまう。時間が早過ぎるせいもあるけれど、いまだに恋人という距離感に慣れていないのが大きな原因だった。
 ずっと恋人に戻ろうと努めてきた。ちーちゃんのいいところを見付けて好きになり、悪いところに気が付いて受け入れる。私の欠けた世界に一刻も早くちーちゃんを刻みたい。そう努力はしてきたつもりだった。だけど結果は散々。
 肩を並べているだけで胸のざわめきが止まらない。ちーちゃんの穏やかな顔、右手をぎゅっと握る小さな手、音も匂いも何もかもが、言い表せない感情になって思考をかき回す。
 思わず頭を振ると、右肩にちーちゃんの手が触れた。
「はる姉、眠れないの?」
「ええ。起こしちゃった?」
 暗闇の中で枕が擦れる音が聞こえる。
「まだ眠くないならおしゃべりでもする? とりあえず電気つけるね」
 真っ暗な部屋が弾けたように光に包まれた。体を起こせば、ちーちゃんが嬉しそうに笑っている。
「こうやって横になった後で起きて話したり、コンビニにお菓子を買いに行ったりしてたんだ。懐かしいなあ。はる姉との生活、すっごく楽しかったんだよ」
「そうなの?」
「うん」
 ちーちゃんが目を細めた。
「大学であったことを話したり、テレビを見ながら一緒に笑ったり。休みには買い物とか遊びに行ってさ。はる姉がよく、勉強する暇がないって困ってたよ」
「もしかしてそのせいで二浪しているんじゃない?」
「それは、まあ、どうだろうね」
 気まずくなったのか、頭から掛け布団を被るちーちゃん。おかしくって「冗談よ」と笑うと、ぶすっとした顔を見せてくれた。こういうやり取りを経て、私たちは一つになったんだ。
「何か心配ごと?」
 こちらを見つめる瞳に息をのむ。無意識のうちに、言葉の端々に暗いものが漏れていたらしい。
「どうしてそう思うのかしら」
「ずっと一緒にいた勘かな。気のせいならいいんだけど」
 小さく笑みを浮かべるのも優しさなのだろう。決して無理には聞かず、話してくれるのをじっと待つ。そこまでして歩み寄ってくれたちーちゃんに、これ以上は隠せそうになかった。
「ちーちゃんを好きだったことを、まだ思い出せないの」
 たったこれだけを伝えるのがずっと怖かった。今まで歩んできた思い出を全て忘れたと口にすることが恐ろしかった。尽くしてくれたちーちゃんを傷付けてしまうのを、見たくなかった。
「記憶喪失なら仕方ないんじゃない?」
 やけにあっさりとした返事に、思わず二度見した。
「い、いいの?」
「もう一度好きになってくれればいいよ。それにあたし、結構楽しみなんだ」
 ちーちゃんが白い歯を見せて笑う。そこに悲しげな表情は微塵も見て取れない。
「楽しみって、何が?」
「決まってるじゃん」
 ちーちゃんが顔を、私の鼻先にまで近付けた。
「もう一度はる姉を恋に落とすの。今度はあたしが一目惚れさせてあげるから」
 幼いちーちゃんの年相応の色気。顔に吐息が掛かるたびに体の芯が熱くなる。このままでは何かが起きてしまいそう。
「一目惚れって、初対面じゃないと意味がないのよ?」
 いつも通りの遥を演じるために、冷静さを前面に押し出した。
「そういうの揚げ足取りっていうんだよ。はる姉って、まだまだお子ちゃまだね」
「はいはいそうね。ほら、もう眠りましょう」
 枕元にあったリモコンで明かりを消し、掛け布団で全身を覆った。ちーちゃんが軽く叩いてくるも、諦めたのかすぐに静かになった。そっと顔を覗かせれば寝息をたてている。眠気を我慢して話を聞いてくれたんだ。
「ありがとう。ちーちゃん」
 そう呟いてまぶたを閉じた。私とちーちゃん。愛はどこかに忘れたけれど、結構お似合いなのかもしれない。
 明日起きたら付き合い始めたきっかけや思い出を聞いてみよう。なるべく早く、ちーちゃんを心の底から愛せるようになるために。
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