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うちでの生活に慣れるのは簡単だった。
寝相のひどいちーちゃんより早く起きる。朝食とお弁当を用意し、見送った後で部屋を掃除する。その後はちーちゃんが帰ってくるまで留守番。たったこれだけ。
しかし退屈には勝てず、退院から二週間ほどたったある日、ついに直訴した。
「海、行ってみない?」
ベッドで横になってだらけるちーちゃん。大学から帰ってすぐに横になるのは正直やめてほしい。そのままお風呂に入ればいいのに。
「この辺に海ないよー」
ちーちゃんはこちらを見ようとはしない。いわゆる、しょうもない動画に夢中になっていた。
「東京湾があるじゃないの」
ベッドに腰掛けてちーちゃんの太ももを軽く叩いた。
「それに電車を使えばどこへだって行けるわ。せっかくの夏なのだから、一度は泳ぎに行きましょうよ」
「じゃああたしが夏休みに入ったら行こうよ。八月一日から夏休みだから来週末まで我慢してね。はい終わりー」
ぶっきら棒な答えに眉間にしわが寄る。しかしまだ我慢できる。
「八月まで待っていたら、ビーチが人であふれ返ってしまうわ。今週末に行って、空いている中でゆっくり楽しみましょう?」
「嫌でーす」
エアコンの風を浴びて大の字に横たわるちーちゃん。ついクッションを投げつけてしまった。
「いたっ。何すんのはる姉」
「私はずっとここで一人なのよ? 息が詰まってしまうわ」
「先週遊びに行ったじゃん」
「それはそれ、これはこれ。とにかく海に行きたいの」
ジェスチャーも交えて口にする。すると返ってきたのはうんざりとした顔だった。
「そんなこと言われても。そうだ。ホームセンターで花でも買う? 玄関先に新しいお花を植えるとか、棚のサボテンを増やすとかさ」
「今はそういう気分じゃない」
ぴしゃりと言い放つとちーちゃんの顔が曇った。まずい、少し強く言い過ぎた。
「ちなみになんだけど、ここなんかどうかしら」
下手に出てスマホを突きだした。渋々体を起こして画面を見るちーちゃん。どうか無事に、夏のおすすめビーチ十選が好奇心に刺さりますように。
「へえ、ふうん。なるほどなるほど」
スマホを左右に動かす。ちーちゃんの顔も左右に揺れる。これはがっちり心をつかんだと見ていい。
「十個もあるんだ。まあまあだね。いいとは思うけど」
くぎ付けになっているくせに何を言っているのだろう。
「今週末に行ってみない? ちょうどちーちゃんの予定も空いているでしょう?」
「空いてるけどさ」
「それなら、ね?」
ちーちゃんはまだ頷かない。何が嫌なのだろう。興味はあるようだし、拒絶するほど嫌ではない。けれど何か葛藤のようなものが見え隠れしている。
「じゃあさ、一つだけ約束して」
ちーちゃんが口元に不安を残しながら口を開いた。
「その中で一番遠いビーチならいいよ」
「どうして?」
「だって知り合いと会ったら面倒じゃん」
どう面倒なのか。そう聞こうとして、かわいい咳払いに邪魔された。
「それとあたしから絶対に離れないこと。一人であちこち行って迷子になったら大変だし」
「ちーちゃんってばお母さんみたい」
くすくす笑ってみせる。
「わかったわ。約束する。指切りもしてみる?」
冗談で小指を出すと、ちーちゃんはすぐに食い付いた。先ほどまでの愁いを帯びた表情は消え去り、年相応、それよりもっと幼い笑顔で結んだ指を上下している。
ちーちゃんが何に不安を覚えたのだろう。知りたいけれど、信じてほしいと言われてからは、あまり踏み込めないでいるのが現状だった。何から何まで話してくれるちーちゃんが隠したいのなら、聞くべきではないのだろう。
とりあえずはその優しさに触れないよう、二人で計画を練った。必要な買い物も平日の午後にちーちゃんと済ませ、ついにその日が来た。
普段ならまだ夢に浸っている六時過ぎにアパートを出る。すでに太陽が照らす道のりを、ふわふわとした中身のない会話を繰り広げながら駅へと向かった。
雲一つない空の下、そのまま何事もなくことが進んだら良かったのに。
寝相のひどいちーちゃんより早く起きる。朝食とお弁当を用意し、見送った後で部屋を掃除する。その後はちーちゃんが帰ってくるまで留守番。たったこれだけ。
しかし退屈には勝てず、退院から二週間ほどたったある日、ついに直訴した。
「海、行ってみない?」
ベッドで横になってだらけるちーちゃん。大学から帰ってすぐに横になるのは正直やめてほしい。そのままお風呂に入ればいいのに。
「この辺に海ないよー」
ちーちゃんはこちらを見ようとはしない。いわゆる、しょうもない動画に夢中になっていた。
「東京湾があるじゃないの」
ベッドに腰掛けてちーちゃんの太ももを軽く叩いた。
「それに電車を使えばどこへだって行けるわ。せっかくの夏なのだから、一度は泳ぎに行きましょうよ」
「じゃああたしが夏休みに入ったら行こうよ。八月一日から夏休みだから来週末まで我慢してね。はい終わりー」
ぶっきら棒な答えに眉間にしわが寄る。しかしまだ我慢できる。
「八月まで待っていたら、ビーチが人であふれ返ってしまうわ。今週末に行って、空いている中でゆっくり楽しみましょう?」
「嫌でーす」
エアコンの風を浴びて大の字に横たわるちーちゃん。ついクッションを投げつけてしまった。
「いたっ。何すんのはる姉」
「私はずっとここで一人なのよ? 息が詰まってしまうわ」
「先週遊びに行ったじゃん」
「それはそれ、これはこれ。とにかく海に行きたいの」
ジェスチャーも交えて口にする。すると返ってきたのはうんざりとした顔だった。
「そんなこと言われても。そうだ。ホームセンターで花でも買う? 玄関先に新しいお花を植えるとか、棚のサボテンを増やすとかさ」
「今はそういう気分じゃない」
ぴしゃりと言い放つとちーちゃんの顔が曇った。まずい、少し強く言い過ぎた。
「ちなみになんだけど、ここなんかどうかしら」
下手に出てスマホを突きだした。渋々体を起こして画面を見るちーちゃん。どうか無事に、夏のおすすめビーチ十選が好奇心に刺さりますように。
「へえ、ふうん。なるほどなるほど」
スマホを左右に動かす。ちーちゃんの顔も左右に揺れる。これはがっちり心をつかんだと見ていい。
「十個もあるんだ。まあまあだね。いいとは思うけど」
くぎ付けになっているくせに何を言っているのだろう。
「今週末に行ってみない? ちょうどちーちゃんの予定も空いているでしょう?」
「空いてるけどさ」
「それなら、ね?」
ちーちゃんはまだ頷かない。何が嫌なのだろう。興味はあるようだし、拒絶するほど嫌ではない。けれど何か葛藤のようなものが見え隠れしている。
「じゃあさ、一つだけ約束して」
ちーちゃんが口元に不安を残しながら口を開いた。
「その中で一番遠いビーチならいいよ」
「どうして?」
「だって知り合いと会ったら面倒じゃん」
どう面倒なのか。そう聞こうとして、かわいい咳払いに邪魔された。
「それとあたしから絶対に離れないこと。一人であちこち行って迷子になったら大変だし」
「ちーちゃんってばお母さんみたい」
くすくす笑ってみせる。
「わかったわ。約束する。指切りもしてみる?」
冗談で小指を出すと、ちーちゃんはすぐに食い付いた。先ほどまでの愁いを帯びた表情は消え去り、年相応、それよりもっと幼い笑顔で結んだ指を上下している。
ちーちゃんが何に不安を覚えたのだろう。知りたいけれど、信じてほしいと言われてからは、あまり踏み込めないでいるのが現状だった。何から何まで話してくれるちーちゃんが隠したいのなら、聞くべきではないのだろう。
とりあえずはその優しさに触れないよう、二人で計画を練った。必要な買い物も平日の午後にちーちゃんと済ませ、ついにその日が来た。
普段ならまだ夢に浸っている六時過ぎにアパートを出る。すでに太陽が照らす道のりを、ふわふわとした中身のない会話を繰り広げながら駅へと向かった。
雲一つない空の下、そのまま何事もなくことが進んだら良かったのに。
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