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激変する日常

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「よろしくお願いします。」

と、にこやかに黒髪の美少年、黒崎 竜生が声をかけてきて、田辺 美香の心臓は今日一で高鳴った。
つい先ほど4回目の失恋をしたとは思えないほどに。
その前の3回も、相手は全て白峰 隼人だ。


「ねぇ!付き合ってよ!」
「前断ったと思うんだけど。」

確かに1回目も2回目も結構ハッキリ断られた。

「気持ち変わるかもじゃん!試しに付き合ってみればさ!
 ねー!何がダメなの?」
「マーシーは田辺の事好きじゃん。」

急なご指名にマーシーこと前橋は焦ってるけど、美香の視線は隼人から動かなかった。
前橋は気の良い奴だし、ニキビ肌さえ治ればそんなに顔も悪くない。
けど、あんまり自慢できる彼氏にはならなそうな普通の男子。
比べて隼人は誰もが羨むだろうカリスマ性を持った別格のイケメンだ。
選ぶなら誰だって隼人だろう。と美香は思う。

「それは前から断ってっし。」
「何がダメなの?仲いいじゃん。」

試しに付き合ってみれば?とまで言ったら前橋が可哀想なのでそこまでで留める隼人。
その気遣いがうっすら感じ取れてはいるが、美香はまだ納得がいかず食い下がる。

「仲はいいけど…そういうのとは違うじゃん。」

美香は答えながら、やっと前橋に視線を向けた。
恋愛対象には到底見れないし、キスとか絶対したくない。

「田辺がマーシーに対して思ってんのと俺の返事は一緒だと思うよ。」
「酷い!」
「えっ、待って、何で酷いの!?俺に対してどう思ってんの美香ちゃん!?」


なんてことがあったのが先々月。
どれだけ押してみても手ごたえが無いし、引いてみたらみたで、隼人からのアクションはなしのつぶてというか、下手したら名前すら忘れられてしまいそうなくらい美香に対して興味関心が無い。
前橋の手前、質問には返事を返している存在。といったところなのだと、薄々自覚している。

それなのに、だ。
隼人は先週の金曜日、熱心にあのピンク色のノートを読んでいた。
ノートには「林 里紗」と書かれていて、内容は分からないけど、文字が全部真っ黒だったから授業の写しではなさそうだった。
そうでなくても、隼人がたまに林さんを見ていることがあったのは知っている。
そして、林さんの方も隼人に恋するような視線を向けていることも。

私をそんな目で見てくれた事は一度もない。
無意識化では自覚していた現実を、先週金曜日の放課後に突き付けられた。

その上での今日の一緒に登校、さらに「初恋の女性探し」。
林さんへの視線は共通の知り合い探しだったと聞いてちょっと安心したけど、直後に現れた「初恋の女性」のレベルが高すぎて、あんな人と今まで比べられていたのか…と諦めて、4回目の失恋を認めた。

そんな散々だったここ数日に、かつて無い程のラッキーな瞬間がやってきたといえる転校生の案内。
美香は意気揚々と教室を出ていった。

「さっき賑やかだったのは何だったの?」

あらかた案内が終わったころに、黒崎が初めて事務的な事以外の質問をしてきて、美香は多少自分に都合よく言い換えながら、かいつまんで説明する。
朝話しかけてきたのは林さんから、という説明は教室を見た時の立ち位置的にかなり無理があったが黒崎は特に指摘しなかった。

「何で事故になったんだろう。」
「ブレーキワイヤーでも切れてたんじゃない?」

事も無げに言う美香に黒崎が

「それって切れてるとどうなるの?」

と尋ねる。

「ブレーキ全然効かなくなるんだよ。
 完全に切れてたらハンドルがべローンってなっちゃうから絶対気付くだろうけど、
 ちょっと繋がってたら多少カスカスするけど気付きにくいし、
 『第九坂』って坂道がだいぶ長い急斜面だから負担大きくて切れちゃったんじゃないかな。」

「えー、すごいな」なんて感心した様子で、朗らかな笑みを浮かべる黒崎。
普段褒められ慣れていないからテンションが上がるのを抑えられない。
自然と口角が上がった。

「自転車とかに詳しいの?」
「え、いや、全然…、けどほら、事故って大体整備不良とかじゃん?」

普通に考えたらかなり根拠のない断定で苦しい言い訳をしてしまったが、

「そうなんだ!知らなかった、本当、田辺さんって物知りなんだね。」

と疑う事もなく褒めてくれる黒崎に、なんでも話せる空気を感じ取った。

「けどブレーキワイヤーってそんなに切れやすいっけ。
 ワイヤーカッターとかじゃ全然切れなかったけどなぁ…」
「えー?そんなはず…」

薄笑いで言い返そうとしていた声が自然と止まった。
さっきまで笑顔だったとは到底思えない、真顔の彼がこっちを見ていた。
息をするのも恐ろしくなる程、冷たい目が自分を見据えている。

「何でブレーキワイヤー切った事があるの?」

「違う」と、何か別の理由を思いつけるほどの余裕がない。
事実、上手くいかない腹いせに林さんの自転車のブレーキワイヤーをペンチで半分切ったのは自分だったから。
反論の余地を与えない、確固たる確信をもって断罪しようとしている黒崎の圧に、後ろめたさのある美香は鯉のように口をはくはくと動かすだけだ。

「どれだけ危険な事をしたか、わかってる?」

完全に油断していた脳に、すぐさま良い言い訳は浮かぶはずもなく。
けど、黒崎は自白や弁解を待ったりはしなかった。
バン!と顔の横の壁に手のひらを叩きつけられて、「ひっ!」と小さく悲鳴をあげる。
声だけは穏やかに、黒崎が告げた。

「彼女に次何かしたら、二度と何もできないように手も足も使えなくするからね?」

驚くほど冷たいその瞳は全く動かないけど、近くで見てはじめてそれがコンタクトだと気付く。
奥にある金色の瞳は何故かより一層の強い恐怖を与えた。
表情筋が死んでいるような、彫像の様な無表情の顔に見据えられて、美香は立っていられなくなり床にへたり込む。

丁度チャイムが鳴って、「じゃあ、先に戻るね。」と言い残して黒崎が去った後も、震えが止まらず、偶然通りがかった教師から声をかけられても動けなかった事から、その日は早退になった。
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