アーデルハイドは止まらない ~絶対いらない領地を押し付けられたから、国を立て直します~

れおぽん

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第33話 今さら王都から、助言が欲しいそうです


 ブシャールが失脚して三日後。ベルノーには、妙に平和な朝が来ていた。

 いや、正確には平和ではない。
 相変わらず風は冷たいし、鍋は薄いし、藁も足りない。井戸番は朝から怒鳴っているし、洗い場では布が足りないと揉めている。
 ただ、少なくとも「今この瞬間に誰が領地を食べているか分からない」という種類の嫌さが、少し減った。

 それだけで、人は案外ちゃんと息が吸える。

「顔がゆるんでますよ」
 裏庭の机で記録をまとめていた私に、机番の書記役が言った。
「そうですか?」
「ええ」
「珍しいですね」
「最近ずっと怒っていたので」
「失礼ですね」
「事実です」
 否定しづらい。

 私は札をめくった。
 子ども靴、修繕済み一。
 毛布配分、完了。
 干し菜束、追加で三。
 旧街道、仮運用継続。
 どれも小さい。
 でも、ちゃんと前へ進んでいる。

 その時だった。

 表の方から、馬ではなく、やけに丁寧な蹄の音がした。
 整った、遠慮のある、でも高そうな蹄の音。
 嫌な予感しかしない。

「……何でしょうね」
 私が顔を上げると、ヴィクトルが壁際から短く言った。
「王都寄りだな」
「最悪ですね」
「それも王都寄りだ」

 玄関へ回ると、門前には小ぶりだが上等な馬車が一台停まっていた。
 王家の紋章。金の縁取り。車輪まで無駄に綺麗。
 今このベルノーに来る必要性が、見た目からして薄い。

 降りてきたのは、三十代半ばくらいの細身の男だった。
 顔色は悪くない。服は上質。目元だけがひどく疲れている。
 横にいる従者も、荷物を持つ手は綺麗なのに、寝不足の顔をしていた。

「ベルノー管理者、アーデルハイド・ノーム・フランソワ殿」
 男は一礼した。
「王宮内政補佐官、リシャール・ヴァンデルと申します」
「なるほど」
 私はにこやかに返した。
「ずいぶん王都らしい肩書きですね」
「よく言われます」
「今、ちょっとだけ好感が上がりました」
「なぜです?」
「自覚があるので」

 彼は少しだけ口元を引きつらせた。
 よろしい。石像ではないらしい。

「本日は、極秘のお願いがあって参りました」
 そこで私は空を見た。
「極秘」
「はい」
「ベルノーの門前で?」
「……」
「極秘の定義がだいぶ雑ですね」
「返す言葉もありません」
「では話が早いです。中へどうぞ」

 応接間には通さなかった。
 今のベルノーに、王都向けの立派な応接などない。あるのは、床を掃いて、机を拭いて、椅子が壊れていないか確認した“だいぶましな執務室”だけである。

 リシャール補佐官は椅子に座るなり、妙に真面目な顔で口を開いた。

「率直に申し上げます」
「どうぞ」
「王都の備蓄管理と物資流通が、少しおかしなことになっています」
「少し」
「……かなり」
「正直でよろしい」
 私は頷いた。
「それで?」
「あなたに助言をいただきたいのです」

 私は一拍置いた。
 今、たぶんすごく嫌な顔をしたと思う。
 でも仕方ない。
 そういう顔になる内容だった。

「今さら?」
 思わず本音が出た。
 リシャール補佐官は、なぜかちょっとだけ肩を落とした。
「ええ。今さらです」
「王妃殿下のドレス代の穴埋めに私を飛ばしておいて?」
「……」
「国庫の濡れ衣を着せて僻地送りにしておいて?」
「……」
「倉庫を空にしかけ、徴発までかけた後で?」
「はい」
「正気ですか?」
 最近この台詞をよく使っている気がする。
 だが便利なので仕方ない。

 補佐官リシャールは、しばらく黙っていた。
 それから小さく言った。
「正気ではないと思います」
 私は思わず瞬いた。
「そちらもですか」
「現状の王都の運営は、だいぶ」
 彼は目を閉じた。
「かなり無理があります」

 よろしい。
 少しだけ面白くなってきた。

「具体的には?」
 私が聞くと、彼は鞄から紙を数枚出した。
 持ってきたのか。準備がいい。
 いや、準備しないで来たらもっと腹が立つので、これでいい。

「まず、催事用備蓄と冬季備蓄の配分が崩れています」
「でしょうね」
「次に、厨房と配給部門の責任分界が曖昧です」
「でしょうね」
「さらに、納入商会側の控えと王宮倉庫側の数字が」
「合っていない」
 私が先に言うと、リシャールは疲れた顔で頷いた。
「はい」
「でしょうね」
「全部、分かっていらっしゃる」
「分かる話しかしないでください」
 私は紙を受け取った。
「今のところ、驚きがないので」

 書類を見る。
 王都中央倉庫、王妃宮備蓄、厨房払い出し、催事用転用、臨時徴発。
 大変嫌な数字の並びである。
 特に嫌なのは、帳尻を合わせるために一か所の穴を別の布で塞ぎ、さらにその布を別の場所から剥いでいる感じがすることだ。
 つまり、末期だ。

「なるほど」
 私は紙を机に置いた。
「王都、今、かなりベルノーに近いですね」
「やめてください」
 補佐官が本気で嫌そうな顔をする。
「それはだいぶ……」
「褒めていません」
「分かっています」

 ちょうどそこへ、ノックもなく扉が開いた。
 バベットである。
 木杓子を持っている。だいぶ偉い。

「鍋の塩、どっち回す?」
 そこまで言って、室内の空気に気づいたらしい。
「……何だい、その王都」
 私は肩をすくめた。
「助言が欲しいそうです」
「今さら?」
「ええ」
「正気かい」
「最近皆さん、その台詞ばかりですね」
 バベットは補佐官をじろりと見た。
「王都の鍋が死にかけてるんだろ」
 リシャール補佐官が固まる。
「な、鍋という表現は」
「死にかけてるんだね」
「……」
「顔で分かるよ」
 大変強い。
 私はこういう人が好きだ。

「塩は炊き出し先で」
 私は答えた。
「あと、病人の家に今日は少し濃いめで」
「分かった」
 バベットはそれだけ言って出ていこうとしたが、扉のところで振り返った。
「助言するなら、先に金取っときな」
「わあ」
 私は思わず笑った。
「大変好きです、その発想」
「好き嫌いじゃないよ」
 彼女は鼻を鳴らした。
「ベルノーの鍋止めてまで、王都に知恵だけ持ってかれたら馬鹿みたいだろ」

 扉が閉まる。
 しばらく沈黙。

「……現場の方ですか」
 リシャール補佐官が聞いた。
「ええ」
「怖いですね」
「そうですね。でも正しいです」
 私は頷いた。
「で、何を持ってきます?」
「何を?」
「こちらが助言するとして」
 私は机の端を指で叩いた。
「ベルノーに何が戻ります?」
「……」
「知恵だけ持っていかれる趣味はないので」

 補佐官は目を伏せ、少しだけ考えた。
「王都倉庫の照合権限」
 私は顔を上げた。
「本気ですか」
「一部ですが」
「素敵ですね」
「あと」
 彼は続けた。
「流通商会の選定控え」
「……」
「ベルノー旧街道の正式再確認」
「……」
「そして」
 彼は言いにくそうに言った。
「徴発保留の延長」
 私はゆっくり息を吐いた。
 なるほど。
 それなら話になる。

「監査官殿」
 私が呼ぶと、壁際にいたルネが一歩出た。
 最初からいた。
 知っていた。
 でもこういう時、この人は自分から口を出さない。嫌な意味でなく、仕事ができる。

「どう思われます?」
「話としては悪くない」
「でしょうね」
「ですが、口約束なら無意味です」
「同感です」
 私は補佐官を見る。
「書けます?」
「今ここで?」
「ええ」
「……書きます」
 よろしい。
 この人、ちゃんと追い詰めると書くタイプらしい。

 紙が広げられる。
 王都内政補佐官名での暫定協力覚書。
 ベルノー側の助言を受ける代わりに、旧街道再確認、徴発保留延長、流通商会控え開示、王都倉庫の一部照合許可。
 書いてみると、だいぶ大胆だ。
 でも、こういう時は紙が強い。

「何を助言する気なんです」
 書き終えた後、リシャール補佐官が聞いた。
 私は少し考えてから答えた。

「まず、催事用と冬備蓄を同じ机で管理するのをやめてください」
「……」
「厨房払い出しと王妃宮の趣味を、同じ倉庫で回さない」
「……」
「あと、現場を見ない人間に在庫の最終印を持たせない」
 補佐官の顔が、だんだん遠くを見る顔になっていく。
 たぶん思い当たるのだろう。
 あるだろうな、そういうの。

「さらに」
 私は続けた。
「王都はたぶん、“余っていそうな場所”から穴埋めしすぎです」
「……」
「その結果、全部の現場が少しずつ痩せている」
 私はベルノーの在庫表を軽く持ち上げた。
「ベルノーも同じでした」
「ええ」
 リシャールが疲れた顔で頷く。
「今も、かなり」
「でもここは、用途を見えるようにした」
「……」
「王都でもやってください」
 私は笑った。
「王妃宮でも厨房でも、全部の物資に“誰の冬か”を書けばいいんです」
 しばらく、補佐官は黙っていた。
 それから、小さく言う。

「それをやると、かなり揉めますね」
「ええ」
「貴族方が」
「でしょうね」
「王妃宮が」
「でしょうね」
「でも」
 彼は紙の上の覚書を見た。
「必要、なんでしょうね」
 私は頷いた。
「正式な命令でも、間違っているものは間違っていますから」

 それを聞いて、ルネが小さく息を吐く。
「最近、その文を便利に使っていますね」
「気に入っているので」
「でしょうね」

 結局、補佐官リシャールは夕方までベルノーにいた。
 炊き出しも見た。井戸番も見た。用途札も見た。干し菜束も見た。
 何度も嫌そうな顔をし、そのたびに私は少しだけ機嫌がよくなった。

 帰る前、彼は玄関前で私に向き直った。
「……一つ、確認を」
「どうぞ」
「あなた、王都へ戻る気は?」
 私は一拍置いた。
 それから、かなり素直に答えた。

「今のところ、ありません」
「そうですか」
「ええ」
 私は門の外を見た。
「捨てられた先の方が、よほどまともでしたので」
 補佐官は少しだけ笑った。
「それをそのまま王都で言わないでください」
「善処します」
「信用できませんね」
「皆さんそう仰います」

 馬車が去ったあと、私はしばらく門前に立っていた。
 風が冷たい。
 でも今日は、ちょっとだけ違う。

 王都が、今さらこちらの知恵を欲しがった。
 それは腹立たしい。
 でも同時に、少しだけ痛快でもある。

 ベルノーはまだ終わっている。
 でも、終わっている場所からでも、王都に口を出せる。
 そういうのは、嫌いじゃなかった。
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