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第1部_「触れないための規則(ルール)
第13話:剣聖の威圧
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俺が前に出ると、ザイグは嘲るように鼻を鳴らした。
「はっ、帰れ? この私にか? 老いぼれの世捨て人が、ガランド商会の幹部に向かって何を偉そうに」
ザイグが指をパチンと鳴らす。 屋敷の外に控えていた護衛らしき大柄な男たちが、ドカドカと玄関に入ってきた。二人。どちらも剣を帯びている。傭兵崩れといった風体だ。
「おい、この聞き分けのない老人を少し静かにさせろ。ああ、殺すなよ? ノア君が悲しむからな」
ザイグが下卑た笑みを浮かべ、葉巻を取り出す。 背後で、ノア君が息を呑む気配がした。彼女が俺の服の裾をギュッと握りしめる。その震えが伝わってくる。
「……旦那様、いけません。彼らはプロの護衛です。暴力沙汰になれば、旦那様が……」
彼女は俺を心配しているのだ。 元騎士とはいえ、今の俺はただの草臥れた中年男にしか見えないだろう。自分のせいで傷ついてほしくない、という優しさが痛いほど分かる。
だからこそ、俺は腹が決まった。
「……ノア君。後ろに下がっていなさい」
「ですが!」
「大丈夫だ。少し、昔の顔に戻るだけだからな」
俺は彼女の手を優しく解き、ザイグたちへ向き直った。
息を吸う。 肺の奥底に溜まった澱んだ空気を吐き出し、代わりに鋭く冷たい気配を吸い込む。 意識のスイッチを切り替える。 「隠居老人アルベルト」から、「剣聖アルベルト」へ。
――カチリ、と。 世界の色が変わった。
「……あ?」
最初に異変に気づいたのは、護衛の男たちだった。 彼らは武器に手をかけたまま、石のように硬直した。 顔色が青を通り越して土気色になり、脂汗が滝のように噴き出している。
俺は何もしていない。 剣も抜いていないし、大声も出していない。 ただ、少しだけ「漏らした」だけだ。 かつて戦場で数多の敵を葬り去ってきた、濃密な死の気配を。
「な、なんだ……お前……?」
一人の護衛が、ガチガチと歯を鳴らしながら後ずさる。 彼らの目には、俺がどう映っているのだろうか。 ただ立っているだけの中年男が、突然、首元に切っ先を突きつけられたような錯覚に陥っているはずだ。 生物としての格の違い。 抵抗すれば死ぬ、という原初的な恐怖。
俺は静かに、床板を踏みしめた。 コツン。 ただの一歩。 だが、その音が雷鳴のように響いたのか、護衛の一人が「ひっ!」と悲鳴を上げて尻餅をついた。
「……私の家で、私の大切な従業員を侮辱し、さらに土足で上がり込んで暴力を振るおうとする」
俺はザイグを見た。 彼はソファに座ったまま、葉巻を取り落としていた。 口をパクパクと開閉させ、金魚のように喘いでいる。呼吸がうまくできていないのだ。俺の放つ威圧(プレッシャー)にあてられて、空気が鉛のように重く感じているのだろう。
「商談という名の強要。引き抜きという名の略奪。……それがガランド商会のやり方か?」
俺はゆっくりと彼に近づく。 ザイグの目が、恐怖で見開かれる。 俺の瞳の奥に、かつて「剣聖」と呼ばれた頃の、冷徹な修羅の光を見たのかもしれない。
「ひ、ひぃ……っ!?」
「失せろ」
短く、告げる。
「二度とこの敷地を跨ぐな。ノア君にも近づくな。……次にその汚い顔を見せたら、商会ごと王都の地図から消してやる」
それは脅しではない。 その気になれば、俺一人で商会の本部を壊滅させることなど造作もないという、事実の宣告だ。
「わ、わあああああああっ!!」
ザイグは悲鳴を上げ、ソファから転げ落ちるようにして逃げ出した。 高価なスーツが汚れるのも構わず、四つん這いで玄関へと走る。 護衛たちも我先にと逃げ出した。
馬車のドアが乱暴に閉まり、御者が鞭を打つ音が響く。 嵐のような騒がしさで、招かれざる客たちは去っていった。
屋敷に、再び静寂が戻る。
「……ふゥ」
俺は大きく息を吐き、肩の力を抜いた。 スイッチを切る。 重苦しい威圧が消え、いつもの穏やかな午後の空気が戻ってくる。
少し、やりすぎただろうか。 久しぶりに本気で威圧したせいで、首筋が凝ってしまった。 俺は首をコキコキと鳴らしながら、恐る恐る後ろを振り返った。
ノア君が、立ち尽くしている。 大きな瞳をさらに大きく見開き、ポカンと口を開けて俺を見ていた。 まずい。怖がらせてしまったか。 あんな、人殺しのような目をした男なんて、気味が悪かっただろう。
「あー、すまん。驚かせたな。……その、少し昔取った杵柄というか……」
俺が言い訳をしようと頭をかくと、彼女がハッと我に返った。 そして、駆け寄ってくる。 その顔は恐怖ではなく――。
「旦那様……!」
キラキラと輝く、尊敬と憧憬の眼差しだった。
「凄い……! いえ、凄すぎます! 魔法も使わず、気迫だけでプロの護衛を退けるなんて! まるで物語に出てくる英雄のようでした!」
「へ?」
「あのザイグがあんな顔をして逃げ出すなんて……! 最高です、胸がすっとしました!」
彼女は興奮冷めやらぬ様子で、俺の手を握りしめた。 その手が温かい。 怖がられていないことに安堵しつつ、俺は少し照れくさくなって視線を逸らした。
「い、いや、ただのハッタリだよ。大声を出して追い返しただけだ」
「いいえ、分かります。あれは本物の強さです。……旦那様が、私を守ってくださったんですね」
彼女の声が、少し湿り気を帯びる。
「私のようなメイドのために、あんな……」
「当然だ」
俺は彼女の手を握り返し、真面目な顔で言った。
「君はウチの従業員だ。雇用主には、従業員の労働環境を守る義務があるからな」
それは建前だ。 本音は、ただ彼女を奪われたくなかっただけだ。 けれど、今の俺にはそれが精一杯の言葉だった。
ノア君は一瞬キョトンとし、それから今日一番の、花が咲くような笑顔を見せた。
「……はい! 最高の雇用主様です!」
その笑顔を見れただけで、久しぶりに剣聖の仮面を被った甲斐があったというものだ。 俺たちは顔を見合わせて笑い合い、散らかった玄関の片付けを始めた。
「はっ、帰れ? この私にか? 老いぼれの世捨て人が、ガランド商会の幹部に向かって何を偉そうに」
ザイグが指をパチンと鳴らす。 屋敷の外に控えていた護衛らしき大柄な男たちが、ドカドカと玄関に入ってきた。二人。どちらも剣を帯びている。傭兵崩れといった風体だ。
「おい、この聞き分けのない老人を少し静かにさせろ。ああ、殺すなよ? ノア君が悲しむからな」
ザイグが下卑た笑みを浮かべ、葉巻を取り出す。 背後で、ノア君が息を呑む気配がした。彼女が俺の服の裾をギュッと握りしめる。その震えが伝わってくる。
「……旦那様、いけません。彼らはプロの護衛です。暴力沙汰になれば、旦那様が……」
彼女は俺を心配しているのだ。 元騎士とはいえ、今の俺はただの草臥れた中年男にしか見えないだろう。自分のせいで傷ついてほしくない、という優しさが痛いほど分かる。
だからこそ、俺は腹が決まった。
「……ノア君。後ろに下がっていなさい」
「ですが!」
「大丈夫だ。少し、昔の顔に戻るだけだからな」
俺は彼女の手を優しく解き、ザイグたちへ向き直った。
息を吸う。 肺の奥底に溜まった澱んだ空気を吐き出し、代わりに鋭く冷たい気配を吸い込む。 意識のスイッチを切り替える。 「隠居老人アルベルト」から、「剣聖アルベルト」へ。
――カチリ、と。 世界の色が変わった。
「……あ?」
最初に異変に気づいたのは、護衛の男たちだった。 彼らは武器に手をかけたまま、石のように硬直した。 顔色が青を通り越して土気色になり、脂汗が滝のように噴き出している。
俺は何もしていない。 剣も抜いていないし、大声も出していない。 ただ、少しだけ「漏らした」だけだ。 かつて戦場で数多の敵を葬り去ってきた、濃密な死の気配を。
「な、なんだ……お前……?」
一人の護衛が、ガチガチと歯を鳴らしながら後ずさる。 彼らの目には、俺がどう映っているのだろうか。 ただ立っているだけの中年男が、突然、首元に切っ先を突きつけられたような錯覚に陥っているはずだ。 生物としての格の違い。 抵抗すれば死ぬ、という原初的な恐怖。
俺は静かに、床板を踏みしめた。 コツン。 ただの一歩。 だが、その音が雷鳴のように響いたのか、護衛の一人が「ひっ!」と悲鳴を上げて尻餅をついた。
「……私の家で、私の大切な従業員を侮辱し、さらに土足で上がり込んで暴力を振るおうとする」
俺はザイグを見た。 彼はソファに座ったまま、葉巻を取り落としていた。 口をパクパクと開閉させ、金魚のように喘いでいる。呼吸がうまくできていないのだ。俺の放つ威圧(プレッシャー)にあてられて、空気が鉛のように重く感じているのだろう。
「商談という名の強要。引き抜きという名の略奪。……それがガランド商会のやり方か?」
俺はゆっくりと彼に近づく。 ザイグの目が、恐怖で見開かれる。 俺の瞳の奥に、かつて「剣聖」と呼ばれた頃の、冷徹な修羅の光を見たのかもしれない。
「ひ、ひぃ……っ!?」
「失せろ」
短く、告げる。
「二度とこの敷地を跨ぐな。ノア君にも近づくな。……次にその汚い顔を見せたら、商会ごと王都の地図から消してやる」
それは脅しではない。 その気になれば、俺一人で商会の本部を壊滅させることなど造作もないという、事実の宣告だ。
「わ、わあああああああっ!!」
ザイグは悲鳴を上げ、ソファから転げ落ちるようにして逃げ出した。 高価なスーツが汚れるのも構わず、四つん這いで玄関へと走る。 護衛たちも我先にと逃げ出した。
馬車のドアが乱暴に閉まり、御者が鞭を打つ音が響く。 嵐のような騒がしさで、招かれざる客たちは去っていった。
屋敷に、再び静寂が戻る。
「……ふゥ」
俺は大きく息を吐き、肩の力を抜いた。 スイッチを切る。 重苦しい威圧が消え、いつもの穏やかな午後の空気が戻ってくる。
少し、やりすぎただろうか。 久しぶりに本気で威圧したせいで、首筋が凝ってしまった。 俺は首をコキコキと鳴らしながら、恐る恐る後ろを振り返った。
ノア君が、立ち尽くしている。 大きな瞳をさらに大きく見開き、ポカンと口を開けて俺を見ていた。 まずい。怖がらせてしまったか。 あんな、人殺しのような目をした男なんて、気味が悪かっただろう。
「あー、すまん。驚かせたな。……その、少し昔取った杵柄というか……」
俺が言い訳をしようと頭をかくと、彼女がハッと我に返った。 そして、駆け寄ってくる。 その顔は恐怖ではなく――。
「旦那様……!」
キラキラと輝く、尊敬と憧憬の眼差しだった。
「凄い……! いえ、凄すぎます! 魔法も使わず、気迫だけでプロの護衛を退けるなんて! まるで物語に出てくる英雄のようでした!」
「へ?」
「あのザイグがあんな顔をして逃げ出すなんて……! 最高です、胸がすっとしました!」
彼女は興奮冷めやらぬ様子で、俺の手を握りしめた。 その手が温かい。 怖がられていないことに安堵しつつ、俺は少し照れくさくなって視線を逸らした。
「い、いや、ただのハッタリだよ。大声を出して追い返しただけだ」
「いいえ、分かります。あれは本物の強さです。……旦那様が、私を守ってくださったんですね」
彼女の声が、少し湿り気を帯びる。
「私のようなメイドのために、あんな……」
「当然だ」
俺は彼女の手を握り返し、真面目な顔で言った。
「君はウチの従業員だ。雇用主には、従業員の労働環境を守る義務があるからな」
それは建前だ。 本音は、ただ彼女を奪われたくなかっただけだ。 けれど、今の俺にはそれが精一杯の言葉だった。
ノア君は一瞬キョトンとし、それから今日一番の、花が咲くような笑顔を見せた。
「……はい! 最高の雇用主様です!」
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