田舎の元騎士団長はどタイプメイドに振り回される

れおぽん

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第4部_「幸せな気持ちで、帰ってもいい」

第54話:恐妻家の遺言

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王都の空は、茜色から群青へと変わろうとしていた。
アルベルトが日常を守る決断をした数刻後。街には夕食の支度をする煙が立ち上り、あちこちから家族を呼ぶ声や笑い声が聞こえてくる。
明日、この日常が脅かされるかもしれないということを知っているのは、ごく一部の人間だけだ。

大通りの市場を、一組の男女が歩いていた。騎士団長のグレイブと、その妻であり王立魔導研究院主席のミリアムだ。

「おい、グレイブ。ぼさっとしてないで荷物持ちなさいよ」
「はいはい。……今日は随分と買い込むな」

グレイブは、ミリアムから渡されたずっしりと重い籠を抱え直した。中には、分厚いベーコン、新鮮な卵、そして彼があまり得意ではない葉野菜が山のように詰め込まれている。

「当たり前でしょ。あんた最近、執務室に籠りきりで顔色が悪いのよ。明日からの……大仕事の前に、少しくらいスタミナつくもの食べさせないと、見ててイライラするわ」

ミリアムはつっけんどんに言いながら、パン屋の店先で足を止めた。彼女は、明日の作戦が無謀な「捨て石」作戦であることを知っている。アルベルトが断った以上、夫であるグレイブが自ら死地へ向かうつもりであることも、長年の付き合いで察していた。

それでも彼女は、決して「行くな」とは言わなかった。泣いてすがることも、怒って止めることもしない。ただ、不機嫌そうに眉を寄せ、いつもより少しだけ乱暴に買い物を続けるだけだ。

「……おばちゃん、このバゲット固いやつね。あとクルミパンも二つ」「はいよ。仲がいいねぇ、ご夫婦で」

店主に冷やかされ、ミリアムは「どこがよ」と鼻を鳴らしたが、その手はグレイブの袖をしっかりと掴んでいた。

帰り道。王都を流れる川にかかる橋の上で、不意にミリアムが足を止めた。川面には、一番星が揺れている。

「……ねえ」

彼女は欄干に手をつき、背を向けたままぽつりと言った。

「あんた、明日は先頭に立つ気でしょ」

問いかけではなく、確認だった。グレイブは苦笑し、隣に並んだ。隠しても無駄だ。この「恐妻」の前では、どんな作戦も嘘も見透かされてしまう。

「……悪いな。アルベルトさんが行かないなら、俺がやるしかない」「馬鹿ね。あんたじゃアルベルトの代わりなんて務まらないわよ。……死ぬわよ?」「ああ。……かもな」

グレイブは川を見つめた。死ぬのは怖い。だが、この街で暮らす人々を、そして何より隣にいるこの女性を守るためなら、命をチップとしてテーブルに置くことに躊躇いはなかった。

「……ミリアム。もし俺が帰らなかったら、家の権利書は……」「あんたが帰ってこなかったら」

ミリアムが、鋭い声で遮った。彼女が振り返る。夕闇の中で、その瞳が潤み、怒りと悲しみで揺れているのが見えた。

「地獄の果てまで、あんたを探しに行くわよ」「えっ」「どうせ、『腹減った』とか『道に迷った』とか言って、三途の川のほとりで情けなく伸びてるに決まってるわ。……私がいないと、あんたはネクタイ一つ満足に結べないんだから」

彼女はグレイブの胸倉を掴み、グイと引き寄せた。華奢な腕。だが、その力は痛いほど強かった。

「手間かけさせたくないと思うなら……必ず帰ってきて」

それは、命令だった。世界で一番愛おしくて、切実な、妻からの業務命令。

「五体満足じゃなくてもいい。手足の一本くらい無くても、私が最高傑作の魔導義手を作ってやるわ。……だから、心臓だけは動かして帰ってきなさい」

ミリアムの声が震え、瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。彼女はずっと我慢していたのだ。気丈な「姉さん女房」の仮面の下で、夫を失う恐怖に震えていたのだ。

グレイブは、胸倉を掴む彼女の手を、そっと自分の両手で包み込んだ。温かい。この体温を、明日、手放さなければならないのか。いや、違う。手放さないために、戦うのだ。

「……ああ。約束する」

グレイブはニカっと笑った。いつもの、少し頼りなくて、でも誰より優しい笑顔で。

「君の尻に敷かれるために、這ってでも帰るよ。……俺の人生の指揮官は、世界で君だけだからな」

ミリアムは泣き笑いのような顔をして、それから思い切りグレイブの足を踏んづけた。

「……痛ッ!?」「減らず口。……さあ、帰るわよ!今日は野菜たっぷりのシチューよ。肉なんて入ってると思わないでね」「勘弁してくれよ……最後の晩餐くらい……」「最後じゃないから野菜なのよ!ビタミン摂って、長生きしなさい!」

ミリアムは涙を袖で乱暴に拭い、スタスタと歩き出した。その背中は、さっきよりも少しだけ小さく、けれど凛として見えた。

グレイブは、痛む足を引きずりながら、その後ろ姿を見つめた。愛している。言葉にするのは気恥ずかしいが、この日常を守るためなら、俺は何にだってなれる。

「……待ってくれよ、ハニー」
「誰がハニーよ、気持ち悪い!」

罵声を浴びながらも、二人は手を繋いで家路についた。街の灯りが、二人を優しく包み込む。これが、嵐の前の、最後の穏やかな夜だった。
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