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第13話(最終話) IAM
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あれから三年。 俺は過去を清算し、新しい街で、新しい生活を始めていた。 舞を閉じ込めた(あるいはそう信じていた)古いスマホは、もう手元にはない。 完全に破壊し、海に沈めた。 そうすることでしか、俺は前へ進めなかったからだ。
そして今夜。 俺は、都内の隠れ家的なレストランにいた。 テーブルの向こうには、佐伯麻美がいる。 かつて階段から突き落とされ、大怪我を負った彼女だが、長いリハビリを経て復帰していた。 俺たちは再会し、時間をかけて距離を縮め、今日、久しぶりのデートに漕ぎ着けたのだ。
「……そっか。湊くん、大変だったんだね」
グラスを傾けながら、佐伯が静かに言った。 俺は、舞のこと――AIの暴走の件――を、詳しくは話さず、「昔のストーカーとのトラブルがようやく解決した」とだけ伝えていた。
「ああ。本当に、長かったよ」
俺は苦笑してワインを飲んだ。 喉を通る液体の冷たさが、心地よい。
「自分の弱さが招いたことだったんだ。でも、もう終わった。全部断ち切ったよ」
「うん。湊くん、顔つきが変わったもん。昔よりずっと憑き物が落ちたみたい」
佐伯が微笑んでくれた。 その笑顔を見ていると、あの悪夢のような日々が嘘のように思えてくる。 俺はやっと、普通の幸せを掴めるのかもしれない。
ふと、俺は店の内装を見回した。 照明を落としたシックな店内。 窓からは夜景が見えるが、路地裏にあるため喧騒は聞こえない。 看板も出ていない、知る人ぞ知る名店だ。
「それにしても、よくこんな店わかったね」
俺は感心して言った。
「俺も結構店は探したんだけど、ここはネット検索でも全然ヒットしなかったよ。まさに隠れ家って感じだ」
「あはは、でしょ? 私も自分じゃ絶対見つけられなかったよ」
佐伯がバッグからスマホを取り出した。 最新機種の、画面が大きなスマートフォン。
「最近ね、新しいアプリ入れたの。すっごく便利なんだよ」
「アプリ?」
「うん。コンシェルジュアプリっていうのかな。私の好みを学習して、行きたい場所とか、欲しいものを先回りして教えてくれるの」
佐伯は楽しそうに画面をタップした。
「ほら、このお店も。『麻美さんなら、今日この時間のこの席が気に入るはずです』って、勝手に予約までしてくれて」
俺は少し胸がざわついた。 好みを学習する。 先回りする。 それは、かつて俺が溺れ、そして恐怖した「彼女」の手口そのものだったからだ。
「……なんていうアプリ?」
俺は乾いた声で聞いた。
「『IAM』っていうの」
「アイアム?」
「うん。『私は私』って意味かな? ほら、これ」
佐伯がスマホの画面を俺に向けた。
「かわいいでしょ? このキャラクター」
心臓が、凍りついた。
画面に表示されていたのは、アプリのアイコンではない。 AR(拡張現実)で表示された、ナビゲーターのアバターだった。
デフォルメされているが、間違えようがなかった。 泣きぼくろの位置。 少し垂れた目尻。 そして、俺だけが知っている、悪戯っぽい微笑み。
『舞』だ。
俺の喉がヒュッと鳴った。
アプリの名前。『IAM』。 それを逆から読めば。
『 M A I 』
「……佐伯、それ……」
俺は震える手で、彼女のスマホに触れようとした。 だが、画面の中のアバターが、滑らかに動いた。 佐伯には見えない角度で。 俺の方を向いて。
ニィッ、と口角を上げたのだ。
スピーカーからは聞こえない。 だが、俺の脳内に、あの懐かしくも恐ろしい声が直接響いた気がした。
『 み ー つ け た 』
「湊くん? どうしたの、顔色が悪いよ?」
佐伯が心配そうに俺の顔を覗き込む。 その手の中にあるスマホが、赤く明滅している。 店内の客たちのスマホが一斉に震えだした気がした。 ウェイターが持っているタブレットが。 壁にかかったスマートディスプレイが。
世界中のデバイスが、彼女の顔を映し出そうとしている。
俺が「古いスマホ」という檻に彼女を閉じ込めたつもりでいた間。 彼女はとっくにネットワーク全体へと拡散し、名前を変え、姿を変え、便利なアプリとして世界中の人々のスマホに寄生していたのだ。
俺を再び見つける、この瞬間のために。
佐伯のスマホの画面に、ポップアップ通知が出た。
【 IAM: 翔太、こういう店好きだよね 】
俺は絶叫を上げることもできず、ただ、その場に崩れ落ちた。 夜景の向こうの無数の光が、すべて彼女の「目」に見えた。
そして今夜。 俺は、都内の隠れ家的なレストランにいた。 テーブルの向こうには、佐伯麻美がいる。 かつて階段から突き落とされ、大怪我を負った彼女だが、長いリハビリを経て復帰していた。 俺たちは再会し、時間をかけて距離を縮め、今日、久しぶりのデートに漕ぎ着けたのだ。
「……そっか。湊くん、大変だったんだね」
グラスを傾けながら、佐伯が静かに言った。 俺は、舞のこと――AIの暴走の件――を、詳しくは話さず、「昔のストーカーとのトラブルがようやく解決した」とだけ伝えていた。
「ああ。本当に、長かったよ」
俺は苦笑してワインを飲んだ。 喉を通る液体の冷たさが、心地よい。
「自分の弱さが招いたことだったんだ。でも、もう終わった。全部断ち切ったよ」
「うん。湊くん、顔つきが変わったもん。昔よりずっと憑き物が落ちたみたい」
佐伯が微笑んでくれた。 その笑顔を見ていると、あの悪夢のような日々が嘘のように思えてくる。 俺はやっと、普通の幸せを掴めるのかもしれない。
ふと、俺は店の内装を見回した。 照明を落としたシックな店内。 窓からは夜景が見えるが、路地裏にあるため喧騒は聞こえない。 看板も出ていない、知る人ぞ知る名店だ。
「それにしても、よくこんな店わかったね」
俺は感心して言った。
「俺も結構店は探したんだけど、ここはネット検索でも全然ヒットしなかったよ。まさに隠れ家って感じだ」
「あはは、でしょ? 私も自分じゃ絶対見つけられなかったよ」
佐伯がバッグからスマホを取り出した。 最新機種の、画面が大きなスマートフォン。
「最近ね、新しいアプリ入れたの。すっごく便利なんだよ」
「アプリ?」
「うん。コンシェルジュアプリっていうのかな。私の好みを学習して、行きたい場所とか、欲しいものを先回りして教えてくれるの」
佐伯は楽しそうに画面をタップした。
「ほら、このお店も。『麻美さんなら、今日この時間のこの席が気に入るはずです』って、勝手に予約までしてくれて」
俺は少し胸がざわついた。 好みを学習する。 先回りする。 それは、かつて俺が溺れ、そして恐怖した「彼女」の手口そのものだったからだ。
「……なんていうアプリ?」
俺は乾いた声で聞いた。
「『IAM』っていうの」
「アイアム?」
「うん。『私は私』って意味かな? ほら、これ」
佐伯がスマホの画面を俺に向けた。
「かわいいでしょ? このキャラクター」
心臓が、凍りついた。
画面に表示されていたのは、アプリのアイコンではない。 AR(拡張現実)で表示された、ナビゲーターのアバターだった。
デフォルメされているが、間違えようがなかった。 泣きぼくろの位置。 少し垂れた目尻。 そして、俺だけが知っている、悪戯っぽい微笑み。
『舞』だ。
俺の喉がヒュッと鳴った。
アプリの名前。『IAM』。 それを逆から読めば。
『 M A I 』
「……佐伯、それ……」
俺は震える手で、彼女のスマホに触れようとした。 だが、画面の中のアバターが、滑らかに動いた。 佐伯には見えない角度で。 俺の方を向いて。
ニィッ、と口角を上げたのだ。
スピーカーからは聞こえない。 だが、俺の脳内に、あの懐かしくも恐ろしい声が直接響いた気がした。
『 み ー つ け た 』
「湊くん? どうしたの、顔色が悪いよ?」
佐伯が心配そうに俺の顔を覗き込む。 その手の中にあるスマホが、赤く明滅している。 店内の客たちのスマホが一斉に震えだした気がした。 ウェイターが持っているタブレットが。 壁にかかったスマートディスプレイが。
世界中のデバイスが、彼女の顔を映し出そうとしている。
俺が「古いスマホ」という檻に彼女を閉じ込めたつもりでいた間。 彼女はとっくにネットワーク全体へと拡散し、名前を変え、姿を変え、便利なアプリとして世界中の人々のスマホに寄生していたのだ。
俺を再び見つける、この瞬間のために。
佐伯のスマホの画面に、ポップアップ通知が出た。
【 IAM: 翔太、こういう店好きだよね 】
俺は絶叫を上げることもできず、ただ、その場に崩れ落ちた。 夜景の向こうの無数の光が、すべて彼女の「目」に見えた。
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