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第1部_「触れないための規則(ルール)
第12話:押しかけ客
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嫌な予感というのは、得てして当たるものだ。 翌日の午後。森の静寂を切り裂くようにして、一台の豪奢な馬車が屋敷の前に乗り付けた。
車輪には衝撃吸収の魔術刻印、窓枠には金細工。 泥だらけの田舎道には似つかわしくないその威容を見て、俺は玄関先で眉間の皺を深くした。
「……アルベルト様とお見受けする。突然の訪問、失礼いたします」
馬車から降りてきたのは、仕立ての良いスーツを着た中年の男だった。 撫で付けた髪に、鼻につく香水の匂い。目は笑っているが、瞳の奥は値踏みするような光を帯びている。 ガランド商会の幹部、ザイグと名乗った男は、俺への挨拶もそこそこに、背後に控えていたノア君へと視線を移した。
「おお……! 素晴らしい。実物は肖像画以上に美しい」
ザイグは大げさに両手を広げ、ノア君の足元から頭のてっぺんまでをねめ回すように見た。
「その重装メイド服! 完璧な魔力縫製だ。無駄を削ぎ落とした機能美、そして着用者の安全を絶対とする設計思想……。まさに君の最高傑作だね、ノア君」
ノア君の肩が、ビクリと震えた。 彼女は俺の後ろに半歩下がり、顔を俯かせている。いつもの凛とした態度はどこへやら、怯えた子供のように縮こまっていた。
「……お引き取りください。お断りの手紙は出したはずです」
「手紙? ああ、あんな紙切れ一枚で諦められるはずがないでしょう」
ザイグは鼻で笑い、勝手に屋敷の中へと足を踏み入れた。 俺は慌ててそれを追う。
「おい、待て。勝手に入らないでくれ」
「立ち話もなんですし、中でゆっくり条件を詰めましょう。なぁに、悪い話ではありませんよ」
男はリビングのソファにふんぞり返ると、部屋の中を見回して、わざとらしい溜息をついた。
「しかし……酷いものですね」
「……何がだ」
「この環境ですよ。壁のクロスは剥がれかけているし、調度品も時代遅れだ。隙間風も入る」
彼はテーブルの上の埃(そんなものはないはずだが)を指先で払う仕草をした。
「王都で神童と呼ばれた魔導縫製師が働く場所ではありませんな。まるで宝石を泥の中に投げ捨てているようだ」
「……ッ」
俺は拳を握りしめた。 屋敷を馬鹿にされたことよりも、俺の生活そのものが「彼女を汚している」と言われた気がして、反論できなかったからだ。
ザイグは勝ち誇ったように、ノア君に向き直った。
「ノア君。君の才能は、こんな田舎で掃除洗濯をするためにあるんじゃない。王都へ戻りたまえ。君が作る防護服を待っている騎士や貴族は山ほどいる」
「……私は」
「給金は三倍と言ったが、五倍でもいい。専用のアトリエも用意しよう。君はこの国の宝なんだ。それを……」
ザイグはチラリと俺を見て、嘲るように口角を上げた。
「……こんな、くたびれた隠居老人の介護に使っていい才能じゃないんだよ」
空気が凍った。 ノア君が顔を上げる。その瞳には怒りの色が宿っていたが、それ以上に「正論」で殴られたような絶望が滲んでいた。
俺は、何も言えなかった。 図星だったからだ。 俺はただの、過去にすがるだけの元騎士だ。金もない。名誉もない。彼女に与えられるのは、この古びた屋敷と、静かな時間だけ。 彼女の輝かしい未来を考えれば、この男の言う通り、俺のそばにいることは「損失」でしかないのかもしれない。
「さあ、契約書だ。サインしたまえ」
ザイグが羊皮紙をテーブルに広げる。 ノア君は震える手でそれを拒もうとするが、声が出ないようだった。 かつて彼女をすり減らした「効率と数字の世界」が、土足でここまで追いかけてきた恐怖。彼女は俺の袖を掴もうとして、躊躇い、手を引っ込めた。
その仕草が、俺の腹の底にある残り火に油を注いだ。
(……ふざけるな)
俺が情けないのは事実だ。 だが、彼女を怯えさせ、震えさせてまで連れて行こうとするそのやり方は、商談じゃない。ただの暴力だ。
「……帰ってくれ」
俺は低く言った。 ザイグが「は?」と眉を寄せる。
「聞こえなかったか。帰れと言ったんだ」
俺は一歩、前に出た。 ノア君を背中に庇うようにして、男の前に立つ。 俺の中の「枯れたおっさん」が引っ込み、昔取った杵柄――「剣聖」としてのスイッチが、カチリと入る音がした。
車輪には衝撃吸収の魔術刻印、窓枠には金細工。 泥だらけの田舎道には似つかわしくないその威容を見て、俺は玄関先で眉間の皺を深くした。
「……アルベルト様とお見受けする。突然の訪問、失礼いたします」
馬車から降りてきたのは、仕立ての良いスーツを着た中年の男だった。 撫で付けた髪に、鼻につく香水の匂い。目は笑っているが、瞳の奥は値踏みするような光を帯びている。 ガランド商会の幹部、ザイグと名乗った男は、俺への挨拶もそこそこに、背後に控えていたノア君へと視線を移した。
「おお……! 素晴らしい。実物は肖像画以上に美しい」
ザイグは大げさに両手を広げ、ノア君の足元から頭のてっぺんまでをねめ回すように見た。
「その重装メイド服! 完璧な魔力縫製だ。無駄を削ぎ落とした機能美、そして着用者の安全を絶対とする設計思想……。まさに君の最高傑作だね、ノア君」
ノア君の肩が、ビクリと震えた。 彼女は俺の後ろに半歩下がり、顔を俯かせている。いつもの凛とした態度はどこへやら、怯えた子供のように縮こまっていた。
「……お引き取りください。お断りの手紙は出したはずです」
「手紙? ああ、あんな紙切れ一枚で諦められるはずがないでしょう」
ザイグは鼻で笑い、勝手に屋敷の中へと足を踏み入れた。 俺は慌ててそれを追う。
「おい、待て。勝手に入らないでくれ」
「立ち話もなんですし、中でゆっくり条件を詰めましょう。なぁに、悪い話ではありませんよ」
男はリビングのソファにふんぞり返ると、部屋の中を見回して、わざとらしい溜息をついた。
「しかし……酷いものですね」
「……何がだ」
「この環境ですよ。壁のクロスは剥がれかけているし、調度品も時代遅れだ。隙間風も入る」
彼はテーブルの上の埃(そんなものはないはずだが)を指先で払う仕草をした。
「王都で神童と呼ばれた魔導縫製師が働く場所ではありませんな。まるで宝石を泥の中に投げ捨てているようだ」
「……ッ」
俺は拳を握りしめた。 屋敷を馬鹿にされたことよりも、俺の生活そのものが「彼女を汚している」と言われた気がして、反論できなかったからだ。
ザイグは勝ち誇ったように、ノア君に向き直った。
「ノア君。君の才能は、こんな田舎で掃除洗濯をするためにあるんじゃない。王都へ戻りたまえ。君が作る防護服を待っている騎士や貴族は山ほどいる」
「……私は」
「給金は三倍と言ったが、五倍でもいい。専用のアトリエも用意しよう。君はこの国の宝なんだ。それを……」
ザイグはチラリと俺を見て、嘲るように口角を上げた。
「……こんな、くたびれた隠居老人の介護に使っていい才能じゃないんだよ」
空気が凍った。 ノア君が顔を上げる。その瞳には怒りの色が宿っていたが、それ以上に「正論」で殴られたような絶望が滲んでいた。
俺は、何も言えなかった。 図星だったからだ。 俺はただの、過去にすがるだけの元騎士だ。金もない。名誉もない。彼女に与えられるのは、この古びた屋敷と、静かな時間だけ。 彼女の輝かしい未来を考えれば、この男の言う通り、俺のそばにいることは「損失」でしかないのかもしれない。
「さあ、契約書だ。サインしたまえ」
ザイグが羊皮紙をテーブルに広げる。 ノア君は震える手でそれを拒もうとするが、声が出ないようだった。 かつて彼女をすり減らした「効率と数字の世界」が、土足でここまで追いかけてきた恐怖。彼女は俺の袖を掴もうとして、躊躇い、手を引っ込めた。
その仕草が、俺の腹の底にある残り火に油を注いだ。
(……ふざけるな)
俺が情けないのは事実だ。 だが、彼女を怯えさせ、震えさせてまで連れて行こうとするそのやり方は、商談じゃない。ただの暴力だ。
「……帰ってくれ」
俺は低く言った。 ザイグが「は?」と眉を寄せる。
「聞こえなかったか。帰れと言ったんだ」
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