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次の瞬間には、千夏のお母さんがショーケースを迂回して出てきた。両肩をつかまれ前後に揺さぶられる。そういえば行方不明扱いになっていたんだっけ。大事にならないようにうまく説明しなきゃ。
「実は……仕事の出張で、一年ほど北海道に行ってまして」
「出張? 工事会社の事務にも出張があるの?」
しまった。だけどこのまま突っ走るしかない。
「北海道の新しい支店の事務が人手不足でして。新人教育も兼ねて向こうにいたんです」
「千夏は行方不明だって言ってたけど?」
「けんかしたまま出張に出たので、千夏がそう説明したんだと思います。それで今日は、仲直りがしたくて」
「あの子ったらもう……部屋にいるから話してきて。ねえ、久しぶりに夕飯食べてかない?」
千夏そっくりな笑み。ほんの少しの動揺を隠して頭を下げた。
「夜もまた別の用事があって……すみません」
「いいのよ気にしないで。また今度一緒にね」
肩をぽんぽんと叩く千夏のお母さん。「良かった良かった」と繰り返しながら店の奥へと戻って行った。
千夏ともあれくらい話せますように。叶わぬ望みだと知りながら外階段を上り、一番奥の部屋の前に立った。
この向こうに千夏がいる。きっとお気に入りのパジャマを着て寝転がり、スマホを眺めているのだろう。
そこに私が現れたらきっと驚く。目と口を丸く開けて青ざめてしまうに違いない。そうなった千夏にどう声を掛けよう。
急に帰りたくなってきた。だけどこのままだと何も変わらない。何も終われない。どうするかは動いた後で考えればいい。今はただ、勢いだけで進もう。
深呼吸もせず腕を上げ、慎重にドアを叩いた。一回、二回。ドアから一歩下がり『千夏』と書かれたプレートをじっと見守った。
「お母さん? ノックしなくても……」
開いたドアの向こう、千夏と目が合った。緩い表情が徐々に強張る。眠たげな目が大きく開く。せわしなく動く口から言葉は出てこない。
凍ったように固まる千夏の表情は予想どおり。こっちも真っ白になるとは思わなかったけれど。
「千夏」
考える時間を稼ぐためだけに名前を口にした。かつてはわけもなく呼んでいたのに、今となっては理由がないと呼べない。その心の距離が、こんなにも寂しいとは思わなかった。
「叶、ちゃん?」
うかがうような上目遣いに、ほんの少し冷静になれた。千夏はきっと私以上に混乱している。私がしっかりしないと。
「久しぶり。元気にしてた?」
「なんで……ここに」
「長い休みには、いつも実家に帰ってたでしょ」
「それは、そうだけど」
「ちょっと話したくて会いにきたの。体調とか崩してない?」
「一応、うん」
「なら良かった。良かった」
お互いに決して目を合わせようとはしない。こんなことをしに来たんじゃない。そうわかっていても簡単に済ませられない。どうしようかと再び体が熱を帯び始めた。
「ごめんなさい。ほんとにほんとに、ごめんなさい」
千夏が勢いよく頭を下げた。かつての快活さは微塵もない。
その姿を見ても同情の余地はないのだろう。身勝手な恋のために人の人生を奪った。怒りに任せて罵倒しても、千夏はきっと何も言い返さない。自分への罰だと受け止めてくれるはず。
だけどそれをするのは今じゃない。
「話がしたいの」
「話って、何の?」
「いろいろ聞きたいこととか、話したいこともあるの。二人きりで話したい」
「あたし、ちょっと忙しくて。これから用事もあるし」
露骨に嫌がっている。そりゃあそうだ。どう考えても怪し過ぎるもの。私が千夏の立場なら、復讐をしに来たんじゃないかって警戒するだろう。
「実は……仕事の出張で、一年ほど北海道に行ってまして」
「出張? 工事会社の事務にも出張があるの?」
しまった。だけどこのまま突っ走るしかない。
「北海道の新しい支店の事務が人手不足でして。新人教育も兼ねて向こうにいたんです」
「千夏は行方不明だって言ってたけど?」
「けんかしたまま出張に出たので、千夏がそう説明したんだと思います。それで今日は、仲直りがしたくて」
「あの子ったらもう……部屋にいるから話してきて。ねえ、久しぶりに夕飯食べてかない?」
千夏そっくりな笑み。ほんの少しの動揺を隠して頭を下げた。
「夜もまた別の用事があって……すみません」
「いいのよ気にしないで。また今度一緒にね」
肩をぽんぽんと叩く千夏のお母さん。「良かった良かった」と繰り返しながら店の奥へと戻って行った。
千夏ともあれくらい話せますように。叶わぬ望みだと知りながら外階段を上り、一番奥の部屋の前に立った。
この向こうに千夏がいる。きっとお気に入りのパジャマを着て寝転がり、スマホを眺めているのだろう。
そこに私が現れたらきっと驚く。目と口を丸く開けて青ざめてしまうに違いない。そうなった千夏にどう声を掛けよう。
急に帰りたくなってきた。だけどこのままだと何も変わらない。何も終われない。どうするかは動いた後で考えればいい。今はただ、勢いだけで進もう。
深呼吸もせず腕を上げ、慎重にドアを叩いた。一回、二回。ドアから一歩下がり『千夏』と書かれたプレートをじっと見守った。
「お母さん? ノックしなくても……」
開いたドアの向こう、千夏と目が合った。緩い表情が徐々に強張る。眠たげな目が大きく開く。せわしなく動く口から言葉は出てこない。
凍ったように固まる千夏の表情は予想どおり。こっちも真っ白になるとは思わなかったけれど。
「千夏」
考える時間を稼ぐためだけに名前を口にした。かつてはわけもなく呼んでいたのに、今となっては理由がないと呼べない。その心の距離が、こんなにも寂しいとは思わなかった。
「叶、ちゃん?」
うかがうような上目遣いに、ほんの少し冷静になれた。千夏はきっと私以上に混乱している。私がしっかりしないと。
「久しぶり。元気にしてた?」
「なんで……ここに」
「長い休みには、いつも実家に帰ってたでしょ」
「それは、そうだけど」
「ちょっと話したくて会いにきたの。体調とか崩してない?」
「一応、うん」
「なら良かった。良かった」
お互いに決して目を合わせようとはしない。こんなことをしに来たんじゃない。そうわかっていても簡単に済ませられない。どうしようかと再び体が熱を帯び始めた。
「ごめんなさい。ほんとにほんとに、ごめんなさい」
千夏が勢いよく頭を下げた。かつての快活さは微塵もない。
その姿を見ても同情の余地はないのだろう。身勝手な恋のために人の人生を奪った。怒りに任せて罵倒しても、千夏はきっと何も言い返さない。自分への罰だと受け止めてくれるはず。
だけどそれをするのは今じゃない。
「話がしたいの」
「話って、何の?」
「いろいろ聞きたいこととか、話したいこともあるの。二人きりで話したい」
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