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話している最中だというのに、逃げるってどこへ? 千夏の顔に目を向ければ額に汗が浮かんでいる。汗ばむような気温ではない。ということは冷や汗? 千夏の不自然な行動に苛立ち、ついに怒りが漏れた。
「書かないではっきり言ってよ。千夏のこと、もうわかんないよ」
別段大きな声を出したわけではない。ただ不満の一つをこぼしたに過ぎなかった。しかし千夏は先ほど同様にひどく驚き、何か背後を気にしながら人さし指を唇に当てた。
疑問を口にしようとして、私よりも先に玄関から音がした。かすれたチャイム音と二度のノック。こんな時に誰だろう。
考えているうちにもう一度チャイムが鳴った。とりあえず誰が来たか確かめよう。千夏を問い詰めるのはその後でいい。
足音を立てないように一歩踏み出した。さらにもう一歩進もうとして、千夏に腕をつかまれた。
「出ないで。大変なことになっちゃう。ここにいて。離れないで」
千夏が何かに怯え身を縮こまらせる。私の腕に縋り付いて縫い留めようとしているよう。こうしている間にもチャイムは鳴り続けている。
「誰が来たのか知っているの?」
千夏は答えない。いつの間にか肩が小刻みに震えている。何か、嫌な予感がする。ドアが内と外を隔てているのに、見えない誰かに恐怖せざるを得なかった。
このまま居留守を決め込もう。そう決意した矢先、チャイムが鳴り止んだ。代わりに聞こえたのは鍵が開く鈍い音。身構えるも、ゆっくりと開かれたドアの向こうにいたのは、よく知る顔だった。
「遥?」
美しい黒髪と常に余裕を浮かべた口元。ゆったりとしたワンピースまで、記憶の中にある白沢遥そのものだった。
「叶、ここにいたのね」
遥が入ってきた。真っすぐに、千夏の部屋を目指して。
「ちーちゃん」
遥が怯える千夏に目を向けた。
「叶がどこにいるか知らないって言ったわよね。どうしてうそをついたの。どうして黙っていたのかしら」
「それは、あの」
千夏のかすれた声はすぐに消えた。千夏は何に怯えているの。目の前にいるのは、常に優しく笑顔を浮かべていた遥のはずなのに。
「叶は大丈夫? けがはない?」
千夏の怯えように、私もぎこちなく頷いてしまった。
「良かった。今までどこで何をしていたの? 近所の人たちも行方不明だって大騒ぎしていたのよ。職場に連絡しても突然辞めたって言うし、アパートも解約していたし」
遥の真剣な表情に、ことの重大さに気付いてしまった。
私が遥として過ごしてきた一年は、行方不明になった一年だったんだ。家族はいないものの、お隣さんやスーパーの顔見知り、職場の皆も心配していただろう。それはきっと遥も同じ。見たことのない険しい目つきがそれを物語っている。
「実は、事故に遭っちゃって」
「事故? 大丈夫なの? けがは? こんな所にいてもいいの?」
目を丸くして動揺する遥。この一年の出来事を簡潔に話すと、額に手を当てて頭を振った。
「やっぱりちーちゃんの仕業だったわけね。今日、会って話せて正解だったわ」
「何を話したの?」
「叶の話よ」
遥が目を伏せた。
「ここ最近、叶によく似た人を見掛けるって話を何度も聞いていたの。それに百紅ちゃんから叶と会ったって聞いてね。ちーちゃんにも話を聞きたくて、夕食を取りながら聞いてみたのよ」
最初から会う約束だったんだ。そんな小さなうそでも、今の私にはこたえてしまう。
「会ってみたら挙動不審でね。ちーちゃんが何か隠しているって確信したの」
「それで、どうしてここに?」
「ちーちゃんと別れてから、こっそり後をつけたのよ。そうしたらこのアパートに入っていくものだから、しばらく外でそこの窓を見ていたの」
カーテンの閉じた窓を遥が指さした。
「書かないではっきり言ってよ。千夏のこと、もうわかんないよ」
別段大きな声を出したわけではない。ただ不満の一つをこぼしたに過ぎなかった。しかし千夏は先ほど同様にひどく驚き、何か背後を気にしながら人さし指を唇に当てた。
疑問を口にしようとして、私よりも先に玄関から音がした。かすれたチャイム音と二度のノック。こんな時に誰だろう。
考えているうちにもう一度チャイムが鳴った。とりあえず誰が来たか確かめよう。千夏を問い詰めるのはその後でいい。
足音を立てないように一歩踏み出した。さらにもう一歩進もうとして、千夏に腕をつかまれた。
「出ないで。大変なことになっちゃう。ここにいて。離れないで」
千夏が何かに怯え身を縮こまらせる。私の腕に縋り付いて縫い留めようとしているよう。こうしている間にもチャイムは鳴り続けている。
「誰が来たのか知っているの?」
千夏は答えない。いつの間にか肩が小刻みに震えている。何か、嫌な予感がする。ドアが内と外を隔てているのに、見えない誰かに恐怖せざるを得なかった。
このまま居留守を決め込もう。そう決意した矢先、チャイムが鳴り止んだ。代わりに聞こえたのは鍵が開く鈍い音。身構えるも、ゆっくりと開かれたドアの向こうにいたのは、よく知る顔だった。
「遥?」
美しい黒髪と常に余裕を浮かべた口元。ゆったりとしたワンピースまで、記憶の中にある白沢遥そのものだった。
「叶、ここにいたのね」
遥が入ってきた。真っすぐに、千夏の部屋を目指して。
「ちーちゃん」
遥が怯える千夏に目を向けた。
「叶がどこにいるか知らないって言ったわよね。どうしてうそをついたの。どうして黙っていたのかしら」
「それは、あの」
千夏のかすれた声はすぐに消えた。千夏は何に怯えているの。目の前にいるのは、常に優しく笑顔を浮かべていた遥のはずなのに。
「叶は大丈夫? けがはない?」
千夏の怯えように、私もぎこちなく頷いてしまった。
「良かった。今までどこで何をしていたの? 近所の人たちも行方不明だって大騒ぎしていたのよ。職場に連絡しても突然辞めたって言うし、アパートも解約していたし」
遥の真剣な表情に、ことの重大さに気付いてしまった。
私が遥として過ごしてきた一年は、行方不明になった一年だったんだ。家族はいないものの、お隣さんやスーパーの顔見知り、職場の皆も心配していただろう。それはきっと遥も同じ。見たことのない険しい目つきがそれを物語っている。
「実は、事故に遭っちゃって」
「事故? 大丈夫なの? けがは? こんな所にいてもいいの?」
目を丸くして動揺する遥。この一年の出来事を簡潔に話すと、額に手を当てて頭を振った。
「やっぱりちーちゃんの仕業だったわけね。今日、会って話せて正解だったわ」
「何を話したの?」
「叶の話よ」
遥が目を伏せた。
「ここ最近、叶によく似た人を見掛けるって話を何度も聞いていたの。それに百紅ちゃんから叶と会ったって聞いてね。ちーちゃんにも話を聞きたくて、夕食を取りながら聞いてみたのよ」
最初から会う約束だったんだ。そんな小さなうそでも、今の私にはこたえてしまう。
「会ってみたら挙動不審でね。ちーちゃんが何か隠しているって確信したの」
「それで、どうしてここに?」
「ちーちゃんと別れてから、こっそり後をつけたのよ。そうしたらこのアパートに入っていくものだから、しばらく外でそこの窓を見ていたの」
カーテンの閉じた窓を遥が指さした。
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