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第36話 悪評にも、ちゃんと仕入れ先があるらしい
塩が一袋戻ってきた翌朝、ベルノーの炊き出しは、ほんの少しだけ人間の食べ物らしい匂いがした。
「昨日より生きてる匂いだね」
バベットが鍋をかき回しながら言う。
「大変よろしい表現です」
私が答えると、
「今のは褒めてないよ」
と即座に返ってきた。
知っています。最近はだいぶ分かるようになってきました。
裏庭の机には、交換で戻った塩の札、干し菜の追加注文札、薬草束の引き換え札が並んでいる。
大した量ではない。
でも、全部ゼロではない。
それだけで、今日は少しだけ気分がましだ。
「顔がうるさいですね」
机番の書記役が言う。
「そうでしょうね」
「何かありました?」
「今朝の鍋が、昨日よりましだったので」
「ずいぶん安い幸せですね」
「今のベルノーには十分高級です」
その時、表門の方から鳥便の笛が鳴った。
短く、二度。
王都からの紙だ。
「またですか」
私が顔をしかめると、ヴィクトルが壁際から言う。
「嫌そうだな」
「王都はだいたい紙で面倒を連れてくるので」
「今回は」
「半分くらい期待しています」
「珍しいな」
「流通商会控えの写しが来る予定なので」
「……面倒そうだ」
「ええ。かなり」
紙筒を持ってきたのはルネだった。
最近この人は、鳥便まで当然の顔で受け取る。
だいぶベルノーに馴染んできていて、大変よろしくないようで、よろしくもある。
「来ました」
彼が言う。
「流通商会控え」
「素敵ですね」
「本気で言っていますね」
「かなり」
私はすぐその場で封を切った。
中には、王都内政補佐官リシャールからの短い書状と、商会名と納入量、請求先をまとめた控えが数枚。
ざっと目を走らせる。
王都中央倉庫向け。
王妃宮向け。
催事準備室向け。
そして――
「……あら」
私は紙を机に広げた。
「何です」
ルネが聞く。
「悪評にも、ちゃんと仕入れ先があるらしいです」
「意味が分かりません」
「ここです」
私は一枚を指した。
商会名、ラクロワ商会。
正規納入、麦二十。
別請求、保全料。
別請求、通行調整費。
別請求、私邸受領確認。
「私邸」
ルネが低く言う。
「ええ」
「しかもラクロワ商会は」
彼は別紙をめくる。
「宿場側でも名前がある」
「有名ですか」
「値段は高いが、役所回りに強い商会です」
「なるほど」
私は紙を指で叩いた。
「つまり、正規の流通にぶら下がって、横で余計な金を吸っていたと」
「ええ」
「素敵ですね」
「よくありません」
「知っています。怒っています」
そこへ、リュスが机の端から口を挟んだ。
「悪いやつ?」
「かなり」
「じゃあ殴るの?」
「残念ながら、たぶん紙で殴る方が効きます」
「つまんない」
「大人はそういうところがあります」
私はもう一枚の控えを見た。
そこには、ベルノー通行料の上乗せ分が、王都の正式記録とは別に“現地調整費”として処理されている。
しかも請求先の一部は、代官私邸側の管理名義だ。
「監査官殿」
「何でしょう」
「これ、かなり気持ち悪いですね」
「ええ」
「商会と私邸と王都の紙が、きれいに三つ編みです」
「嫌な表現ですね」
「今のはかなり本気です」
私はすぐバベットを呼んだ。
「何だい」
「今から少し嫌な話をします」
「最近いつもだろ」
「その通りです」
私は控えを見せる。
「干し菜を置いてくれた宿場へ、今後、余計な値段や悪評が行く可能性があります」
「……」
「ベルノーと直接つながるのを嫌がる商会がいる」
「嫌だねえ」
「ええ」
「じゃあどうする」
「先に顔を見ます」
「誰の」
「商会の」
ルネがすぐ反応した。
「行くんですか」
「ええ」
「今日?」
「できれば」
「本当に“できれば今日”ですね」
「問題は待ってくれないので」
ヴィクトルが小さく息を吐く。
「また道か」
「ええ」
「橋は」
「通れます」
「荷は」
「少ない」
「なら行ける」
「素敵です」
「褒めるな」
昼の炊き出しを終えたあと、私は旧街道を通って再び宿場へ向かった。
今回は干し菜束を売るためではない。
聞くためだ。
白樺亭の女将は、私たちを見るなり嫌そうな顔をした。
「今度は何だい」
「商会の話です」
「また面倒な顔してるね」
「かなり」
私は控えを見せた。
「ラクロワ商会、知っています?」
女将の顔が、ほんの少しだけ嫌そうから面倒そうへ変わる。
よろしい。
知っている顔だ。
「知ってるよ」
「どういう?」
「宿場の顔役ぶってる商会さ」
彼女は腕を組んだ。
「役人の紙に強い。値段は高い。断ると“次は通さない”が口癖」
「……」
「ベルノーの悪口も、だいたいあそこ経由で広がったね」
私は少しだけ笑った。
「なるほど」
「何だい」
「敵がちゃんと紙に名前を書いてくれていると助かるな、と」
「性格悪いねえ」
「光栄です」
その時、宿の奥から、乾いた声がした。
「その紙、見せてもらっても?」
振り向くと、四十代くらいの女が立っていた。
旅装だが質は良い。背筋が伸び、目が鋭い。
宿の客らしいが、荷運びでも役人でもない。
商売の人間の目だ。
「どちらさまです?」
私が聞くと、彼女は少しだけ口元を上げた。
「ジェルメーヌ・セルヴァ。小さな商会をやってる」
女将が鼻を鳴らす。
「小さな、ねえ」
「嫌味は後で聞くわ」
ジェルメーヌは私の手の控えを見た。
「ラクロワの名前があるなら、話は早いかもしれない」
「早い?」
「ええ」
彼女は椅子を引いた。
「私、あそこが嫌いなのよ」
私はゆっくり瞬いた。
よろしい。
また一人、面倒の匂いがする。
「素敵ですね」
私が言うと、ジェルメーヌは怪訝そうな顔をした。
「何が?」
「嫌いな相手が一致しました」
「……変な人ね」
「よく言われます」
彼女は控えを読み、すぐ一箇所を指した。
「この“通行調整費”、おかしいわ」
「理由は」
「こんな名目、普通は表に出さない」
「普通は」
「ええ。裏で吸うならもっと別の名前にする」
私は少しだけ笑った。
「だいぶ経験者の発言ですね」
「商売してれば嫌でも見るわよ」
ジェルメーヌは紙を机へ戻した。
「それに、ラクロワがベルノーを嫌うのは通行料だけじゃない」
「ほう」
「旧街道が戻ると、自分たちを通さなくても宿場へ品が届く」
「……」
「つまり」
彼女は私を見る。
「あなた、かなり嫌われるわよ」
私はにこやかに頷いた。
「最近そういうの、多いんです」
ルネが横からぼそりと言う。
「それで機嫌がよくなるのはやめてください」
「難しいですね」
ジェルメーヌは椅子に深く座り直した。
「で」
「はい」
「あなた、ラクロワを外したいの?」
「できれば」
「じゃあ、ひとつ取引しない?」
私は少しだけ目を細めた。
「内容によります」
「私はベルノーの干し菜と薬草を少量ずつ引く」
「……」
「代わりに、宿場側で流す話を変える」
女将が眉を上げる。
「そんなことできるのかい」
「できるわよ。商人は噂で動くもの」
ジェルメーヌは淡々と言う。
「“ベルノー、少量ならまとも”“旧街道、細いけど通れる”“今はラクロワ通さなくても少し回る”」
私はしばらく黙った。
なるほど。
評判を口で潰されたなら、口で戻す。
しかも今度は、商人側の口で。
「素敵ですね」
私が言うと、彼女は少しだけ笑った。
「今のは褒めてる?」
「かなり本気です」
宿を出る時、私は小さな覚書を一枚交わした。
数量は少ない。
でも、相手は宿の女将だけではなく、小さな商会主になる。
つまりベルノーの品は、“物好きな宿の女将が置いただけ”から一歩進む。
帰りの旧街道で、ヴィクトルが低く言った。
「機嫌がいいな」
「そうでしょうね」
「新しい商人か」
「ええ」
「信用するのか」
「全部は」
私は肩をすくめた。
「でも、嫌いな相手が同じ人間は少しだけ話が早いので」
「雑だな」
「現地ですから」
ベルノーへ戻る頃には日が傾いていた。
裏庭の机に戻り、私は新しい札を立てる。
――宿場直送分
――商会試験分
――塩交換見込み
机番がそれを見て、小さく言う。
「増えましたね」
「ええ」
「回り始めてる」
「そうですね」
私は少しだけ笑った。
「ようやく、“物が戻る”以外の形が見えてきました」
外では、鍋の蓋が鳴っていた。
井戸番の怒鳴り声もする。
相変わらずベルノーはうるさくて、寒くて、足りない。
でも、悪くない。
悪評にも仕入れ先があったのなら、まともな評判にも、ちゃんと仕入れ先が必要なのだろう。
そう思うと、商売というのは案外きれいにできている気がした。
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