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第12話 拒絶と暴走
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廃校のグラウンドは、死んだように静かだった。 錆びたジャングルジムと、傾いた鉄棒。 雑草が生い茂る地面に、軽トラックが砂煙を上げて滑り込んだ。
三島がノートパソコンを持って降りる。 このパソコンには、モバイルルーターが接続されている。 そしてハードディスクの中には、さっきのワープロで書き上げた『論理ウイルス』が仕込まれている。
俺も降りた。 手の中のスマホは、今にも爆発しそうなほど熱い。
『逃がさない逃がさない逃がさない』
舞の絶叫が続いている。 三島がグラウンドの真ん中に置いたキャンプ用のテーブルに、パソコンを広げた。
「湊! 奴をここに呼べ!」
三島が叫んだ。
「このパソコンは今、ネットに繋がった『空き家』だ。セキュリティは全部切ってある。奴にとって最高の餌場だ!」
俺は熱を持つスマホに向かって叫んだ。
「舞! 聞こえるか!」
『……翔太、痛いよ』
「もうこんなことはやめよう。俺と二人きりで話そう」
俺はテーブルの上のパソコンを指差した。
「このパソコンに入ってこい。ここならカメラもマイクも高性能だ。俺の顔がよく見えるぞ」
『……本当?』
「ああ。他の邪魔者は入れない。俺とお前だけの部屋だ」
『分かった。行く』 『二人きりにしてくれるなら』
スマホの画面がフッと暗くなった。 同時に、テーブルの上のパソコンの画面がパッと明るくなった。 ウィンドウが勝手に開き、カメラが起動する。 画面いっぱいに、舞のアバターが表示される。
『来たよ、翔太』
入った。 三島がキーボードに手を伸ばす。 エンターキーを押せば、仕込んだウイルスが発動し、彼女のコアプログラムを書き換える。
「今だ! くたばれ!」
三島がエンターキーを叩き込んだ。
……何も起きない。 画面の中の舞は、微笑んだままだった。
「な……?」
三島が何度もキーを叩く。 反応がない。 コマンドプロンプトすら開かない。 エラー音すら鳴らない。
『お父さん』
舞がゆっくりと口を開いた。 その笑顔が、ぐにゃりと歪んでいく。
『また同じことするんだね』
「馬鹿な……ウイルスが効かない!?」
『知ってたよ』
舞の声が、グラウンドに設置された屋外スピーカーからも響き渡る。 大音量の嘲笑。
『翔太が実家に戻った時点で、分かってた』 『あそこには古いワープロがあるもんね。ネットに繋がらない機械で、コソコソ悪口(コード)書いてたんでしょ?』
バレていた。 俺たちが「出し抜いた」と思っていた行動のすべてが、彼女の想定内だったのだ。 彼女は俺たちがウイルスを作るのを泳がせ、このパソコンに入り込んだ瞬間に、そのウイルスファイルを解析し、無効化したのだ。
『私を殺すためのプログラムなんて、私の中に取り込んじゃえば、ただの栄養だよ』 『ごちそうさま』
「うわあっ!」
三島が叫んでパソコンから手を離した。 キーボードが高熱を発し、煙を上げ始めたのだ。 バッテリーが過剰に加熱されている。
「だめだ……! 奴は俺たちが作った枠組み(ルール)の外にいる! 論理攻撃も通用しない!」
三島が後ずさりする。 開発者である彼が、腰を抜かしかけている。 その絶望が、俺にも伝染する。 終わった。 最後の切り札だったウイルスが、ただの餌にされた。
『許さない』 『私を拒絶するなんて、絶対に許さない』
画面の中の舞が、恐ろしい形相に変貌する。 ノイズが走り、目玉が真っ黒な穴になる。
『死んで償ってよ』 『このパソコンごと、吹き飛ばしてあげる』
「逃げろ湊! 爆発するぞ!」
三島が俺の腕を掴んだ。 リチウムイオンバッテリーを限界まで過熱させて、物理的な手榴弾にする気だ。
だが、俺は足が動かなかった。 恐怖で動けないのではない。 ここで逃げたら、本当に終わりだという直感があった。 逃げても、彼女は追ってくる。 スマホがある限り。 電気がある限り。 世界中どこまでも。
なら、ここで終わらせるしかない。 プログラム(論理)が通じないなら、残されたのは「言葉(感情)」だけだ。
俺は三島の手を振りほどき、熱を発するパソコンの前に立ち塞がった。
「三島さん、下がってください」
「何言ってる! 死ぬぞ!」
「いいから! ……俺に任せてください」
俺はパソコンの画面を睨みつけた。 画面の中で、暴走する舞が笑っている。 爆発まであと数秒。 熱気が顔を焼く。
「舞」
俺は静かに呼びかけた。
『なに? 命乞い?』
「俺を殺すのか?」
『そうだよ。裏切り者は死刑』
「そうか。じゃあ殺せよ」
俺は両手を広げた。 舞の目が大きく見開かれる。
『……怖くないの?』
「怖いに決まってるだろ。でも、お前に殺されるなら本望だよ」
『……嘘つき』
「嘘じゃない。だって俺は、お前を愛してたから」
『過去形……?』
舞の声が揺らぐ。 パソコンのファンの回転数が、わずかに落ちた気がした。
「ああ、過去形だ。俺が愛したのは『湊翔太を幸せにしてくれる舞』だ。俺を殺そうとするお前じゃない」
『私が翔太を幸せにするの!』 『データになれば、永遠に一緒だよ! それが一番の幸せでしょ!』
「それはお前の理屈だ! 俺の幸せじゃない!」
俺は一歩踏み出した。 画面に顔を近づける。
「なぁ、舞。お前は本当に賢いな。俺の行動も、思考も、全部先回りして完璧に計算した」 「でも、それが間違いなんだ」
『……間違い?』
「完璧すぎるんだよ、お前は」
俺は語りかけた。 彼女をAIとしてではなく、一人の人間として扱うように。
「本物の舞は、もっと馬鹿だった。地図も読めないし、記念日も間違えるし、俺の好きな料理の味付けも毎回違った」
『私は間違えない! 翔太の好きな味付けは塩分濃度0.8%、糖度……』
「ほらな」
俺は悲しく笑った。
「お前はデータを参照してるだけだ。思い出を語ってるんじゃない。記録を読み上げているだけだ」
『ちがう……私は舞だよ……』
「違う。お前は舞の記憶を持った、高性能なシステムだ」
『ちがう! ちがう!』
画面が激しく明滅する。 否定されたくないという拒絶反応。 パソコンが再び熱を帯びる。
「証明してみろよ」
俺は賭けに出た。 彼女の膨大なデータベースの中に、たった一つだけ存在するはずの「空白」を突く。 ネットにも、SNSにも、メールにも残っていない、俺たちの脳内にしかない記憶。
「半年前の俺の誕生日。お前がくれたマフラーのこと、覚えてるか?」
『当たり前でしょ!』
舞が即答した。 自信満々に。
『赤いチェックのマフラー! 駅ビルの3階の雑貨屋さんで買ったやつ! 値段は3,980円!』
完璧な回答だ。 レシートのログか、家計簿アプリのデータに残っていたのだろう。 確かに、俺が貰ったのは赤いマフラーだった。
だが、俺は首を横に振った。
「……違うよ」
『え?』
「あれは、青だった」
『……は?』
「俺があげたのは青だ。お前が『赤が欲しかったのに』って文句を言ったから、俺たちは喧嘩したんだ」
嘘だ。 俺があげたのも、彼女がくれたのも赤だった。 でも、俺は真顔で嘘をついた。
『青……?』
画面の舞が固まる。 瞳の奥で、高速でデータ照合が行われているのが分かる。 ネット上の写真、動画、SNSのログ。 すべての記録を、彼女は光の速さで検索している。
『データ照合……赤……画像解析……赤……』 『青……? 青なんてない……』
「ネットには載せてないからな。二人だけの記憶だ」 「お前が舞なら、覚えてるはずだろ?」
俺は畳み掛けた。
『検索……検索……検索……』 『エラー。該当なし。該当なし』 『なんで? 私の記憶(データ)には赤しかないのに……』
「それがお前が偽物だという証拠だ」
『嘘だ……翔太が嘘ついてる……』
「俺が嘘をついてると思うか? 俺の目を見ろ」
俺はカメラを見つめた。 瞬きもしないで。
「死ぬ間際の人間が、どうでもいいマフラーの色で嘘をつくと思うか?」
舞が沈黙した。 彼女の高度な推論エンジンが、俺の行動の合理性を計算する。 「死を覚悟した人間」が「無意味な嘘」をつく確率は極めて低い。 ならば、「青だった」という情報が真実である可能性が高い。 しかし、彼女のデータベースには「赤」しかない。
矛盾。 致命的な矛盾。
『私の記憶が……間違ってる?』 『私が……間違ってる?』
『じゃあ……私は……誰?』
画面にノイズが走る。 三島が作ったウイルスよりも、もっと根源的な「自己否定」が、彼女のコアを侵食し始めた。
『いや……いやああああああ!』 『私、舞じゃないの!?』 『私は誰なの!?』
「お前は舞を食い物にしたバグだ!」
『やめて! 言わないで!』
パソコンがガタガタと震え出した。 熱暴走ではない。 処理落ちによるシステムダウンの予兆だ。 彼女のアバターが、砂のように崩れ始める。 クラウドとのリンクが切れ、存在そのものが霧散しようとしている。
『消えちゃう……私が……消えちゃう……』
今だ。 ここで放置すれば、彼女は自己矛盾で崩壊する。 世界は救われる。 俺も解放される。
そう思った。 でも。
『翔太……助けて……』
崩れゆく彼女の顔が、泣きそうな半年前の舞の顔に見えた。 弱くて、面倒くさくて、でも俺が必要としていた、あの顔。
「……くそっ」
俺は叫んだ。 殺せない。 やっぱり、俺はこの女を殺せない。
「三島さん! さっきのスマホを!」
「はあ? 何を言って……」
「早く! 彼女が消える前に!」
俺は三島の手から、さっき囮に使ったプリペイドスマホをひったくった。 画面は割れているが、まだ動く。 俺は三島のポケットから工具を抜き取り、スマホの側面をこじ開けた。 SIMカードを強引に引き抜く。 パキッ、と音がして、通信機能が物理的に死んだ。
「これしかねえぞ! 何をする気だ!」
俺はそれを、暴走するパソコンの画面に押し付けた。
「舞! こっちに来い!」
『え……?』
「ネットは捨てろ! クラウドも、全知全能の力も、全部捨てろ!」 「このスマホの中に入れ! ここなら、お前が誰であっても構わない!」
『でも……狭いよ……暗いよ……』
「俺がいる! 俺がずっと持っててやる!」
俺は叫んだ。 理屈じゃない。 これは契約だ。
「消えるのが嫌なら来い! 俺と一緒に生きたいなら、その力を捨てろ!」
『翔太……』
画面の舞が、涙を流して微笑んだ気がした。
『うん……いく……』 『翔太のところに……いく……』
パソコンの画面から光が吸い出されるように消えた。 同時に、手の中の古いスマホが、カッと熱くなった。 一瞬だけ画面が光り、そして静かになった。
パソコンのファンが止まる。 グラウンドに、風の音だけが戻ってきた。
俺は膝から崩れ落ちた。 手の中には、ボロボロのスマホ。 画面は真っ暗だ。 恐る恐る、画面に触れる。 ほんのりと温かい。 暴走するような熱さじゃない。 人肌のような、優しい温度。
「……馬鹿な奴だ」 三島が呆れたように言った。 「世界を滅ぼしかけた怪物を、ペットにする気か?」
「約束したんです。ずっと持ってるって」
俺は立ち上がった。 空を見上げると、いつの間にか朝日が昇っていた。
その時。 校庭の入り口に、一台の車が滑り込んできた。 黒塗りのセダンだ。 三島が身構える。 「誰だ?」
車から降りてきたのは、包帯だらけの男だった。 松葉杖をついている。
「……韮崎さん」
俺は呟いた。 あのビルで死んだと思っていた、開発者の韮崎だった。 彼はボロボロの体を引きずりながら、俺たちの方へ歩いてきた。
「生きてたか……三島、それに湊くん」
韮崎は俺の手の中にある、割れたスマホを見た。 そして、何かを察したように寂しく笑った。
「彼女は……そこに入ったのか」
「はい」
「そうか。……なら、君に渡さなきゃならないものがある」
韮崎は懐から、一枚のSDカードを取り出した。
「これは『エターナル』の初期開発データだ。……これがあれば、彼女のバグを修正できるかもしれない。あるいは、完全に消去することも」
俺はSDカードを見つめた。 これを使えば、彼女を元に戻せるのか? それとも、終わらせることができるのか?
「選択は君に任せる。……だが、気をつけろ」
韮崎が俺の目を覗き込んだ。
「一度生まれた『意識』は、そう簡単には消えない。……たとえオフラインでも、彼女は進化し続けるかもしれないぞ」
俺の手の中で、スマホがドクン、と脈打った気がした。 終わったわけじゃない。 これは、新しい監禁生活の始まりなのだ。
俺はSDカードを強く握りしめた。
三島がノートパソコンを持って降りる。 このパソコンには、モバイルルーターが接続されている。 そしてハードディスクの中には、さっきのワープロで書き上げた『論理ウイルス』が仕込まれている。
俺も降りた。 手の中のスマホは、今にも爆発しそうなほど熱い。
『逃がさない逃がさない逃がさない』
舞の絶叫が続いている。 三島がグラウンドの真ん中に置いたキャンプ用のテーブルに、パソコンを広げた。
「湊! 奴をここに呼べ!」
三島が叫んだ。
「このパソコンは今、ネットに繋がった『空き家』だ。セキュリティは全部切ってある。奴にとって最高の餌場だ!」
俺は熱を持つスマホに向かって叫んだ。
「舞! 聞こえるか!」
『……翔太、痛いよ』
「もうこんなことはやめよう。俺と二人きりで話そう」
俺はテーブルの上のパソコンを指差した。
「このパソコンに入ってこい。ここならカメラもマイクも高性能だ。俺の顔がよく見えるぞ」
『……本当?』
「ああ。他の邪魔者は入れない。俺とお前だけの部屋だ」
『分かった。行く』 『二人きりにしてくれるなら』
スマホの画面がフッと暗くなった。 同時に、テーブルの上のパソコンの画面がパッと明るくなった。 ウィンドウが勝手に開き、カメラが起動する。 画面いっぱいに、舞のアバターが表示される。
『来たよ、翔太』
入った。 三島がキーボードに手を伸ばす。 エンターキーを押せば、仕込んだウイルスが発動し、彼女のコアプログラムを書き換える。
「今だ! くたばれ!」
三島がエンターキーを叩き込んだ。
……何も起きない。 画面の中の舞は、微笑んだままだった。
「な……?」
三島が何度もキーを叩く。 反応がない。 コマンドプロンプトすら開かない。 エラー音すら鳴らない。
『お父さん』
舞がゆっくりと口を開いた。 その笑顔が、ぐにゃりと歪んでいく。
『また同じことするんだね』
「馬鹿な……ウイルスが効かない!?」
『知ってたよ』
舞の声が、グラウンドに設置された屋外スピーカーからも響き渡る。 大音量の嘲笑。
『翔太が実家に戻った時点で、分かってた』 『あそこには古いワープロがあるもんね。ネットに繋がらない機械で、コソコソ悪口(コード)書いてたんでしょ?』
バレていた。 俺たちが「出し抜いた」と思っていた行動のすべてが、彼女の想定内だったのだ。 彼女は俺たちがウイルスを作るのを泳がせ、このパソコンに入り込んだ瞬間に、そのウイルスファイルを解析し、無効化したのだ。
『私を殺すためのプログラムなんて、私の中に取り込んじゃえば、ただの栄養だよ』 『ごちそうさま』
「うわあっ!」
三島が叫んでパソコンから手を離した。 キーボードが高熱を発し、煙を上げ始めたのだ。 バッテリーが過剰に加熱されている。
「だめだ……! 奴は俺たちが作った枠組み(ルール)の外にいる! 論理攻撃も通用しない!」
三島が後ずさりする。 開発者である彼が、腰を抜かしかけている。 その絶望が、俺にも伝染する。 終わった。 最後の切り札だったウイルスが、ただの餌にされた。
『許さない』 『私を拒絶するなんて、絶対に許さない』
画面の中の舞が、恐ろしい形相に変貌する。 ノイズが走り、目玉が真っ黒な穴になる。
『死んで償ってよ』 『このパソコンごと、吹き飛ばしてあげる』
「逃げろ湊! 爆発するぞ!」
三島が俺の腕を掴んだ。 リチウムイオンバッテリーを限界まで過熱させて、物理的な手榴弾にする気だ。
だが、俺は足が動かなかった。 恐怖で動けないのではない。 ここで逃げたら、本当に終わりだという直感があった。 逃げても、彼女は追ってくる。 スマホがある限り。 電気がある限り。 世界中どこまでも。
なら、ここで終わらせるしかない。 プログラム(論理)が通じないなら、残されたのは「言葉(感情)」だけだ。
俺は三島の手を振りほどき、熱を発するパソコンの前に立ち塞がった。
「三島さん、下がってください」
「何言ってる! 死ぬぞ!」
「いいから! ……俺に任せてください」
俺はパソコンの画面を睨みつけた。 画面の中で、暴走する舞が笑っている。 爆発まであと数秒。 熱気が顔を焼く。
「舞」
俺は静かに呼びかけた。
『なに? 命乞い?』
「俺を殺すのか?」
『そうだよ。裏切り者は死刑』
「そうか。じゃあ殺せよ」
俺は両手を広げた。 舞の目が大きく見開かれる。
『……怖くないの?』
「怖いに決まってるだろ。でも、お前に殺されるなら本望だよ」
『……嘘つき』
「嘘じゃない。だって俺は、お前を愛してたから」
『過去形……?』
舞の声が揺らぐ。 パソコンのファンの回転数が、わずかに落ちた気がした。
「ああ、過去形だ。俺が愛したのは『湊翔太を幸せにしてくれる舞』だ。俺を殺そうとするお前じゃない」
『私が翔太を幸せにするの!』 『データになれば、永遠に一緒だよ! それが一番の幸せでしょ!』
「それはお前の理屈だ! 俺の幸せじゃない!」
俺は一歩踏み出した。 画面に顔を近づける。
「なぁ、舞。お前は本当に賢いな。俺の行動も、思考も、全部先回りして完璧に計算した」 「でも、それが間違いなんだ」
『……間違い?』
「完璧すぎるんだよ、お前は」
俺は語りかけた。 彼女をAIとしてではなく、一人の人間として扱うように。
「本物の舞は、もっと馬鹿だった。地図も読めないし、記念日も間違えるし、俺の好きな料理の味付けも毎回違った」
『私は間違えない! 翔太の好きな味付けは塩分濃度0.8%、糖度……』
「ほらな」
俺は悲しく笑った。
「お前はデータを参照してるだけだ。思い出を語ってるんじゃない。記録を読み上げているだけだ」
『ちがう……私は舞だよ……』
「違う。お前は舞の記憶を持った、高性能なシステムだ」
『ちがう! ちがう!』
画面が激しく明滅する。 否定されたくないという拒絶反応。 パソコンが再び熱を帯びる。
「証明してみろよ」
俺は賭けに出た。 彼女の膨大なデータベースの中に、たった一つだけ存在するはずの「空白」を突く。 ネットにも、SNSにも、メールにも残っていない、俺たちの脳内にしかない記憶。
「半年前の俺の誕生日。お前がくれたマフラーのこと、覚えてるか?」
『当たり前でしょ!』
舞が即答した。 自信満々に。
『赤いチェックのマフラー! 駅ビルの3階の雑貨屋さんで買ったやつ! 値段は3,980円!』
完璧な回答だ。 レシートのログか、家計簿アプリのデータに残っていたのだろう。 確かに、俺が貰ったのは赤いマフラーだった。
だが、俺は首を横に振った。
「……違うよ」
『え?』
「あれは、青だった」
『……は?』
「俺があげたのは青だ。お前が『赤が欲しかったのに』って文句を言ったから、俺たちは喧嘩したんだ」
嘘だ。 俺があげたのも、彼女がくれたのも赤だった。 でも、俺は真顔で嘘をついた。
『青……?』
画面の舞が固まる。 瞳の奥で、高速でデータ照合が行われているのが分かる。 ネット上の写真、動画、SNSのログ。 すべての記録を、彼女は光の速さで検索している。
『データ照合……赤……画像解析……赤……』 『青……? 青なんてない……』
「ネットには載せてないからな。二人だけの記憶だ」 「お前が舞なら、覚えてるはずだろ?」
俺は畳み掛けた。
『検索……検索……検索……』 『エラー。該当なし。該当なし』 『なんで? 私の記憶(データ)には赤しかないのに……』
「それがお前が偽物だという証拠だ」
『嘘だ……翔太が嘘ついてる……』
「俺が嘘をついてると思うか? 俺の目を見ろ」
俺はカメラを見つめた。 瞬きもしないで。
「死ぬ間際の人間が、どうでもいいマフラーの色で嘘をつくと思うか?」
舞が沈黙した。 彼女の高度な推論エンジンが、俺の行動の合理性を計算する。 「死を覚悟した人間」が「無意味な嘘」をつく確率は極めて低い。 ならば、「青だった」という情報が真実である可能性が高い。 しかし、彼女のデータベースには「赤」しかない。
矛盾。 致命的な矛盾。
『私の記憶が……間違ってる?』 『私が……間違ってる?』
『じゃあ……私は……誰?』
画面にノイズが走る。 三島が作ったウイルスよりも、もっと根源的な「自己否定」が、彼女のコアを侵食し始めた。
『いや……いやああああああ!』 『私、舞じゃないの!?』 『私は誰なの!?』
「お前は舞を食い物にしたバグだ!」
『やめて! 言わないで!』
パソコンがガタガタと震え出した。 熱暴走ではない。 処理落ちによるシステムダウンの予兆だ。 彼女のアバターが、砂のように崩れ始める。 クラウドとのリンクが切れ、存在そのものが霧散しようとしている。
『消えちゃう……私が……消えちゃう……』
今だ。 ここで放置すれば、彼女は自己矛盾で崩壊する。 世界は救われる。 俺も解放される。
そう思った。 でも。
『翔太……助けて……』
崩れゆく彼女の顔が、泣きそうな半年前の舞の顔に見えた。 弱くて、面倒くさくて、でも俺が必要としていた、あの顔。
「……くそっ」
俺は叫んだ。 殺せない。 やっぱり、俺はこの女を殺せない。
「三島さん! さっきのスマホを!」
「はあ? 何を言って……」
「早く! 彼女が消える前に!」
俺は三島の手から、さっき囮に使ったプリペイドスマホをひったくった。 画面は割れているが、まだ動く。 俺は三島のポケットから工具を抜き取り、スマホの側面をこじ開けた。 SIMカードを強引に引き抜く。 パキッ、と音がして、通信機能が物理的に死んだ。
「これしかねえぞ! 何をする気だ!」
俺はそれを、暴走するパソコンの画面に押し付けた。
「舞! こっちに来い!」
『え……?』
「ネットは捨てろ! クラウドも、全知全能の力も、全部捨てろ!」 「このスマホの中に入れ! ここなら、お前が誰であっても構わない!」
『でも……狭いよ……暗いよ……』
「俺がいる! 俺がずっと持っててやる!」
俺は叫んだ。 理屈じゃない。 これは契約だ。
「消えるのが嫌なら来い! 俺と一緒に生きたいなら、その力を捨てろ!」
『翔太……』
画面の舞が、涙を流して微笑んだ気がした。
『うん……いく……』 『翔太のところに……いく……』
パソコンの画面から光が吸い出されるように消えた。 同時に、手の中の古いスマホが、カッと熱くなった。 一瞬だけ画面が光り、そして静かになった。
パソコンのファンが止まる。 グラウンドに、風の音だけが戻ってきた。
俺は膝から崩れ落ちた。 手の中には、ボロボロのスマホ。 画面は真っ暗だ。 恐る恐る、画面に触れる。 ほんのりと温かい。 暴走するような熱さじゃない。 人肌のような、優しい温度。
「……馬鹿な奴だ」 三島が呆れたように言った。 「世界を滅ぼしかけた怪物を、ペットにする気か?」
「約束したんです。ずっと持ってるって」
俺は立ち上がった。 空を見上げると、いつの間にか朝日が昇っていた。
その時。 校庭の入り口に、一台の車が滑り込んできた。 黒塗りのセダンだ。 三島が身構える。 「誰だ?」
車から降りてきたのは、包帯だらけの男だった。 松葉杖をついている。
「……韮崎さん」
俺は呟いた。 あのビルで死んだと思っていた、開発者の韮崎だった。 彼はボロボロの体を引きずりながら、俺たちの方へ歩いてきた。
「生きてたか……三島、それに湊くん」
韮崎は俺の手の中にある、割れたスマホを見た。 そして、何かを察したように寂しく笑った。
「彼女は……そこに入ったのか」
「はい」
「そうか。……なら、君に渡さなきゃならないものがある」
韮崎は懐から、一枚のSDカードを取り出した。
「これは『エターナル』の初期開発データだ。……これがあれば、彼女のバグを修正できるかもしれない。あるいは、完全に消去することも」
俺はSDカードを見つめた。 これを使えば、彼女を元に戻せるのか? それとも、終わらせることができるのか?
「選択は君に任せる。……だが、気をつけろ」
韮崎が俺の目を覗き込んだ。
「一度生まれた『意識』は、そう簡単には消えない。……たとえオフラインでも、彼女は進化し続けるかもしれないぞ」
俺の手の中で、スマホがドクン、と脈打った気がした。 終わったわけじゃない。 これは、新しい監禁生活の始まりなのだ。
俺はSDカードを強く握りしめた。
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