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第1話 開室の日
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朝倉真琴がその紙を見た瞬間、最初に浮かんだ感想は、ずいぶん率直だな、だった。
事故物件相談室。
社内掲示の異動辞令には、そうはっきり書かれていた。もう少し言いようがあるだろう、と真琴は思ったが、わざわざ口にするほどの元気もなかった。四月のはじめ、まだ朝の空気は少し冷えていて、出社したばかりのフロアにはコピー機の音とキーボードを叩く音が早くも散っている。その中で自分の辞令だけが妙に浮いて見えるのは、たぶん気のせいではない。
「見た?」
背後から声をかけられ、振り返ると、同期の女性が気まずそうに笑っていた。
「うん」
「なんか……大変そうだね」
「そうだね」
それ以上の言葉は続かなかった。慰めにくいのだろう。真琴だって、どう返すのが正解かわからない。営業成績が悪かったわけではない。目立って何か失敗した覚えもない。けれど、面倒な案件に首を突っ込みがちだとは、前の上司に言われたことがある。
――朝倉さんは、住んだ後の話まで気にしすぎるんだよね。
言外に、それは売上に直接ならない、と言われていたのだと今ならわかる。
案内された先は、本社ビルの端に近い小さな部屋だった。ガラス戸の上に、白いプレートで「住環境対応室」と控えめに書かれている。辞令の文字とはずいぶん違う。どちらが本当の顔なのかは、扉を開ければわかるのだろう。
ノックすると、どうぞ、と落ち着いた女の声が返ってきた。
中にいたのは、短く整えた髪に細い眼鏡のよく似合う女性だった。三十代後半か四十前後。姿勢がよく、机の上には余計なものがほとんどない。資料の束でさえ、なぜかきれいに見えた。
「相馬香澄です。今日からここの責任者。朝倉さんで合ってる?」
「はい。朝倉真琴です。よろしくお願いします」
「よろしく。座って」
真琴が椅子に腰を下ろすと、相馬は辞令の写しを一度だけ見て、すぐ脇に置いた。
「たぶん、名前でいろいろ想像したと思うけど、心霊相談窓口じゃないわ」
「少し安心しました」
「半分だけね」
半分。嫌な言い方だと思ったが、相馬の口調に冗談めいたところがないので、真琴は笑うに笑えなかった。
「うちが扱うのは、入居後の違和感、説明不足の苦情、過去の事故や事件に絡むトラブル、あとは普通の部署が触りたがらない住環境の相談」
「要するに……」
「誰も触りたくない案件の受け皿」
真琴が飲み込んだ言葉を、そのまま相馬が言った。少しだけ救われた気がした。
「売る前の話じゃなく、住んだ後の話が多い。住まいって、契約した時点で終わらないでしょう」
「そうですね」
「でも、会社は終わったことにしたがる。だからここがいる」
淡々とした説明だった。熱意があるのか、諦めているのか、まだ読めない。ただ、嫌々ここにいる人の話し方ではなかった。
真琴が机上の資料に目を落とした、その時だった。相馬の内線が鳴る。短いやり取りのあと、相馬は受話器を置き、真琴へ一枚のメモを差し出した。
「開室祝いみたいなものね。一本目、来るわ」
「今日ですか」
「今日。たぶん、こういう部署は始まる前から待たれてるのよ」
十分後、相談者は現れた。二十代半ばくらいの女性で、紺色のカーディガンの袖を何度も指先で引っ張っている。整った顔立ちなのに、目の下の影だけが濃かった。
応接スペースに案内し、真琴は向かいに座る。相馬は最初だけ同席し、すぐに席を外した。任せるつもりらしい。
「ええと、今日はどういったご相談で」
「こんなこと、不動産会社に言う話かわからないんですけど」
女性はそう前置きしてから、小さく息を吸った。
「隣の部屋、半年前から空室なんです。なのに、夜中の二時十三分になると、インターホンが鳴るんです」
真琴は一瞬だけ、聞き返す言葉を探した。隣室。夜中。インターホン。並べてみると、どう考えても住環境の相談というより怪談に近い。
けれど、目の前の女性は面白半分で話していない。声はなるべく平らにしているのに、最後の一音だけ少し震えていた。
「毎日ですか」
「毎日じゃないです。三日に一回とか、続く時は二日続けてとか……でも時間はだいたい同じで」
「二時十三分」
「はい」
真琴はメモを取りながら、質問を重ねた。管理会社への連絡はしたか、インターホンの故障点検はあったか、隣室へ誰かが出入りした形跡はあるか。女性は、点検は済んでいて異常なしと言われたこと、管理会社には気のせいではないかと言われたこと、眠れなくて最近は耳栓をしていることを話した。
そこまで聞いても、真琴の中ではまだ、原因の見当はつかない。ただ、ひとつだけ、妙に引っかかる言い回しがあった。
「鳴る時、隣の部屋からってわかるんですか?」
「え?」
「たとえば、廊下の向こうとか、下の階とか、そういう感じじゃなくて」
「……わかります。近いんです。あと」
女性はそこで言葉を切り、視線を落とした。
「あと、たまにですけど、鳴る前に……なんていうか、確認されてる感じがするんです」
真琴の指先が止まった。
「確認、ですか」
「うまく言えないんですけど。向こうは空室なのに、こっちが起きてるか、いるか、たしかめてるみたいな……。自分でも変なこと言ってるって思うんですけど」
気のせいですよね、と続けようとしたその言葉を、真琴は遮らなかった。遮らないまま、胸の奥に小さな引っかかりだけが残る。インターホンより、むしろその“確認されている感じ”の方が嫌だった。
話を聞き終えたところで、相馬が資料の束を持って戻ってきた。
「物件情報。隣室は半年前から空室。その前の住人は転落死」
「転落、ですか」
「ベランダから。事故扱い」
相馬は簡潔に言った。相談者の表情がこわばる。真琴はすぐに「まだ関連があると決まったわけではありません」と添えたが、正直、自分の声もあまり落ち着いて聞こえなかった。
「現地は見た方がいいですね」
低い男の声がして、真琴は顔を上げた。いつの間にか入口近くに一人、立っている。背の高い男だった。スーツ姿だが、営業職のような柔らかさはない。短い髪は整っているのに少しだけ乱れていて、目元には寝不足の影がある。手には先ほどの物件資料の追加分らしいファイルがあった。
「黒瀬さん、いたんですか」
「いました」
相馬が軽く顎で示す。
「黒瀬玲司。案件確認と外部照会で動いてる。朝倉さんと一緒に現地入ってもらう」
「よろしくお願いします」
「どうも」
ぶっきらぼうだが、感じが悪いほどではない。黒瀬は資料をテーブルに置き、必要事項だけを口にした。
「隣室の施錠状態、設備の記録、前住人の事故報告、簡単に洗いました。表向きは不審点なし。ただ、半年前の事故のあと、下請け業者の出入りが何回か多い」
「原状回復ですか」
「たぶん。でも、時間帯が少し雑です」
それだけ言って、黒瀬は相談者を見た。
「今夜、立ち会いできますか」
「え、今夜……」
「二時十三分に鳴るなら、その時間に行くのが早いです」
「そんな、すぐ」
「早い方がいいです」
冷たいのではなく、無駄がない。真琴はそう思った。相談者は戸惑っていたが、数秒迷った末に小さくうなずいた。
「……お願いします。もう、ちゃんと眠りたくて」
その言葉だけで十分だった。
面談が終わり、相談者が帰ったあと、真琴は資料をもう一度見返した。空室、転落事故、夜中の呼び鈴。紙の上ではまだ線にならない。それでも、何かが妙に引っかかる。
「気になることありますか」
隣で黒瀬が聞いた。いつの間にか、声の大きくない人だとわかる。
「インターホンもですけど……確認されてる感じ、っていう言い方が」
「わかります」
「わかるんですか」
「誰かが人を怯えさせる時って、音そのものより、先に気配を置くことがあるので」
真琴は少し驚いて、その横顔を見た。黒瀬は特に含みなく資料を閉じる。
「心霊かどうかは知りません。でも、相談者の寝不足は本物です」
「そうですね」
「行きましょう。現地」
夜。最寄り駅から少し歩いた先の二階建てアパートは、駅近のわりに静かだった。外壁は塗り直されていて古びすぎてもいない。ありふれた、一人暮らし向けの建物だ。だからこそ、そこに何かあるとは思いにくい。
相談者の部屋に通されると、室内はきちんと片づいていた。無理に平気な顔をして暮らしている気配があちこちに残っている。ベッド脇の耳栓、コンビニのカフェオレ、閉めたままのカーテン。
「鳴る時、廊下の音とかしますか」
黒瀬が確認する。女性は首を振った。
「わからないです。怖くて、毎回布団かぶってるので」
「鳴る前に気配がするっていうのは」
「本当にたまにです。玄関じゃなくて、壁の向こうに立たれてるみたいな感じで……」
真琴は何気なく壁を見る。白い、何の変哲もないクロス。けれど見ていると、向こう側からこちらをうかがう目線みたいなものを想像してしまい、胸の奥がひやりとした。
まだ何も起きていない。なのに、喉のあたりがわずかに狭くなる。
時計の針は、まだ二時十三分までかなりある。今日は確認だけで終わるかもしれない。そう思った方が楽なのに、真琴の中では別の何かが、静かに目を覚まし始めていた。
帰り際、相談者を玄関まで見送ってから、真琴はふと廊下の向こうへ目をやった。問題の空室の前には、当然ながら誰もいない。共用灯の白い明かりが床を照らしているだけだ。
それなのに、その部屋を見た瞬間だけ、喉がきゅっと締まった。
息が吸いにくい、というほどではない。けれど、足を止めたくなる感じがした。何かがおかしいと体が先に知っているのに、頭の方では理由がわからない、そんな嫌な違和感。
「朝倉さん?」
黒瀬の声で、真琴ははっとする。
「……いえ」
「どうしました」
「なんでも、ないです」
そう答えた声が、自分でも少しかすれて聞こえた。
廊下の先、半年前から空いたままの部屋は、ただ静かにそこにあった。けれど真琴には、その静けさが、誰もいない部屋のものにはどうしても思えなかった。
事故物件相談室。
社内掲示の異動辞令には、そうはっきり書かれていた。もう少し言いようがあるだろう、と真琴は思ったが、わざわざ口にするほどの元気もなかった。四月のはじめ、まだ朝の空気は少し冷えていて、出社したばかりのフロアにはコピー機の音とキーボードを叩く音が早くも散っている。その中で自分の辞令だけが妙に浮いて見えるのは、たぶん気のせいではない。
「見た?」
背後から声をかけられ、振り返ると、同期の女性が気まずそうに笑っていた。
「うん」
「なんか……大変そうだね」
「そうだね」
それ以上の言葉は続かなかった。慰めにくいのだろう。真琴だって、どう返すのが正解かわからない。営業成績が悪かったわけではない。目立って何か失敗した覚えもない。けれど、面倒な案件に首を突っ込みがちだとは、前の上司に言われたことがある。
――朝倉さんは、住んだ後の話まで気にしすぎるんだよね。
言外に、それは売上に直接ならない、と言われていたのだと今ならわかる。
案内された先は、本社ビルの端に近い小さな部屋だった。ガラス戸の上に、白いプレートで「住環境対応室」と控えめに書かれている。辞令の文字とはずいぶん違う。どちらが本当の顔なのかは、扉を開ければわかるのだろう。
ノックすると、どうぞ、と落ち着いた女の声が返ってきた。
中にいたのは、短く整えた髪に細い眼鏡のよく似合う女性だった。三十代後半か四十前後。姿勢がよく、机の上には余計なものがほとんどない。資料の束でさえ、なぜかきれいに見えた。
「相馬香澄です。今日からここの責任者。朝倉さんで合ってる?」
「はい。朝倉真琴です。よろしくお願いします」
「よろしく。座って」
真琴が椅子に腰を下ろすと、相馬は辞令の写しを一度だけ見て、すぐ脇に置いた。
「たぶん、名前でいろいろ想像したと思うけど、心霊相談窓口じゃないわ」
「少し安心しました」
「半分だけね」
半分。嫌な言い方だと思ったが、相馬の口調に冗談めいたところがないので、真琴は笑うに笑えなかった。
「うちが扱うのは、入居後の違和感、説明不足の苦情、過去の事故や事件に絡むトラブル、あとは普通の部署が触りたがらない住環境の相談」
「要するに……」
「誰も触りたくない案件の受け皿」
真琴が飲み込んだ言葉を、そのまま相馬が言った。少しだけ救われた気がした。
「売る前の話じゃなく、住んだ後の話が多い。住まいって、契約した時点で終わらないでしょう」
「そうですね」
「でも、会社は終わったことにしたがる。だからここがいる」
淡々とした説明だった。熱意があるのか、諦めているのか、まだ読めない。ただ、嫌々ここにいる人の話し方ではなかった。
真琴が机上の資料に目を落とした、その時だった。相馬の内線が鳴る。短いやり取りのあと、相馬は受話器を置き、真琴へ一枚のメモを差し出した。
「開室祝いみたいなものね。一本目、来るわ」
「今日ですか」
「今日。たぶん、こういう部署は始まる前から待たれてるのよ」
十分後、相談者は現れた。二十代半ばくらいの女性で、紺色のカーディガンの袖を何度も指先で引っ張っている。整った顔立ちなのに、目の下の影だけが濃かった。
応接スペースに案内し、真琴は向かいに座る。相馬は最初だけ同席し、すぐに席を外した。任せるつもりらしい。
「ええと、今日はどういったご相談で」
「こんなこと、不動産会社に言う話かわからないんですけど」
女性はそう前置きしてから、小さく息を吸った。
「隣の部屋、半年前から空室なんです。なのに、夜中の二時十三分になると、インターホンが鳴るんです」
真琴は一瞬だけ、聞き返す言葉を探した。隣室。夜中。インターホン。並べてみると、どう考えても住環境の相談というより怪談に近い。
けれど、目の前の女性は面白半分で話していない。声はなるべく平らにしているのに、最後の一音だけ少し震えていた。
「毎日ですか」
「毎日じゃないです。三日に一回とか、続く時は二日続けてとか……でも時間はだいたい同じで」
「二時十三分」
「はい」
真琴はメモを取りながら、質問を重ねた。管理会社への連絡はしたか、インターホンの故障点検はあったか、隣室へ誰かが出入りした形跡はあるか。女性は、点検は済んでいて異常なしと言われたこと、管理会社には気のせいではないかと言われたこと、眠れなくて最近は耳栓をしていることを話した。
そこまで聞いても、真琴の中ではまだ、原因の見当はつかない。ただ、ひとつだけ、妙に引っかかる言い回しがあった。
「鳴る時、隣の部屋からってわかるんですか?」
「え?」
「たとえば、廊下の向こうとか、下の階とか、そういう感じじゃなくて」
「……わかります。近いんです。あと」
女性はそこで言葉を切り、視線を落とした。
「あと、たまにですけど、鳴る前に……なんていうか、確認されてる感じがするんです」
真琴の指先が止まった。
「確認、ですか」
「うまく言えないんですけど。向こうは空室なのに、こっちが起きてるか、いるか、たしかめてるみたいな……。自分でも変なこと言ってるって思うんですけど」
気のせいですよね、と続けようとしたその言葉を、真琴は遮らなかった。遮らないまま、胸の奥に小さな引っかかりだけが残る。インターホンより、むしろその“確認されている感じ”の方が嫌だった。
話を聞き終えたところで、相馬が資料の束を持って戻ってきた。
「物件情報。隣室は半年前から空室。その前の住人は転落死」
「転落、ですか」
「ベランダから。事故扱い」
相馬は簡潔に言った。相談者の表情がこわばる。真琴はすぐに「まだ関連があると決まったわけではありません」と添えたが、正直、自分の声もあまり落ち着いて聞こえなかった。
「現地は見た方がいいですね」
低い男の声がして、真琴は顔を上げた。いつの間にか入口近くに一人、立っている。背の高い男だった。スーツ姿だが、営業職のような柔らかさはない。短い髪は整っているのに少しだけ乱れていて、目元には寝不足の影がある。手には先ほどの物件資料の追加分らしいファイルがあった。
「黒瀬さん、いたんですか」
「いました」
相馬が軽く顎で示す。
「黒瀬玲司。案件確認と外部照会で動いてる。朝倉さんと一緒に現地入ってもらう」
「よろしくお願いします」
「どうも」
ぶっきらぼうだが、感じが悪いほどではない。黒瀬は資料をテーブルに置き、必要事項だけを口にした。
「隣室の施錠状態、設備の記録、前住人の事故報告、簡単に洗いました。表向きは不審点なし。ただ、半年前の事故のあと、下請け業者の出入りが何回か多い」
「原状回復ですか」
「たぶん。でも、時間帯が少し雑です」
それだけ言って、黒瀬は相談者を見た。
「今夜、立ち会いできますか」
「え、今夜……」
「二時十三分に鳴るなら、その時間に行くのが早いです」
「そんな、すぐ」
「早い方がいいです」
冷たいのではなく、無駄がない。真琴はそう思った。相談者は戸惑っていたが、数秒迷った末に小さくうなずいた。
「……お願いします。もう、ちゃんと眠りたくて」
その言葉だけで十分だった。
面談が終わり、相談者が帰ったあと、真琴は資料をもう一度見返した。空室、転落事故、夜中の呼び鈴。紙の上ではまだ線にならない。それでも、何かが妙に引っかかる。
「気になることありますか」
隣で黒瀬が聞いた。いつの間にか、声の大きくない人だとわかる。
「インターホンもですけど……確認されてる感じ、っていう言い方が」
「わかります」
「わかるんですか」
「誰かが人を怯えさせる時って、音そのものより、先に気配を置くことがあるので」
真琴は少し驚いて、その横顔を見た。黒瀬は特に含みなく資料を閉じる。
「心霊かどうかは知りません。でも、相談者の寝不足は本物です」
「そうですね」
「行きましょう。現地」
夜。最寄り駅から少し歩いた先の二階建てアパートは、駅近のわりに静かだった。外壁は塗り直されていて古びすぎてもいない。ありふれた、一人暮らし向けの建物だ。だからこそ、そこに何かあるとは思いにくい。
相談者の部屋に通されると、室内はきちんと片づいていた。無理に平気な顔をして暮らしている気配があちこちに残っている。ベッド脇の耳栓、コンビニのカフェオレ、閉めたままのカーテン。
「鳴る時、廊下の音とかしますか」
黒瀬が確認する。女性は首を振った。
「わからないです。怖くて、毎回布団かぶってるので」
「鳴る前に気配がするっていうのは」
「本当にたまにです。玄関じゃなくて、壁の向こうに立たれてるみたいな感じで……」
真琴は何気なく壁を見る。白い、何の変哲もないクロス。けれど見ていると、向こう側からこちらをうかがう目線みたいなものを想像してしまい、胸の奥がひやりとした。
まだ何も起きていない。なのに、喉のあたりがわずかに狭くなる。
時計の針は、まだ二時十三分までかなりある。今日は確認だけで終わるかもしれない。そう思った方が楽なのに、真琴の中では別の何かが、静かに目を覚まし始めていた。
帰り際、相談者を玄関まで見送ってから、真琴はふと廊下の向こうへ目をやった。問題の空室の前には、当然ながら誰もいない。共用灯の白い明かりが床を照らしているだけだ。
それなのに、その部屋を見た瞬間だけ、喉がきゅっと締まった。
息が吸いにくい、というほどではない。けれど、足を止めたくなる感じがした。何かがおかしいと体が先に知っているのに、頭の方では理由がわからない、そんな嫌な違和感。
「朝倉さん?」
黒瀬の声で、真琴ははっとする。
「……いえ」
「どうしました」
「なんでも、ないです」
そう答えた声が、自分でも少しかすれて聞こえた。
廊下の先、半年前から空いたままの部屋は、ただ静かにそこにあった。けれど真琴には、その静けさが、誰もいない部屋のものにはどうしても思えなかった。
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