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【7話】恩返し
しおりを挟むアンバーは翌日も、そのまた翌日も、リゼリオの部屋へティーセットを持っていった。
そして彼の肩に手を乗せて、癒しの力を使う。
そんな日々が、一週間ほど続いた。
「毎日魔法をかけてもらってすまないな。負担になっていないか?」
「ご心配なく。そのようなことは、まったくありませんので」
「それなら良いのだが。……君のおかげで、だいぶ仕事を片付つけることができた。ありがとう」
執務机を見てみれば、一週間前には山積みになっていた書類がかなり減っている。
ゴールはもう近いだろう。
気休め程度の力しかない魔法でも、きちんと成果を上げてくれたみたいだ。
「良かったです」
ほんわかした雰囲気が二人を包む。
初対面の時のような息苦しい緊張感は、今はもうどこにもない。
この一週間で、だいぶ打ち解けることができたような気がする。
フランクな関係とまではいかないが、軽い冗談くらいなら言えるほどになっていた。
「聞かせてほしいのだが、どうして君はこんなことをしてくれるんだ。俺を癒したところで、君に得はないだろうに。大聖女として、困っている人を見過ごせない――と、そういうことか?」
「そんなご立派なものではありませんよ。それに今の私は、大聖女ではありません。正しくは、元大聖女です」
得意な顔でアンバーが笑う。
「一言で表すなのら――恩返し、ですかね」
「恩返し? しかし俺は、君に何もしていない。……返されるような恩などないはずだが」
「そんなことありませんよ。リゼリオ様とボールス様には、たくさん感謝しているんです」
視線を斜め上に外したアンバーは、少し遠い目をする。
頭に浮かぶのは、かつての思い出だ。
「私、それこそ決死の思いで魔王を倒したんです。大好きだった仲間たちはみんな殺されて、心が折れそうにもなりました。それでも、人々を救うために、と自分に言い聞かせて戦ったんです。……だから、一言でもいい。ありがとう、と言って欲しかった」
魔王の討伐は、アンバーにとって成さねばならない使命だった。
他人からの感謝が目的ではない。
しかしそれでも、感謝の言葉が欲しかった。
自分のしたことが誰かの役に立った――そんな実感を得たかった。
辛い思いをして成し遂げたことが、少しでもいいから報われてほしかったのだ。
「ですがラーペンド王国に戻ってきた私を迎えたのは感謝ではありません――いっさい容赦のない軽蔑でした。私を見る民の視線は、どこまでも冷たかったのです」
彼らが向けてきた冷たい瞳は、頭の中に焼き付いている。
一生、忘れることはないだろう。
「魔王討伐の手柄を独り占めするために、他の四人を殺害した――民の間では、そんな噂が広まっていました。もちろん私は、そんなことしていません。ただのデタラメです。しかし民は、その噂を真に受けていました」
ゴシップ好きというのはきっと、生まれ持った人間の本能なのだろう。
事実無根の噂を流し始めた人間が誰だかは知らないが、その効果は絶大だった。
「民にとって私は、世界を救ったヒーローではなかった。名声狙いの、強欲な殺人者だったんですよ。人々を守りたくて魔王を討った見返りがこれです……もう、やってられませんよね」
苦笑したアンバーの虚しい笑い声が、部屋に響いた。
大聖女として、自分なりに一生懸命国民に尽くしてきたつもりだ。
けれども国民には、それが伝わっていなかった。
こんな人たちのために、自分は決死の覚悟で魔王を倒した。
そんなことを考えると、本当、最低最悪な気分になる。
「……君の無実を信じてくれる人はいなかったのか? 例えばその……両親とか」
「いいえ。『噂を信じた国民』の中には、私の両親も含まれていたんです」
元々、両親との仲は悪かった。
大きな才能を持って生まれてきたアンバーに、彼らは嫉妬していたのだ。
直接的な暴力を振るわれることはなかったが、常に冷たい態度を取られてきた。
褒められたことは、かつて一度もない。
嫌われているのは最初から分かっていた。
それでも、実の親から殺人者呼ばわりされるというのは、かなり堪えるものがあった。
その一件があったことで、両親との関係はほとんど切れている。
繋がっているのは、書類上の戸籍だけだ。
ベイルに婚約破棄されたこともリゼリオと結婚したことも、両親には知らせていない。
アンバーが今どこで何をしているか、両親はまったく分かっていないはずだ。
こちらから教える気はないし、向こうも知りたいと思っていないだろう。
「……なんという後味の悪い話だ」
「だから、ご縁談の話をいただけて嬉しかったんです。お二人のおかげで、ラーペンド王国との縁を切ることができたのですから」
もし縁談の話が無かったらどうなっていたのだろうか。
国民から白い目を向けられながら過ごす――そんな一生になっていたかもしれない。
あまりにも辛すぎる。
想像するだけでも、不快な気分になってしまう。
「…………アンバー。こんなことを言っても、気休めにしかならないかもしれない」
アンバーの肩に、リゼリオがそっと優しく手を乗せる。
「だが、それでも俺はこう言おう――世界を救ってくれてありがとう」
アンバーの赤い瞳から、一筋の涙がこぼれる。
それを皮切りにして、大粒の涙がボロボロと溢れていく。
それは、ずっと言ってもらいたくて――でも、決して聞くことはできないと、どこかで諦めていた言葉だった。
リゼリオは何も言わない。
縮こまったアンバーの背中に手を添え、優しくさする。
我慢しなくていい。全て吐き出せ。
そう言われているような気がして、涙が止まらなくなる。
その夜。
アンバーが泣き止むまでずっと、リゼリオはそうしてくれていた。
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