45 / 97
-5-
45
しおりを挟む
これも全部千夏のせいだ。責任を取ってと伝えたらどんな顔をするのだろう。いつものように冗談言わないでと笑ってほしい。そんないつも通りの毎日はもう訪れない。わかっている。わかっているのに耐えがたい。
それならどうすればいい。簡単だ。私が白沢遥として生き続ければいい。遥が住む屋敷からここまで二駅ほどの距離。こちらから近付かない限りはきっと気付かれないだろう。
私が遥になれば、千夏はそばにいてくれる。代替品としての人生を受け入れれば誰も傷付かない。誰もが笑顔のまま過ごせる。
とても簡単で幸せな選択肢なのに、胸の中は靄がかかったようにすっきりとしない。私の中にまだ、遥への想いが潜んでいるせいなのか。いや、それはない。
胸にかかった靄の奥にある答え。それを見たくなくて、まぶたの上に手を重ねた。少しだけ濃くなった闇の中で、これでいいと何度も自分に言い聞かせた。
ふと、台所の床が軋む音がした。千夏がトイレに起きたのだろうか。そっと耳を澄ませる。引き戸がすれる音が転がった。首を軽く捻ると、千夏が足音を消しながら部屋に入ろうとしているのが見えた。
「ちーちゃん?」
「うひあっ」
猫のように曲がった千夏の背がたちまち伸び、気をつけと言われたように固まった。あの顔は怒られると予想して、慌てて言い訳を考えている顔だ。そんなことがわかってしまう自分がおかしかった。
「ほら、おいで」
掛け布団を片手で持ち上げ、千夏を誘う。千夏は驚いていたものの、そっと胸の中に入り込んできた。
「怒ってないの?」
「どうしてそう思ったの?」
「だって、勝手に部屋に入ったから」
目を合わせずに指遊びをする千夏の頭を撫でた。
「私もちーちゃんの部屋に入って、勝手にマンガをよく読んでいるもの。おあいこよ」
「そうなの? じゃあ、おあいこってことで」
千夏が胸に顔を埋めた。甘い香りが広がる。柔らかい髪の上で手を動かすだけで、私が誰なのか教えてくれる。
私は……遥。千夏が負った傷を癒せるのは私しかいない。これでいい。これでいいの。こうするしかないの。
「はる姉」
千夏が胸から離れてこちらを見上げている。どこか気恥ずかしそうだけど、嬉しさを隠し切れていない顔。
口では何も言わず、そっと唇を重ねた。私が白沢遥になれた証として、この愛を捧げた。
今日だけで何度冷蔵庫を覗いただろう。
そう考えている今だって、午前中に仕上げた愛の結晶を手に取ってしまう。千夏の喜ぶ顔を想像するだけで、にやけた笑みが止まらない。
冷蔵庫を閉め、足取り軽く千夏の部屋で腰を下ろした。冷蔵庫同様に、何度も見上げた掛け時計は四時ちょっと過ぎ。もうすぐ帰ってくる千夏をどうやって驚かそう。
ドアを開けた瞬間に抱き着いて、情熱的にチョコレートを渡そうか。それともバレンタインだと忘れたふりをした後で渡そうか。
まるでいたずらを考える小学生のような、小悪魔な笑みが顔に張り付いて離れない。千夏の気持ち、少しわかったような気がする。
顔を綻ばしていると、スマホから着信音が流れ始めた。期待を寄せてスマホを覗いた。
それならどうすればいい。簡単だ。私が白沢遥として生き続ければいい。遥が住む屋敷からここまで二駅ほどの距離。こちらから近付かない限りはきっと気付かれないだろう。
私が遥になれば、千夏はそばにいてくれる。代替品としての人生を受け入れれば誰も傷付かない。誰もが笑顔のまま過ごせる。
とても簡単で幸せな選択肢なのに、胸の中は靄がかかったようにすっきりとしない。私の中にまだ、遥への想いが潜んでいるせいなのか。いや、それはない。
胸にかかった靄の奥にある答え。それを見たくなくて、まぶたの上に手を重ねた。少しだけ濃くなった闇の中で、これでいいと何度も自分に言い聞かせた。
ふと、台所の床が軋む音がした。千夏がトイレに起きたのだろうか。そっと耳を澄ませる。引き戸がすれる音が転がった。首を軽く捻ると、千夏が足音を消しながら部屋に入ろうとしているのが見えた。
「ちーちゃん?」
「うひあっ」
猫のように曲がった千夏の背がたちまち伸び、気をつけと言われたように固まった。あの顔は怒られると予想して、慌てて言い訳を考えている顔だ。そんなことがわかってしまう自分がおかしかった。
「ほら、おいで」
掛け布団を片手で持ち上げ、千夏を誘う。千夏は驚いていたものの、そっと胸の中に入り込んできた。
「怒ってないの?」
「どうしてそう思ったの?」
「だって、勝手に部屋に入ったから」
目を合わせずに指遊びをする千夏の頭を撫でた。
「私もちーちゃんの部屋に入って、勝手にマンガをよく読んでいるもの。おあいこよ」
「そうなの? じゃあ、おあいこってことで」
千夏が胸に顔を埋めた。甘い香りが広がる。柔らかい髪の上で手を動かすだけで、私が誰なのか教えてくれる。
私は……遥。千夏が負った傷を癒せるのは私しかいない。これでいい。これでいいの。こうするしかないの。
「はる姉」
千夏が胸から離れてこちらを見上げている。どこか気恥ずかしそうだけど、嬉しさを隠し切れていない顔。
口では何も言わず、そっと唇を重ねた。私が白沢遥になれた証として、この愛を捧げた。
今日だけで何度冷蔵庫を覗いただろう。
そう考えている今だって、午前中に仕上げた愛の結晶を手に取ってしまう。千夏の喜ぶ顔を想像するだけで、にやけた笑みが止まらない。
冷蔵庫を閉め、足取り軽く千夏の部屋で腰を下ろした。冷蔵庫同様に、何度も見上げた掛け時計は四時ちょっと過ぎ。もうすぐ帰ってくる千夏をどうやって驚かそう。
ドアを開けた瞬間に抱き着いて、情熱的にチョコレートを渡そうか。それともバレンタインだと忘れたふりをした後で渡そうか。
まるでいたずらを考える小学生のような、小悪魔な笑みが顔に張り付いて離れない。千夏の気持ち、少しわかったような気がする。
顔を綻ばしていると、スマホから着信音が流れ始めた。期待を寄せてスマホを覗いた。
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
せんせいとおばさん
悠生ゆう
恋愛
創作百合
樹梨は小学校の教師をしている。今年になりはじめてクラス担任を持つことになった。毎日張り詰めている中、クラスの児童の流里が怪我をした。母親に連絡をしたところ、引き取りに現れたのは流里の叔母のすみ枝だった。樹梨は、飄々としたすみ枝に惹かれていく。
※学校の先生のお仕事の実情は知りませんので、間違っている部分がっあたらすみません。
義姉妹百合恋愛
沢谷 暖日
青春
姫川瑞樹はある日、母親を交通事故でなくした。
「再婚するから」
そう言った父親が1ヶ月後連れてきたのは、新しい母親と、美人で可愛らしい義理の妹、楓だった。
次の日から、唐突に楓が急に積極的になる。
それもそのはず、楓にとっての瑞樹は幼稚園の頃の初恋相手だったのだ。
※他サイトにも掲載しております
放課後の約束と秘密 ~温もり重ねる二人の時間~
楠富 つかさ
恋愛
中学二年生の佑奈は、母子家庭で家事をこなしながら日々を過ごしていた。友達はいるが、特別に誰かと深く関わることはなく、学校と家を行き来するだけの平凡な毎日。そんな佑奈に、同じクラスの大波多佳子が積極的に距離を縮めてくる。
佳子は華やかで、成績も良く、家は裕福。けれど両親は海外赴任中で、一人暮らしをしている。人懐っこい笑顔の裏で、彼女が抱えているのは、誰にも言えない「寂しさ」だった。
「ねぇ、明日から私の部屋で勉強しない?」
放課後、二人は図書室ではなく、佳子の部屋で過ごすようになる。最初は勉強のためだったはずが、いつの間にか、それはただ一緒にいる時間になり、互いにとってかけがえのないものになっていく。
――けれど、佑奈は思う。
「私なんかが、佳子ちゃんの隣にいていいの?」
特別になりたい。でも、特別になるのが怖い。
放課後、少しずつ距離を縮める二人の、静かであたたかな日々の物語。
4/6以降、8/31の完結まで毎週日曜日更新です。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
春に狂(くる)う
転生新語
恋愛
先輩と後輩、というだけの関係。後輩の少女の体を、私はホテルで時間を掛けて味わう。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
小説家になろう→https://ncode.syosetu.com/n5251id/
カクヨム→https://kakuyomu.jp/works/16817330654752443761
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる