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第1部_「触れないための規則(ルール)
第20話(最終話):新しい契約
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季節が巡り、森の木々が鮮やかな緑に染まる初夏が訪れていた。
あの襲撃事件から数ヶ月。 私の左腕の傷はすっかり癒えた。リハビリも兼ねて剣を振るう日々だが、以前のような悲壮感はない。 ガランド商会は、王宮からの圧力と、俺の昔の部下たちの徹底的な「捜査」によって事実上の解体へと追い込まれた。 森の屋敷には、再び平和な静寂が戻ってきている。
ただ、一つだけ劇的に変わったことがある。
「旦那様、休憩の時間です」
書斎の扉がノックなしで開かれた。 かつての「鉄の掟」であった『書斎への入室禁止』は、とっくの昔に撤廃されている。 入ってきたのは、相変わらず重厚な【対魔導防護仕様】のメイド服に身を包んだノアだ。 季節に合わせて空調魔法の出力は上げているらしいが、その見た目の暑苦しさと、要塞のような防御力は変わらない。
「ああ、ありがとう。……ちょうど根を詰めていたところだ」
俺はペンを置き、彼女がワゴンで運んできた紅茶を受け取った。 ダージリンの香り。完璧な温度。 彼女はカップを置くと、そのまま私のデスクの横に立ったまま、じっと私を見下ろしている。
「……なんだ? 顔に何かついているか?」
「いいえ。ただ、顔色がよろしいので安心いたしました」
彼女は無表情のまま、スッと私のデスクに腰掛けようとして――ふと思い直したように、私の太ももの上に視線を移した。 そして、何の前触れもなく、ドスンと私の膝の上に座った。
「ぶふっ!?」
俺は思わず変な声を出した。 重い。 いや、彼女自身は羽のように軽いはずなのだが、彼女が着ているその「鎧」のようなスカートと、縫い込まれた鉛のウェイトが物理的に重いのだ。 ずしり、と太ももに食い込む重量感。
「の、ノア君……? これは一体……?」
「疲労回復には、適度なスキンシップが有効であると医学書にありました」
「どこの医学書だそれは!」
「私の創作です」
彼女は涼しい顔で嘘をつき、私の胸板に背中を預けてきた。 硬いコルセットの感触。その奥にある、柔らかい体温。 至近距離で漂う石鹸の香りに、俺の心臓は早鐘を打ち始める。
数ヶ月前、俺たちは「契約」を更新した。 『死ぬまで一緒にいる』という、事実上のプロポーズのような契約だ。 それ以来、彼女の距離感(物理)はバグってしまった。ことあるごとにこうして、猫のようにくっついてくる。
「……旦那様。心拍数が上がっています」
「当たり前だ。……君みたいな可愛い子が膝に乗っていて、平気な男がいるか」
「『可愛い子』。……ふふ、頂きました」
彼女は嬉しそうに目を細め、私の首に腕を回した。 その仕草は自然で、そしてどこか艶めかしい。 かつて「鉄壁」と呼ばれた彼女のガードは、俺に対してだけは完全に解除されている。いや、むしろ積極的に攻め込んできている。
「……ねえ、アルベルトさん」
二人の時は、名前で呼ぶようになった。 彼女が耳元で囁く。
「私がここに残った理由、本当に『静かな環境』だけだと思っていましたか?」
「え……? いや、まあ、君は仕事熱心だし……」
「鈍感ですね」
彼女は呆れたように息を吐き、指先で私の頬をなぞった。
「最初にお会いした時……貴方が机の下で、私の服装を見て動揺していたこと。気づいていましたよ?」 「ッ!!?」
俺は硬直した。 まさか。初めて会った日の、ラフな格好を見てドギマギしていたあの醜態を、見抜かれていた。
「視線のやり場に困って、顔を赤くして。……そのくせ、私の体には指一本触れずに、必死に理性を保とうとしていた」
彼女はクスクスと笑う。 その笑顔は、小悪魔のようだった。
「前の職場の男たちは、ギラギラした欲望を隠そうともしませんでした。でも貴方は違った。……枯れたフリをして、中身は誰よりも誠実で、可愛らしい人」
彼女は私の額に、チュッと音を立ててキスをした。
「お金目当てや、環境目当てなんかじゃありません。……私は最初から、貴方のその『不器用な優しさ』に惚れ込んでいたんですよ?」
顔から火が出るどころか、全身が爆発しそうだった。 俺はずっと、自分が彼女を雇ってやっている、守ってやっているつもりでいた。 だが実際は、最初から彼女の手のひらの上で転がされていたのだ。
「……参ったな。俺はとんだピエロだったわけだ」
「いいえ。最高の『旦那様』ですよ」
彼女は私の胸に顔を埋めた。 重装メイド服の硬い感触が、今は心地よい。これが彼女なりの愛情表現であり、俺たち二人だけの「形」なのだ。
「……ねえ、旦那様」
「ん?」
「さっきから、手が泳いでいますよ。……腰に回すくらい、許して差し上げますのに」
彼女が上目遣いで俺を見る。
「それとも……意外と、女性経験少ないんですか?」
その悪戯っぽい問いかけに、俺は観念して、彼女の腰――硬いコルセットの上から、そっと腕を回した。
「……うるさい。これから勉強していくんだよ、一生かけてな」
「はい。厳しく指導させていただきますね」
彼女は満面の笑みを浮かべ、俺に抱きついた。
窓の外では、初夏の風が吹き抜けていく。 部屋には紅茶の香りと、二人の穏やかな体温。 『鉄壁のメイド』は、もう愛を乞うたりはしない。 なぜなら、ここには既に、溢れんばかりの愛があるのだから。
俺は彼女の背中を抱きしめながら、心の中で亡き妻に語りかけた。 『レティ。俺はもう少し、こちらの世界で幸せになろうと思う』 首元のマフラーが、微かに温かくなった気がした。
これが、俺と彼女の新しい日常。 鉄壁の要塞と、枯れた剣聖の、甘くて重たい共同生活は、まだ始まったばかりだ。
あの襲撃事件から数ヶ月。 私の左腕の傷はすっかり癒えた。リハビリも兼ねて剣を振るう日々だが、以前のような悲壮感はない。 ガランド商会は、王宮からの圧力と、俺の昔の部下たちの徹底的な「捜査」によって事実上の解体へと追い込まれた。 森の屋敷には、再び平和な静寂が戻ってきている。
ただ、一つだけ劇的に変わったことがある。
「旦那様、休憩の時間です」
書斎の扉がノックなしで開かれた。 かつての「鉄の掟」であった『書斎への入室禁止』は、とっくの昔に撤廃されている。 入ってきたのは、相変わらず重厚な【対魔導防護仕様】のメイド服に身を包んだノアだ。 季節に合わせて空調魔法の出力は上げているらしいが、その見た目の暑苦しさと、要塞のような防御力は変わらない。
「ああ、ありがとう。……ちょうど根を詰めていたところだ」
俺はペンを置き、彼女がワゴンで運んできた紅茶を受け取った。 ダージリンの香り。完璧な温度。 彼女はカップを置くと、そのまま私のデスクの横に立ったまま、じっと私を見下ろしている。
「……なんだ? 顔に何かついているか?」
「いいえ。ただ、顔色がよろしいので安心いたしました」
彼女は無表情のまま、スッと私のデスクに腰掛けようとして――ふと思い直したように、私の太ももの上に視線を移した。 そして、何の前触れもなく、ドスンと私の膝の上に座った。
「ぶふっ!?」
俺は思わず変な声を出した。 重い。 いや、彼女自身は羽のように軽いはずなのだが、彼女が着ているその「鎧」のようなスカートと、縫い込まれた鉛のウェイトが物理的に重いのだ。 ずしり、と太ももに食い込む重量感。
「の、ノア君……? これは一体……?」
「疲労回復には、適度なスキンシップが有効であると医学書にありました」
「どこの医学書だそれは!」
「私の創作です」
彼女は涼しい顔で嘘をつき、私の胸板に背中を預けてきた。 硬いコルセットの感触。その奥にある、柔らかい体温。 至近距離で漂う石鹸の香りに、俺の心臓は早鐘を打ち始める。
数ヶ月前、俺たちは「契約」を更新した。 『死ぬまで一緒にいる』という、事実上のプロポーズのような契約だ。 それ以来、彼女の距離感(物理)はバグってしまった。ことあるごとにこうして、猫のようにくっついてくる。
「……旦那様。心拍数が上がっています」
「当たり前だ。……君みたいな可愛い子が膝に乗っていて、平気な男がいるか」
「『可愛い子』。……ふふ、頂きました」
彼女は嬉しそうに目を細め、私の首に腕を回した。 その仕草は自然で、そしてどこか艶めかしい。 かつて「鉄壁」と呼ばれた彼女のガードは、俺に対してだけは完全に解除されている。いや、むしろ積極的に攻め込んできている。
「……ねえ、アルベルトさん」
二人の時は、名前で呼ぶようになった。 彼女が耳元で囁く。
「私がここに残った理由、本当に『静かな環境』だけだと思っていましたか?」
「え……? いや、まあ、君は仕事熱心だし……」
「鈍感ですね」
彼女は呆れたように息を吐き、指先で私の頬をなぞった。
「最初にお会いした時……貴方が机の下で、私の服装を見て動揺していたこと。気づいていましたよ?」 「ッ!!?」
俺は硬直した。 まさか。初めて会った日の、ラフな格好を見てドギマギしていたあの醜態を、見抜かれていた。
「視線のやり場に困って、顔を赤くして。……そのくせ、私の体には指一本触れずに、必死に理性を保とうとしていた」
彼女はクスクスと笑う。 その笑顔は、小悪魔のようだった。
「前の職場の男たちは、ギラギラした欲望を隠そうともしませんでした。でも貴方は違った。……枯れたフリをして、中身は誰よりも誠実で、可愛らしい人」
彼女は私の額に、チュッと音を立ててキスをした。
「お金目当てや、環境目当てなんかじゃありません。……私は最初から、貴方のその『不器用な優しさ』に惚れ込んでいたんですよ?」
顔から火が出るどころか、全身が爆発しそうだった。 俺はずっと、自分が彼女を雇ってやっている、守ってやっているつもりでいた。 だが実際は、最初から彼女の手のひらの上で転がされていたのだ。
「……参ったな。俺はとんだピエロだったわけだ」
「いいえ。最高の『旦那様』ですよ」
彼女は私の胸に顔を埋めた。 重装メイド服の硬い感触が、今は心地よい。これが彼女なりの愛情表現であり、俺たち二人だけの「形」なのだ。
「……ねえ、旦那様」
「ん?」
「さっきから、手が泳いでいますよ。……腰に回すくらい、許して差し上げますのに」
彼女が上目遣いで俺を見る。
「それとも……意外と、女性経験少ないんですか?」
その悪戯っぽい問いかけに、俺は観念して、彼女の腰――硬いコルセットの上から、そっと腕を回した。
「……うるさい。これから勉強していくんだよ、一生かけてな」
「はい。厳しく指導させていただきますね」
彼女は満面の笑みを浮かべ、俺に抱きついた。
窓の外では、初夏の風が吹き抜けていく。 部屋には紅茶の香りと、二人の穏やかな体温。 『鉄壁のメイド』は、もう愛を乞うたりはしない。 なぜなら、ここには既に、溢れんばかりの愛があるのだから。
俺は彼女の背中を抱きしめながら、心の中で亡き妻に語りかけた。 『レティ。俺はもう少し、こちらの世界で幸せになろうと思う』 首元のマフラーが、微かに温かくなった気がした。
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