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もう一度ここに来るとは、夢にも思わなかった。
ちょっぴり古ぼけたクリーム色のアパート。その佇まいはまるでおかえりと告げているよう。たった一年という短い懐かしさがどこか悲しく、階段を上る足取りは重かった。
何度も心打たれた夕日もくすんで見える。あんなに赤くても心には何も響かない。千夏と二人で見た時は――。
とっさに頭を振り、余計な思い出を払い除けた。心に何も浮かべないように、三〇一と書かれた部屋の前に立つ。
かつては赤い実を結んでいたホオズキもすっかり枯れ果て、そこらの雑草と区別がつかない。私がいれば枯れずに済んだのかもしれない。身勝手な後悔をすぐに捨てて、年季の入った緩いドアチャイムを押した。
部屋の中から漏れる、何度も聞いた呼出音。そしてその後で転がるどたばたとした幼い物音。
部屋の中にいれば、勧誘かもしれないから静かに行ってと声を掛けた。外にいれば、その子どもっぽさに笑みをこぼしていた。今となっては緊張しかないけれど。
「あ」
開かれたドアの隙間から聞こえた声。千夏はどこか怯えているようにも見える。けれど向けられた笑顔は、どこか柔らかくなった気がした。
「呼び出してごめんね。予定とか、大丈夫だった?」
「無職の居候に予定なんかあると思う?」
いたずらっぽく笑ってみせた。
「あ、そっか。ごめんなさい」
千夏が気まずそうに顔をそらす。さすがに今のはまずかったか。暗くなった雰囲気を打破しようと「上がってもいい?」と声を掛け、ほぼ一カ月ぶりに、元我が家へと足を踏み入れた。
「なんか、きれいになってない?」
目に留まった台所は、以前とは違って物が少ない。窓際の調味料や水切りかごに置かれた食器の数が減っている。それにいつも買い溜めしてあった大量のお菓子さえも姿を消していた。
「来月には引っ越す予定だから、少しずつ片付けてるんだ。もうここに住む必要もないし」
部屋を見渡す寂しげな千夏。胸に湧き上がる何かを無視して奥へと進む。正面にあるのれんをくぐれば千夏の部屋。左側の引き戸を開ければ、懐かしい光景が――違う。あんなことがあったのだから、いの一番に片付けられているだろう。
「……うそ」
引き戸を開けると何も変わっていない。今も誰かが住んでいるような生活感がそこにはあった。
「そこだけはまだ片付けられないんだ。変、だよね」
振り返れば千夏が寂しそうに笑っている。きっと期待しているのだろう。何か奇跡的なことが起きて、誰かが戻ってくるかもしれないと。
それは遥だった私か、叶である私か。今更考えてもばからしいと頭を振った。
「千夏の部屋、行こうか」
「……うん」
ちょっぴり古ぼけたクリーム色のアパート。その佇まいはまるでおかえりと告げているよう。たった一年という短い懐かしさがどこか悲しく、階段を上る足取りは重かった。
何度も心打たれた夕日もくすんで見える。あんなに赤くても心には何も響かない。千夏と二人で見た時は――。
とっさに頭を振り、余計な思い出を払い除けた。心に何も浮かべないように、三〇一と書かれた部屋の前に立つ。
かつては赤い実を結んでいたホオズキもすっかり枯れ果て、そこらの雑草と区別がつかない。私がいれば枯れずに済んだのかもしれない。身勝手な後悔をすぐに捨てて、年季の入った緩いドアチャイムを押した。
部屋の中から漏れる、何度も聞いた呼出音。そしてその後で転がるどたばたとした幼い物音。
部屋の中にいれば、勧誘かもしれないから静かに行ってと声を掛けた。外にいれば、その子どもっぽさに笑みをこぼしていた。今となっては緊張しかないけれど。
「あ」
開かれたドアの隙間から聞こえた声。千夏はどこか怯えているようにも見える。けれど向けられた笑顔は、どこか柔らかくなった気がした。
「呼び出してごめんね。予定とか、大丈夫だった?」
「無職の居候に予定なんかあると思う?」
いたずらっぽく笑ってみせた。
「あ、そっか。ごめんなさい」
千夏が気まずそうに顔をそらす。さすがに今のはまずかったか。暗くなった雰囲気を打破しようと「上がってもいい?」と声を掛け、ほぼ一カ月ぶりに、元我が家へと足を踏み入れた。
「なんか、きれいになってない?」
目に留まった台所は、以前とは違って物が少ない。窓際の調味料や水切りかごに置かれた食器の数が減っている。それにいつも買い溜めしてあった大量のお菓子さえも姿を消していた。
「来月には引っ越す予定だから、少しずつ片付けてるんだ。もうここに住む必要もないし」
部屋を見渡す寂しげな千夏。胸に湧き上がる何かを無視して奥へと進む。正面にあるのれんをくぐれば千夏の部屋。左側の引き戸を開ければ、懐かしい光景が――違う。あんなことがあったのだから、いの一番に片付けられているだろう。
「……うそ」
引き戸を開けると何も変わっていない。今も誰かが住んでいるような生活感がそこにはあった。
「そこだけはまだ片付けられないんだ。変、だよね」
振り返れば千夏が寂しそうに笑っている。きっと期待しているのだろう。何か奇跡的なことが起きて、誰かが戻ってくるかもしれないと。
それは遥だった私か、叶である私か。今更考えてもばからしいと頭を振った。
「千夏の部屋、行こうか」
「……うん」
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