ホムンクルス

ふみ

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 声を掛けると、遥は驚いた後で音もなく笑った。いつものおしとやかな笑顔ではなく、年相応のかわいらしい笑み。かつて恋した笑みは変わらずにそこにあった。
「こんな夜更けにどうしたの?」
 体を起こし、とりあえず明かりをつけた。
「まだ起きていたのね。せっかく驚かそうと思ったのに」
 悔しそうに頬を膨らませる遥。いつもニコニコしていたけれど、こんなにも柔らかい表情は初めて見た。
「考えごとをしてたの。もう寝るから心配しないで」
「それじゃあ寝るまで一緒にいるわ」
 聞き返そうとした次の瞬間、遥が布団に潜り込んできた。見慣れない光景に頭が追い付かない。どうして突然、らしくないことばかりするのだろう。
「ちょっと、やめてよ。子どもじゃないんだから」
「二十代なんてまだまだ子どもよ。学生の頃から一人で暮らしていた、叶みたいな人の方が珍しいもの」
「会話のドッジボールになってない?」
「気のせいじゃないかしら」
 呆然とする私と、布団の中で息を潜める遥。何だろうこの時間は。千夏以上に遥がわからない。
「ねえ、迷惑だった?」
 遥が布団から顔を覗かせた。
「そんなことないけど……どうしてそこまで心配するの?」
「どうしてって、叶もおかしなことを聞くのね」
 遥がおかしそうにくすくす笑う。
「幼なじみだから。それだけじゃあ足りない? かわいくて素直な幼なじみだからって言った方がいいかしら」
「いきなり何、ちょっとどうしたの? そこまで心配してくれなくても」
「心配するわよ。叶は大切な人だもの」
 妙な声色にどきりと胸が鳴る。魅了するような視線に吸い込まれてしまいそう。大切な人ってどういう意味? そう聞こうとしても言葉が出てこない。
 聞くのが怖いんじゃない。何というか、胸の奥にある何かが変わってしまいそう。何かがなくなってしまいそう。それが怖かった。
「冗談よ。驚いた?」
 遥が途端に表情を和らげた。
「おどかさないでよ……遥ってそういう顔もできるんだね」
「それ、遠回しに無愛想って言いたいの?」
「違うって。ただ純粋にかわいかったから」
「本当? じゃあ嬉しい」
 布団から顔を覗かせる姿は小さな子どものよう。そのかわいさに向けて、つい手を動かしてしまった。
「あ、ごめん」
 かつて千夏にやっていた頭を撫でる癖。さすがに子ども扱いされるのは遥も不本意だろう。
「いいの。もっと」
 引っ込めた手をつかまれた。強引に遥の頭へと戻される右手。迷いながらもゆっくりと髪を撫でると、喉元を撫でられた猫のように目を細めて嬉しそうな遥。
「遥さ、頭でも打った?」
「これが私の素なの。まさか華道に恋する大和撫子とでも? ずっと一緒にいたのにひどいわ」
 真面目な顔で頷くと、遥が声を漏らして笑った。
「私だってまだまだ甘えたい年頃よ? 例えば、こういう風にね」
 遥がいたずらな笑みをして抱き着いてきた。千夏の時とは違う柔らかさと香りに頭がクラクラする。これがいわゆるフェロモン?
「何、してるの?」
「ハグにはリラックス効果があるらしいわ。どう? 落ち着く?」
「余計に混乱して頭痛がしそう」
「それなら早く休まないと。ほらほら、横になって」
 どうやら出ていく気はないらしい。何を言ってものらりくらりと躱し、こちらが根負けするのを待っているんだ。
 そこに悪意がないのは確か。ただ私を心配しているだけ。人肌が恋しいという個人的な理由もありそうだけど、それは私も一緒。
「今日だけだから」
「ふふ、叶は素直な方がかわいいわ」
 布団に身を預けると、遥が明かりを消して途端に何も話さなくなった。ぼんやりとした輪郭だけの世界で、遥の呼吸が聞こえる。本当に一緒に眠りにきただけなのだろうか。
 そっと遥の顔をうかがった。まつ毛の長さや鼻の高さが目に入るだけで、読み取れることは何もない。
 今は、それでいいのかもしれない。誰かがそばにいるという懐かしい安らぎを感じながら、ゆっくりとまぶたを下ろした。
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