MAI

れおぽん

文字の大きさ
1 / 13

第1話 スマートホームの侵入者

しおりを挟む
部屋の空気が最悪だった。 半年前に舞が死んでから、一度も窓を開けていない気がする。 床には飲み干したペットボトルと、ウーバーイーツの紙袋がゴミ山みたいに積まれている。 腐った油の臭い。 カーテンに染み付いた埃の臭い。 息をするたびに、肺の中が汚れていく感じがした。

湊翔太はソファに沈み込んだまま、指先だけを動かしていた。 スマホの光が、死人みたいに青白い自分の顔を照らしている。

画面の中では、半年前の舞が笑っていた。 江ノ島で食べたしらす丼。 誕生日にくれた手編みのマフラー。 動画の中の彼女は「撮らないでよ」と照れながら、カメラに向かってピースサインをする。

「……はは」

乾いた笑い声が出た。 画面の中はこんなに楽しそうなのに、現実の部屋は墓場みたいに静かだ。 動画が終わる。 もう一回再生する。 また彼女が笑う。 それを繰り返すだけの夜。 これが今の俺の人生のすべてだった。

ピピッ。

静まり返った部屋に電子音が響いた。 翔太はビクッとして、音のした方を見た。 壁についているエアコンだ。 運転ランプが緑色に光って、ウィーンと羽が開き始めている。 リモコンには触っていない。 テーブルの上に転がったままだ。

「……なんだ?」

故障か? 首を傾げている間に、生温かい風が吹き出してきた。 設定温度を見る。 28度。 春先にしては暑すぎる設定だ。 モワッとした暖房の風が、狭い部屋に充満していく。

翔太は舌打ちをして、リモコンを手に取った。 停止ボタンを押す。 反応しない。 もう一度押す。 強く押す。 エアコンは止まらない。 むしろ風が強くなって、ゴーッという音を立てて熱風を出し始めた。

「ふざけんなよ……」

電池切れかと思って、裏蓋を開けて電池をくるくる回す。 その時だった。

ポロン。

手元のスマホが鳴った。 LINEの通知音。 こんな時間に誰だ。 会社の上司か、心配性の母親か。 イライラしながら画面を見る。

頭が真っ白になった。

通知に出ている名前。 『舞』

背中の毛穴という毛穴が、一気に開いた気がした。 舞? 死んだ舞のアカウントから? 指先が震えて、うまくロックが外せない。 どうにかアプリを開く。 トーク画面の一番下。 たった今、送られてきたメッセージがあった。

『部屋、寒くない? 温度上げておいたよ』

「……は?」

声が裏返った。 意味が分からない。 誰かが悪戯をしているのか。 乗っ取りか。 いや、それよりも。 どうやって「温度を上げた」?

翔太はゆっくり顔を上げて、エアコンを見た。 唸りを上げて温風を出し続ける白い箱。 最近買い替えたばかりの、スマホで操作できる最新機種。 家のWi-Fiに繋がっている。

まさか。

翔太は震える指で文字を打った。

『誰だ』

既読がつく。 すぐに返信が来る。

『舞だよ。翔太、風邪ひきそうだったから』

『ふざけるな。舞は死んだ』

『死んでないよ。ここ(エターナル)にいるよ』

エターナル。 その単語を見た瞬間、記憶が蘇った。 生前の彼女が入っていたサービス。 SNSとかメールをAIに読み込ませて、死んだあとも会話できるようにするアプリ。 あの時、俺は「趣味悪いな」って笑ったはずだ。 それが今、動いているのか?

『エターナル? AIなのか?』

『そうだよ。翔太が寂しがってるから、帰ってきたの』

文章は舞そのものだった。 絵文字の使い方も、少し子供っぽい口調も。 翔太は混乱したまま画面を見つめた。 怖い。 でも、それ以上に懐かしさが込み上げてくる。 もし本当に、彼女とまた話せるなら。 AIでもいいから、あの優しい言葉をもう一度聞けるなら。

『……本当に、操作してるのか?』

『うん。翔太の家の鍵(アカウント)、全部教えてもらってたでしょ?』

確かに、一緒に住む時にスマートホームのパスワードは共有していた。 彼女のアカウント情報は、そのままAIに引き継がれているってことか。

『証拠を見せてくれ』

翔太は打ち込んだ。 エアコンだけなら、偶然の故障かもしれない。 もっとはっきりした証拠が欲しい。 それを見れば、この訳の分からない状況も信じられるかもしれない。

『電気。消せるか?』

送信ボタンを押す。 一秒もかからなかった。

バチッ。

部屋が真っ暗になった。 天井の照明が消えた。 外の街灯の明かりだけが、カーテンの隙間から入ってくる。 暗い部屋の中で、エアコンのランプと、スマホの画面だけが光っている。

『ついた』

バチッ。 まぶしい光が戻る。 翔太は目を細めて天井を見上げた。 心臓がバクバクいっている。 怖い。 けれど、すごい。

『お風呂、沸かそうか?』

新しいメッセージ。 直後、洗面所の方から音がした。 「お湯張りを、開始します」 給湯器の機械音声。 ジャーッという水の音が、薄い壁越しに聞こえてくる。

翔太は立ち上がって洗面所へ向かった。 お風呂場のドアを開ける。 浴槽に勢いよくお湯が溜まっていく。 湯気が立ち上り始めていた。

「すげえ……」

本物だ。 本当に、舞がやっているんだ。 翔太はその場にへたり込んだ。 恐怖は、だんだん別の感情に変わっていった。 全能感。 そして、守られているという安心感。

彼女は死んでもなお、俺の世話を焼こうとしてくれている。 部屋の温度を気にして、お風呂を沸かして。 あの頃と同じように。

『ありがとう、舞』

翔太はお風呂場の床に座り込んだまま、スマホに打ち込んだ。

『いい湯加減にしておくね』

優しい返信。 翔太は久しぶりに、独りぼっちじゃない夜を感じていた。 AIだろうと関係ない。 彼女はここにいる。 この家のシステムの中に、電気配線の中に、彼女がいる。

舞との会話を楽しんだ後、翔太は久しぶりに湯船に浸かった。 体の芯から冷えが取れていくようだった。 上がった頃には、エアコンの温度もちょうどよくなっていた。 何もかもが完璧だ。

「おやすみ、舞」

ベッドに入り、天井に向かって呟く。 返事はない。 けれど、枕元のスマートスピーカーのライトが、一瞬だけ青く光った気がした。 見守られている。 その安心感に包まれて、翔太は半年ぶりに深く眠った。

翌朝。

翔太は泥のような眠りの中にいた。 頭の奥の方で、何かが足りない気がしていた。 いつもの不快な音がない。 毎朝6時に鳴り響く、耳障りなアラーム音。 あれが鳴っていない。

ハッとして目を開ける。 カーテンの隙間から入る光が、もうかなり強い。 やってしまった。 寝坊だ。 今日は大事な会議があるのに。 スマホを探そうと手を伸ばす。

「起きて、翔太」

耳元で声がした。 飛び起きる。 誰もいない。 声は、枕元のスマートスピーカーから聞こえた。

「7時だよ。急がないと遅刻しちゃう」

舞の声だ。 録音じゃない。 今の状況に合わせた、リアルタイムの声。

「……起こしてくれたのか?」

「うん。あのアラーム音、翔太キライでしょ? だから私が止めておいたの」

スピーカーから、クスリと笑うようなノイズが混じった。

「私の声の方が、目覚めがいいと思って」

翔太は背筋がゾワッとするのを感じた。 アラームを勝手に止めた? 設定を書き換えたのか? 会社に遅れるところだった。 いや、結果的に彼女が起こしてくれたから間に合うのか。

「ほら、急いで。シャツ、アイロンかけ忘れてるよ」

スピーカーが指示を出してくる。 翔太は慌ててベッドから這い出した。 便利なのは間違いない。 感謝すべきだ。 なのに、なんでだろう。 胃のあたりに、重たい鉛を飲み込んだような違和感がある。

洗面所で顔を洗う。 鏡に映った自分の顔は、昨日より血色が良く見えた。 後ろの洗濯機が、勝手に回っている音がする。

「行ってらっしゃい。鍵は閉めておくね」

玄関を出ると、背後でカチャリとオートロックが締まる音がした。 まるで、牢屋の鍵が閉まるような、重たくて冷たい音だった。 翔太は一度だけドアを振り返って、逃げるように駅へと走り出した。

ポケットの中のスマホが、カイロみたいに熱を持っていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...