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顎の傷跡に触れながら、千夏が答えた。目をやる私に見向きもしない。ため息を残して千夏を追い掛けた。
「お茶淹れてくるから、ちょっと待ってて」
部屋に入るなり、千夏が台所へと戻る。カーペットに腰を下ろし、ぼうっと部屋を眺めた。千夏にしてはよく整理されている。私と暮らしている時も、このくらいできていればよかったのに。
「お待たせ。今朝、おせんべい買ってきたんだ」
すぐに千夏が盆を持って戻ってきた。せかせかとお茶とお茶請けを並べる姿はぎこちない。他人行儀な姿に胸を痛めながら、これ以上何かを想う前に口火を切った。
「パスワード、わかった?」
「それは、その」
千夏が何かをためらって口を閉ざした。
パスワードを書いたメモを見付けたから来てほしい。そう言ってきたのは千夏。それが今になって何を迷っているのだろう。
視線を泳がせる千夏に不信感が積もる。あれこれ憶測を飛ばしていると、軽快な音楽が静寂を裂いた。ポケットで震えていたスマホを取り出す。画面を見てみれば『白沢遥』と表示されていた。
「ごめん。ちょっと出てくるね」
返事を待たずに立ち上がり、台所を抜けて外へと出た。
「もしもし、遥?」
――叶、どこにいるの。どうして行っちゃったの。
あいさつもなしに慌てた様子の遥。ここ最近は黙って外に出ていたけれど、それがついにバレたか。
――何も言わずに出て行くなんてひどいじゃない。それに引っ越すのは来月でしょう? どうしてうそをついたの?
「引っ越しじゃなくて、ただ外にいるだけ。用が終わったらちゃんと戻るから」
――今すぐに帰ってこられないの? 私、どうかしていたわ。全部私が悪いの。全部謝りたいの。
「また後で連絡するから。その時に話は聞くよ」
――待って切らないで、お願い。一生のお願いよ。今すぐ叶に会いたいの。帰ってきてくれたら何だってするから。
「もう切るからね。それじゃあ」
スマホの電源を切り、ポケットに仕舞った。どうか今だけは黙っていてほしい。千夏との時間を誰にも邪魔してほしくない。
部屋に戻るも、さっきと風景は何も変わっていない。カーペットを見つめる千夏はまだ、覚悟を決め切れていないようだった。
「誰からの電話?」
ちゃぶ台を挟み、千夏の正面に腰掛けると千夏が口を開いた。
「遥から。黙ってここに来たから、早く戻ってきてって」
「はる姉のうちを出て、ここまでどのくらいかかった?」
「どのくらいって……電車で三十分くらいかな。帰宅ラッシュに巻き込まれて大変だったよ」
ぼうっと掛け時計を見つめる千夏。首をかしげていると、こちらを振り返った際に目が合った。
「それなら急がないと」
「何を?」
「やっと話す決心がついたの。もう後戻りなんかできないだろうし」
千夏が吹っ切れたように笑い、大きく息を吸った。何かが始まる予感がする。様子をうかがっていると真剣なまなざしに体を貫かれた。
「あたし、パスワードは知らないの」
「じゃあどうして呼び出したのよ」
「隠していたことを話したくて。あたしね、はる姉に告白してない。ふられたりなんかもしていないの」
言っている意味が、わからない。こんな時に冗談なんかやめてよと言えれば良かった。けれど瞳の奥で何かを燃やす千夏に、そんな軽口は叩けそうになかった。
「何を言っているの? 事故に遭った私を遥として作り上げようとしていたのに?」
「違う、そうじゃないの」
千夏が首を振った。
「そもそもあの日、別のお願いをしに行ったんだよ」
「お茶淹れてくるから、ちょっと待ってて」
部屋に入るなり、千夏が台所へと戻る。カーペットに腰を下ろし、ぼうっと部屋を眺めた。千夏にしてはよく整理されている。私と暮らしている時も、このくらいできていればよかったのに。
「お待たせ。今朝、おせんべい買ってきたんだ」
すぐに千夏が盆を持って戻ってきた。せかせかとお茶とお茶請けを並べる姿はぎこちない。他人行儀な姿に胸を痛めながら、これ以上何かを想う前に口火を切った。
「パスワード、わかった?」
「それは、その」
千夏が何かをためらって口を閉ざした。
パスワードを書いたメモを見付けたから来てほしい。そう言ってきたのは千夏。それが今になって何を迷っているのだろう。
視線を泳がせる千夏に不信感が積もる。あれこれ憶測を飛ばしていると、軽快な音楽が静寂を裂いた。ポケットで震えていたスマホを取り出す。画面を見てみれば『白沢遥』と表示されていた。
「ごめん。ちょっと出てくるね」
返事を待たずに立ち上がり、台所を抜けて外へと出た。
「もしもし、遥?」
――叶、どこにいるの。どうして行っちゃったの。
あいさつもなしに慌てた様子の遥。ここ最近は黙って外に出ていたけれど、それがついにバレたか。
――何も言わずに出て行くなんてひどいじゃない。それに引っ越すのは来月でしょう? どうしてうそをついたの?
「引っ越しじゃなくて、ただ外にいるだけ。用が終わったらちゃんと戻るから」
――今すぐに帰ってこられないの? 私、どうかしていたわ。全部私が悪いの。全部謝りたいの。
「また後で連絡するから。その時に話は聞くよ」
――待って切らないで、お願い。一生のお願いよ。今すぐ叶に会いたいの。帰ってきてくれたら何だってするから。
「もう切るからね。それじゃあ」
スマホの電源を切り、ポケットに仕舞った。どうか今だけは黙っていてほしい。千夏との時間を誰にも邪魔してほしくない。
部屋に戻るも、さっきと風景は何も変わっていない。カーペットを見つめる千夏はまだ、覚悟を決め切れていないようだった。
「誰からの電話?」
ちゃぶ台を挟み、千夏の正面に腰掛けると千夏が口を開いた。
「遥から。黙ってここに来たから、早く戻ってきてって」
「はる姉のうちを出て、ここまでどのくらいかかった?」
「どのくらいって……電車で三十分くらいかな。帰宅ラッシュに巻き込まれて大変だったよ」
ぼうっと掛け時計を見つめる千夏。首をかしげていると、こちらを振り返った際に目が合った。
「それなら急がないと」
「何を?」
「やっと話す決心がついたの。もう後戻りなんかできないだろうし」
千夏が吹っ切れたように笑い、大きく息を吸った。何かが始まる予感がする。様子をうかがっていると真剣なまなざしに体を貫かれた。
「あたし、パスワードは知らないの」
「じゃあどうして呼び出したのよ」
「隠していたことを話したくて。あたしね、はる姉に告白してない。ふられたりなんかもしていないの」
言っている意味が、わからない。こんな時に冗談なんかやめてよと言えれば良かった。けれど瞳の奥で何かを燃やす千夏に、そんな軽口は叩けそうになかった。
「何を言っているの? 事故に遭った私を遥として作り上げようとしていたのに?」
「違う、そうじゃないの」
千夏が首を振った。
「そもそもあの日、別のお願いをしに行ったんだよ」
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