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「他にも聞きたいことがあるんだけど、いい?」
千夏は黙ったまま頷いた。
「一人で外に出ていたことも知ってたんだよね。どうして見逃してくれたの?」
「それは、何となく。たまに外出しないと息が詰まっちゃうと思って。変に怪しまれてけんかしたくなかったし」
「遥と会っていた日も、私が近くにいるって知ってたんでしょ? どうして知らないふりをしてたの?」
「あの日はアプリの調子が悪くて、ほんとに知らなかったの。知ってたらはる姉となんか会わないよ」
「……私の職場への退職届、アパートの解約に新契約。新しいスマホに家具に、身分証の偽造まで本当に全部一人でやったの?」
「うん。ネットでやり方を見て頑張った。やり方はもう忘れちゃったけど」
「……最後に見せてくれたあのメモは? 二人きりで話したいってどういう意味だったの?」
「何でだろうね。すごく動揺していたから、どうして書いたのか覚えてないの」
思わず言葉をなくした。こんな調子ならいくら聞いても意味がない。きっと何を聞いても、似たような曖昧な返事が返ってくるだけ。
「何を隠しているの?」
「何って、全部答えたよ」
「あんなの答えなんかじゃない。何となく。調子が悪い。もう忘れた。覚えてない。そう言われて納得できると思う?」
千夏が顔を伏せた。湧いた苛立ちを抑えようと、ソファーに背中を預けて深く息を吸う。
香るコーヒーとタバコのにおい。それに交じって、ずっとお預けになっていたカフェオレの甘い匂いがした。
冷める前にとソーサーごと手に取る。口に運ぶとちょうどいい温度で、一口で半分ほど胃に流し込めた。予想どおり甘いけれど、しっかりとした深いコクも確かに感じられる。
そんな驚きに感情がフラットになったおかげか、先ほどまで感じていた怒りは霧散した。今なら落ち着いて話ができそう。
「あのね、怒っているわけじゃないの」
テーブルに両肘を突いて背を丸めた。
「千夏のやったことは間違っていると思うよ。だけど反省して謝ってくれたし、千夏とこれからも友だちでいたいからさ」
よっぽど意外だったのか、千夏がスローモーションのようにゆっくりと目線を上げた。
「嫌いになったから遠くへ引っ越すんじゃないの?」
「そうじゃないよ」
少し口元を綻ばせた。
「遥の家を出て、一人暮らしに戻るだけ。千夏や遥と縁を切るとか、そういうことは考えてない」
「でも会うのは最後だって……」
「あれはその、何て言うか、そう言えば千夏も話を聞いてくれるかなって。騙したわけじゃないの。ちょっと言葉の綾というか」
手をばたつかせ言い訳を口にするも、千夏は表情を変えなかった。
「そう……なんだ。そっか」
覇気のない視線が、逆再生のようにテーブルの下へと落ちていく。これ以上は何を聞いても無駄だろう。今日は諦めて次の機会を――いや。これだけは先に聞いておきたい。そのために来たと言っても過言ではないから。
「最後に一つだけ教えて」
千夏が曇り空のような瞳をこちらに向けた。
「遥として愛してくれたの? それとも私を愛してくれたの?」
曇り切った瞳は何も映していない。いつだって呼んでくれた口は堅く結ばれたまま。
きっとそれが答えなのだろう。
千夏は私を愛していなかった。
遥というフィルターを愛していたんだ。
千夏は黙ったまま頷いた。
「一人で外に出ていたことも知ってたんだよね。どうして見逃してくれたの?」
「それは、何となく。たまに外出しないと息が詰まっちゃうと思って。変に怪しまれてけんかしたくなかったし」
「遥と会っていた日も、私が近くにいるって知ってたんでしょ? どうして知らないふりをしてたの?」
「あの日はアプリの調子が悪くて、ほんとに知らなかったの。知ってたらはる姉となんか会わないよ」
「……私の職場への退職届、アパートの解約に新契約。新しいスマホに家具に、身分証の偽造まで本当に全部一人でやったの?」
「うん。ネットでやり方を見て頑張った。やり方はもう忘れちゃったけど」
「……最後に見せてくれたあのメモは? 二人きりで話したいってどういう意味だったの?」
「何でだろうね。すごく動揺していたから、どうして書いたのか覚えてないの」
思わず言葉をなくした。こんな調子ならいくら聞いても意味がない。きっと何を聞いても、似たような曖昧な返事が返ってくるだけ。
「何を隠しているの?」
「何って、全部答えたよ」
「あんなの答えなんかじゃない。何となく。調子が悪い。もう忘れた。覚えてない。そう言われて納得できると思う?」
千夏が顔を伏せた。湧いた苛立ちを抑えようと、ソファーに背中を預けて深く息を吸う。
香るコーヒーとタバコのにおい。それに交じって、ずっとお預けになっていたカフェオレの甘い匂いがした。
冷める前にとソーサーごと手に取る。口に運ぶとちょうどいい温度で、一口で半分ほど胃に流し込めた。予想どおり甘いけれど、しっかりとした深いコクも確かに感じられる。
そんな驚きに感情がフラットになったおかげか、先ほどまで感じていた怒りは霧散した。今なら落ち着いて話ができそう。
「あのね、怒っているわけじゃないの」
テーブルに両肘を突いて背を丸めた。
「千夏のやったことは間違っていると思うよ。だけど反省して謝ってくれたし、千夏とこれからも友だちでいたいからさ」
よっぽど意外だったのか、千夏がスローモーションのようにゆっくりと目線を上げた。
「嫌いになったから遠くへ引っ越すんじゃないの?」
「そうじゃないよ」
少し口元を綻ばせた。
「遥の家を出て、一人暮らしに戻るだけ。千夏や遥と縁を切るとか、そういうことは考えてない」
「でも会うのは最後だって……」
「あれはその、何て言うか、そう言えば千夏も話を聞いてくれるかなって。騙したわけじゃないの。ちょっと言葉の綾というか」
手をばたつかせ言い訳を口にするも、千夏は表情を変えなかった。
「そう……なんだ。そっか」
覇気のない視線が、逆再生のようにテーブルの下へと落ちていく。これ以上は何を聞いても無駄だろう。今日は諦めて次の機会を――いや。これだけは先に聞いておきたい。そのために来たと言っても過言ではないから。
「最後に一つだけ教えて」
千夏が曇り空のような瞳をこちらに向けた。
「遥として愛してくれたの? それとも私を愛してくれたの?」
曇り切った瞳は何も映していない。いつだって呼んでくれた口は堅く結ばれたまま。
きっとそれが答えなのだろう。
千夏は私を愛していなかった。
遥というフィルターを愛していたんだ。
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