18 / 73
第1部_「触れないための規則(ルール)
第8話B:点と線
しおりを挟む
恐怖心を誤魔化すには、単純作業に限る。 私は、屋敷の裏手にある倉庫の扉を開けた。
冷たく乾いた空気が肌を刺す。 ここは普段、あまり使わない道具や、季節外れの家具が押し込まれている場所だ。 埃っぽい匂いの中に、古い木材と、微かに防虫香の香りが混じっている。
「……片付けよう」
私は袖をまくり、乱雑に積まれた木箱の山に向き合った。 旦那様が帰ってくるまで、あと一日。 何もしないで待っていると、あの「拒絶された瞬間」がフラッシュバックして息ができなくなる。 体を動かして、成果を出して、自分がここにいていい理由を作りたかった。
古いガーデニング用品、使わなくなった食器、読み終わった大量の書物。 旦那様は本当に物持ちがいい。どれも丁寧に手入れされていて、捨てるに捨てられなかったのだろうという迷いが感じられる。
奥の方に、ひときわ古い木箱があった。 蓋には『冬物』と、幾帳面な文字で書かれた紙が貼られている。 中身を確認して、虫干しをする必要があるかもしれない。 私は躊躇いつつも、その蓋を開けた。
「……あ」
中に入っていたのは、女性物の衣類だった。 厚手のコート、ショール、手袋。 どれもサイズが小さい。大柄な旦那様が着るには無理がある。 デザインも、少し前の流行のものだが、色使いが明るく華やかだ。地味好みの旦那様の趣味とは正反対に見える。
そして、箱の底に一冊の本があった。 『初めてでもできる、愛の編み物』。 表紙は擦り切れ、ページには何度も開かれたような折り目がついている。 本の間に、何かが挟まっていた。 編みかけの毛糸の切れ端と、メモ書きだ。
『段数を減らす』 『ここは緩めに』 『アルは首が太いから、長めにしないと』
丸っこくて、可愛らしい文字。 技術的なメモというよりは、誰かを想いながら試行錯誤した痕跡。
その瞬間、私の脳内でバラバラだったピースが、カチリと音を立てて嵌まった。
あの、不揃いな編み目のマフラー。 旦那様が頑なに守っていた、クローゼットの奥の聖域。 一人暮らしには広すぎるキッチン。 時折見せる、どこか遠くを見るような寂しげな眼差し。
――そうか。 あのマフラーは、ただの古着じゃなかった。 このメモを書いた女性が、不器用な手で、愛する人のために一生懸命編んだものだったんだ。 「アルは首が太いから」と、彼のことを想いながら。
私はその本を、震える手で閉じた。 胸が苦しい。 申し訳なさで、押し潰されそうになる。
私はなんて残酷なことをしたのだろう。 「ボロボロだから」「寒いから」なんて安易な理由で、彼と、亡くなった奥様との間に流れる時間を、否定してしまったも同然だ。 彼が怒るのも無理はない。 そこには、私のような他人が立ち入る隙間なんて、最初からなかったのだ。
あのマフラーに残っていた微弱な魔力。 あれは、技術によって込められたものではなく、純粋な「祈り」だった。 魔導縫製のプロとして、私はその尊さに気づくべきだったのに。
「……ごめんなさい」
誰もいない倉庫で、私は小さく謝罪の言葉を口にした。 涙が滲んでくる。
でも、泣いている場合じゃない。 私は立ち上がった。 私にできることはなんだろう。 謝ること? もちろんだ。 でも、それ以上に、私にしかできないことがあるはずだ。
私は倉庫を出て、自分の部屋へと走った。 針と糸。そして、私の持てる全ての魔導縫製技術。 あのマフラーは、もう限界を迎えている。放っておけば、あと数年で崩れてしまうだろう。 彼の思い出が、形を失ってしまう。
それは嫌だ。 彼にあんな悲しい顔をしてほしくない。 たとえ「余計なお世話だ」と再び怒鳴られたとしても、あの「祈り」は届くべきで、残るべきだ。
それが、私の罪滅ぼしであり、この屋敷に置いてもらっている私の、精一杯の誠意だ。 私は決意を固め、静まり返った屋敷の中で、彼が帰る時を待った。
冷たく乾いた空気が肌を刺す。 ここは普段、あまり使わない道具や、季節外れの家具が押し込まれている場所だ。 埃っぽい匂いの中に、古い木材と、微かに防虫香の香りが混じっている。
「……片付けよう」
私は袖をまくり、乱雑に積まれた木箱の山に向き合った。 旦那様が帰ってくるまで、あと一日。 何もしないで待っていると、あの「拒絶された瞬間」がフラッシュバックして息ができなくなる。 体を動かして、成果を出して、自分がここにいていい理由を作りたかった。
古いガーデニング用品、使わなくなった食器、読み終わった大量の書物。 旦那様は本当に物持ちがいい。どれも丁寧に手入れされていて、捨てるに捨てられなかったのだろうという迷いが感じられる。
奥の方に、ひときわ古い木箱があった。 蓋には『冬物』と、幾帳面な文字で書かれた紙が貼られている。 中身を確認して、虫干しをする必要があるかもしれない。 私は躊躇いつつも、その蓋を開けた。
「……あ」
中に入っていたのは、女性物の衣類だった。 厚手のコート、ショール、手袋。 どれもサイズが小さい。大柄な旦那様が着るには無理がある。 デザインも、少し前の流行のものだが、色使いが明るく華やかだ。地味好みの旦那様の趣味とは正反対に見える。
そして、箱の底に一冊の本があった。 『初めてでもできる、愛の編み物』。 表紙は擦り切れ、ページには何度も開かれたような折り目がついている。 本の間に、何かが挟まっていた。 編みかけの毛糸の切れ端と、メモ書きだ。
『段数を減らす』 『ここは緩めに』 『アルは首が太いから、長めにしないと』
丸っこくて、可愛らしい文字。 技術的なメモというよりは、誰かを想いながら試行錯誤した痕跡。
その瞬間、私の脳内でバラバラだったピースが、カチリと音を立てて嵌まった。
あの、不揃いな編み目のマフラー。 旦那様が頑なに守っていた、クローゼットの奥の聖域。 一人暮らしには広すぎるキッチン。 時折見せる、どこか遠くを見るような寂しげな眼差し。
――そうか。 あのマフラーは、ただの古着じゃなかった。 このメモを書いた女性が、不器用な手で、愛する人のために一生懸命編んだものだったんだ。 「アルは首が太いから」と、彼のことを想いながら。
私はその本を、震える手で閉じた。 胸が苦しい。 申し訳なさで、押し潰されそうになる。
私はなんて残酷なことをしたのだろう。 「ボロボロだから」「寒いから」なんて安易な理由で、彼と、亡くなった奥様との間に流れる時間を、否定してしまったも同然だ。 彼が怒るのも無理はない。 そこには、私のような他人が立ち入る隙間なんて、最初からなかったのだ。
あのマフラーに残っていた微弱な魔力。 あれは、技術によって込められたものではなく、純粋な「祈り」だった。 魔導縫製のプロとして、私はその尊さに気づくべきだったのに。
「……ごめんなさい」
誰もいない倉庫で、私は小さく謝罪の言葉を口にした。 涙が滲んでくる。
でも、泣いている場合じゃない。 私は立ち上がった。 私にできることはなんだろう。 謝ること? もちろんだ。 でも、それ以上に、私にしかできないことがあるはずだ。
私は倉庫を出て、自分の部屋へと走った。 針と糸。そして、私の持てる全ての魔導縫製技術。 あのマフラーは、もう限界を迎えている。放っておけば、あと数年で崩れてしまうだろう。 彼の思い出が、形を失ってしまう。
それは嫌だ。 彼にあんな悲しい顔をしてほしくない。 たとえ「余計なお世話だ」と再び怒鳴られたとしても、あの「祈り」は届くべきで、残るべきだ。
それが、私の罪滅ぼしであり、この屋敷に置いてもらっている私の、精一杯の誠意だ。 私は決意を固め、静まり返った屋敷の中で、彼が帰る時を待った。
45
あなたにおすすめの小説
「25歳OL、異世界で年上公爵の甘々保護対象に!? 〜女神ルミエール様の悪戯〜」
透子(とおるこ)
恋愛
25歳OL・佐神ミレイは、仕事も恋も完璧にこなす美人女子。しかし本当は、年上の男性に甘やかされたい願望を密かに抱いていた。
そんな彼女の前に現れたのは、気まぐれな女神ルミエール。理由も告げず、ミレイを異世界アルデリア王国の公爵家へ転移させる。そこには恐ろしく気難しいと評判の45歳独身公爵・アレクセイが待っていた。
最初は恐怖を覚えるミレイだったが、公爵の手厚い保護に触れ、次第に心を許す。やがて彼女は甘く溺愛される日々に――。
仕事も恋も頑張るOLが、異世界で年上公爵にゴロニャン♡ 甘くて胸キュンなラブストーリー、開幕!
---
テイマーなのに獣人ばかりにモテすぎて困ってます!~彼女はまだツンデレ獣人に番認定されたことに気付いてない~
しましまにゃんこ
恋愛
リリアは、この春、アリシア王国で冒険者になったばかりのテイマーの女の子。早く冒険者として活動したいのに、まだ一匹もテイムすることができずに焦っている。
森に入れば触手に襲われ、街を歩けば獣人に襲われる無自覚天然ドジキャラのリリア。
そんなリリアを溺愛し、陰ながらこっそり見守る黒ヒョウ獣人のロルフは、いつもリリアに振り回されっぱなし。
実は二人の間にはある秘密が!?
剣と魔法、魔法道具が使えるファンタジーな世界で、テイマーとして活躍したい女の子と、好きなのに好きといえない獣人の男の子の、勘違い、溺愛、ジレジレ、時にヤンデレなドタバタ系ラブコメです!
『王女様は聖女様!?おてんば姫の冒険録~全属性の賢者、500年後に転生する!ペットのドラゴンが迷子なので冒険者になって探しにいきます!』と同じ世界です。今後「王女様~」のほうでも登場予定です。お楽しみに!
小説家になろう、他サイトでも掲載しています。
契約妹、はじめました!
和島逆
恋愛
「契約結婚、ですか?」
「いいえ。『契約妹』です」
そんな会話から始まった、平民の私と伯爵子息様とのおかしな雇用関係。
エリート魔導技士でもある彼の目的は、重度のシスコン兄を演じて自身の縁談を遠ざけること。報酬は魅力的で、孤児である私にとっては願ってもないオイシイ話!
そうして始まった伯爵家での『契約妹』生活は、思った以上に快適で。義父と義母にも気に入られ、雇用主である偽のお兄様までだんだん優しくなってきたような……?
このお仕事、どうやら悪くないようです。
王宮医務室にお休みはありません。~休日出勤に疲れていたら、結婚前提のお付き合いを希望していたらしい騎士さまとデートをすることになりました。~
石河 翠
恋愛
王宮の医務室に勤める主人公。彼女は、連続する遅番と休日出勤に疲れはてていた。そんなある日、彼女はひそかに片思いをしていた騎士ウィリアムから夕食に誘われる。
食事に向かう途中、彼女は憧れていたお菓子「マリトッツォ」をウィリアムと美味しく食べるのだった。
そして休日出勤の当日。なぜか、彼女は怒り心頭の男になぐりこまれる。なんと、彼女に仕事を押しつけている先輩は、父親には自分が仕事を押しつけられていると話していたらしい。
しかし、そんな先輩にも実は誰にも相談できない事情があったのだ。ピンチに陥る彼女を救ったのは、やはりウィリアム。ふたりの距離は急速に近づいて……。
何事にも真面目で一生懸命な主人公と、誠実な騎士との恋物語。
扉絵は管澤捻さまに描いていただきました。
小説家になろう及びエブリスタにも投稿しております。
【完結】死の4番隊隊長の花嫁候補に選ばれました~鈍感女は溺愛になかなか気付かない~
白井ライス
恋愛
時は血で血を洗う戦乱の世の中。
国の戦闘部隊“黒炎の龍”に入隊が叶わなかった主人公アイリーン・シュバイツァー。
幼馴染みで喧嘩仲間でもあったショーン・マクレイリーがかの有名な特効部隊でもある4番隊隊長に就任したことを知る。
いよいよ、隣国との戦争が間近に迫ったある日、アイリーンはショーンから決闘を申し込まれる。
これは脳筋女と恋に不器用な魔術師が結ばれるお話。
【完結】懸命に働いた結果、無実の罪で魔王への生贄にされた聖女。でも、その『氷華の魔王』様に溺愛され、誰よりも幸福な人生を手に入れました。
小平ニコ
恋愛
主人公マリエラは懸命に聖女の役割を果たしてきたのに、婚約者である王太子ウィルハルドは、お気に入りの宮女のデタラメを真に受けて婚約破棄。そしてマリエラを恐るべき『氷華の魔王』レオナールへの生贄にしてしまう。
だが、冷徹で残忍と噂されるレオナールは、マリエラに対して深い愛情と優しさを注ぎ、マリエラを侮辱したウィルハルドの顎を氷漬けにして黙らせ、衆目の前で大恥をかかせた。
そして、レオナールと共に魔王国グレスウェアに移り住むマリエラ。レオナールの居城での新しい生活は、甘く幸福なものだった。互いに『運命の相手』と認め合い、愛を育み、信頼を深めていくマリエラとレオナール。
しかしレオナールは、生まれついての絶大な魔力ゆえの呪いとして、長く生きられない体だった。ショックに打ちひしがれるマリエラ。だがある日、封印された禁術を使えば、自らの寿命が大幅に減るものの、レオナールに命を分けることができると知るのだった。
その頃、王太子ウィルハルドは自分に恥をかかせた魔王レオナールへの憎しみを滾らせ、魔王国の反王政派と結託してレオナールの暗殺を企てる。
しかしそれは、あまりにも愚かな選択だった。レオナールのマリエラに対する態度があまりにも優しかったから、ウィルハルドは彼を侮り、忘れていたのである。『氷華の魔王』が恐るべき存在であることを……
クラスのマドンナがなぜか俺のメイドになっていた件について
沢田美
恋愛
名家の御曹司として何不自由ない生活を送りながらも、内気で陰気な性格のせいで孤独に生きてきた裕貴真一郎(ゆうき しんいちろう)。
かつてのいじめが原因で、彼は1年間も学校から遠ざかっていた。
しかし、久しぶりに登校したその日――彼は運命の出会いを果たす。
現れたのは、まるで絵から飛び出してきたかのような美少女。
その瞳にはどこかミステリアスな輝きが宿り、真一郎の心をかき乱していく。
「今日から私、あなたのメイドになります!」
なんと彼女は、突然メイドとして彼の家で働くことに!?
謎めいた美少女と陰キャ御曹司の、予測不能な主従ラブコメが幕を開ける!
カクヨム、小説家になろうの方でも連載しています!
記憶喪失の私はギルマス(強面)に拾われました【バレンタインSS投下】
かのこkanoko
恋愛
記憶喪失の私が強面のギルドマスターに拾われました。
名前も年齢も住んでた町も覚えてません。
ただ、ギルマスは何だか私のストライクゾーンな気がするんですが。
プロット無しで始める異世界ゆるゆるラブコメになる予定の話です。
小説家になろう様にも公開してます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる