「彼女はただの相談相手です」と私を信じなかった王子へ――宮廷薬師の私は辺境で生き直します。今さら毒殺未遂で呼び戻されても、もう遅いです

れおぽん

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第34話 真犯人の目的

 ロドリックの名が、ただの違和感ではなく“線”として浮かび上がったのは、その日の夕刻でした。

 私は小部屋の机へ、ここ数日で集めた紙をすべて並べていました。薬庫の下控え。正式帳簿。薬務改革の議事録。軽い不調を訴えた者たちの名。ミリア嬢の記述。殿下の薬歴。どれも一枚だけ見れば小さなことです。けれど、並べると見えてくる。
 流れに手を入れられる位置にいて、帳簿の数字を整えられて、王宮の空気を“この程度なら”で済ませられる立場の者。
 そして、改革が進むと一番困る者。

「先生」
 私はユーグ先生へ、議事録のある頁を示しました。
「この会議で、地方倉庫との照合を強く後回しにしたのは」
「ロドリックだ」
 先生は迷いなく答えました。
「理由は“春先の混乱を避けるため”だったがな」
「その次の会議で、余剰在庫の整理も曖昧にされています」
「それもロドリックがまとめた」
 私は頷きます。
 やはりそうです。薬流通改革は表向き、きれいな整備に見える。でも本当に進めば、これまで曖昧に流れていた在庫差や、地方倉庫との食い違いが表へ出る。横流しや不正な処理があれば、隠しきれなくなる。
 つまりロドリックにとって改革は、便利な看板でありながら、進みすぎると困るものでもあった。

「殿下は」
 私は紙の上へ指を置きました。
「その会議に何度か顔を出しておられます」
「薬務改革へ興味を持たれていたからな」
 先生が苦く言う。
「体質上、自分ごとだった」
「ええ」
 私は静かに続けました。
「だからこそ、一番症状が強く出た。もし王宮全体へ少しずつ流していたものがあるなら、殿下だけが表へ出やすい」
 先生はしばらく黙り、それから低く言いました。
「なら、誤算だったのだろうな」
「おそらく」
 私は答えます。
「最初から殿下をここまで深く落とすつもりではなかった。でも、殿下の体質が一番先に悲鳴を上げた」

 扉の向こうで足音が止まり、カイルが入ってきました。今日は地方倉庫側の流れを追わせていたはずです。私は顔を上げます。
「何か分かりましたか」
「一つ」
 カイルは短く言い、濡れた外套のまま机のそばへ来ました。
「地方倉庫から王宮へ回るはずの薬材の一部が、別名義の小口で商会へ流れていた」
 私は思わず息を止めました。
「商会へ?」
「表向きは“品質確認のための一時保管”だ」
「そんな名目は、薬材ではほとんど使いません」
「だろうな」
 カイルは一枚の控えを机へ置きました。
「しかも、その承認印がロドリックのものだ」
 紙を引き寄せて目を落とす。形式は整っています。でも、使われている名目が妙です。王宮の薬材を外へ一度出す理由としては弱い。しかも小口で何度かに分けている。目立たせないための流し方に見えました。

「これで、動機はかなりはっきりしました」
 私は紙を置き、息を整えます。
「薬流通改革で帳簿照合が進めば、横流しが露見する。だからその前に流れを曖昧にしたかった」
「軽い不調を“季節のせい”に見せながら」
 先生が続ける。
「帳簿も小さくずらして、責任の場所をぼかす」
「ええ」
 私は頷きました。
「殿下が深く崩れなければ、たぶんそのまま流れたのでしょう」

 その時、小部屋の外で慌ただしい気配がしたかと思うと、若い侍従が顔色を変えて飛び込んできました。
「失礼いたします! ロドリック様が……」
「何があった」
 カイルが低く問う。
「第二王子殿下のご容体を案じて、薬務方としてお見舞いにと」
 私は立ち上がりました。
「今、ですか」
「は、はい。すでに私室前へ」
 カイルと先生が同時に私を見ます。言葉を交わさなくても分かりました。あまりにも都合がよすぎる。
 私たちがここまで辿り着いた、その日に、自分から殿下の私室へ現れる。見舞いという形で様子を見に来たのか、それともまだ別の何かをするつもりか。

「行きます」
 私は即座に言いました。
「私もだ」
 カイルが続く。
 私たちはほとんど駆けるように私室へ向かいました。

 廊下にはすでに緊張が走っていました。侍女たちが道を空け、私たちが近づくと、私室前に立っていたロドリックがゆっくり振り返ります。相変わらず整った笑みです。けれど今日は、その笑みの奥にわずかな硬さが見えました。
「これは」
 彼は穏やかに言いました。
「皆様お揃いで」
「何用ですか」
 私は前へ出て問いました。
「お見舞いですよ。殿下がここまでお悪いと聞き、薬務方として何かできることはないかと」
「薬務方としてできることは、すでに十分あるはずです」
 私の声は自分でも驚くほど静かでした。
「帳簿と流れを正しく整えること。それ以上のことは、今この部屋に要りません」
 ロドリックの笑みが、そこでほんのわずかに止まりました。

「セレナ殿」
 彼はやわらかい声を保ったまま言います。
「少々、私へ敵意が過ぎるのではありませんか。私はただ」
「ただ、ですか」
 私は一歩も引きませんでした。
「地方倉庫から薬材を別名義で出し、帳簿を整え、改革を遅らせ、その間に王宮内の不調を“よくあること”として流していたのも、ただですか」
 廊下の空気が、そこで凍りつきました。
 侍女も侍従も、誰も動きません。ロドリックだけが、ようやく笑みを少し薄くしました。

「証拠は」
 低い声でした。もう穏やかさで押し通せないと悟った声。
「あります」
 私は答えます。
「帳簿の下控え、地方倉庫の別名義控え、議事録、軽い不調の記録。それに、あなたが焦ってここへ来たことそのものが」
 最後の一言は、半分は賭けでした。でも賭ける価値はあります。ここで相手の顔が変われば、それだけで十分だからです。
 案の定、ロドリックの目が初めて冷えました。

「そこまで読みましたか」
 その言い方で、もう十分でした。
 否定ではない。驚きと計算の声です。私はそこで確信します。やはりこの人だと。

「読んだのは薬歴です」
 私は言いました。
「薬歴は嘘をつきませんから」
 ロドリックは一瞬だけ、鼻で笑うような息を漏らしました。
「結局、薬師というのはそこですか。数字と流れを読むだけで、人の都合や現実を知らない」
「現実?」
 私は眉を寄せます。
「薬材の流れなど、昔から多少は食われるものです。王宮の中だけを清潔に保つには、外で誰かが泥を被る。改革だの照合だの、きれいごとを進めれば、その泥が急に表へ出る」
 私はしばらく彼を見つめました。その言葉は言い訳であり、同時に本音でもあるのでしょう。この人は薬を人の命ではなく、調整可能な流れとして見ていた。だから“小さなずれ”を現実だと呼べる。
「殿下がここまで崩れたのは誤算でした」
 ロドリックは続けます。
「だが、それもあなた方が騒ぎすぎたからだ。少し整えて流していれば済んだ」
 その瞬間、胸の奥が冷たく燃えるような感覚がありました。
 少し整えて流していれば済んだ。
 この人は本当に、そう思っているのです。殿下の苦しさも、王宮内の軽い不調も、全部「この程度なら」で流せると思っていた。

「薬を、何だと思っておられるのですか」
 気づけば口から出ていました。
「都合が悪ければ少し抜き、少し混ぜ、少しずらしてもよいものだと?」
 ロドリックは肩をすくめるようにわずかに顎を上げます。
「あなたのように、一本一本へ意味を背負わせるほど、世の中はきれいではない」
 その一言に、私はもう怒鳴りたい気持ちすら失いました。ここまで価値観が違うのだと、むしろ腑に落ちたのです。だからこの人は、薬歴の顔つきが読めなかった。読めたとしても、そこにある痛みを数字のぶれ程度にしか見なかった。

「終わりです、ロドリック殿」
 低い声で言ったのはカイルでした。
 彼は一歩前へ出て、整った立ち姿のまま告げます。
「ここから先は、薬務の不正と王族への危害の疑いとして扱う」
「証拠も固まりきっていないでしょう」
 ロドリックはまだ言い返します。けれどその声には、もう最初の余裕はありません。
「固まりきる前に、あなたがここへ来た」
 カイルは淡々と返した。
「十分だ」
 護衛たちが左右から動き、ロドリックの退路を塞ぎます。王宮の廊下で大きな音は立たなかった。でも、それで十分でした。相手がもう逃げ切れないと分かる空気が、はっきりとそこへ生まれていた。

 その時でした。
 私室の中から、重い咳の音が響いたのは。

 私は反射的に振り返ります。侍女が青ざめた顔で扉を開けました。
「セレナ様! 殿下が……!」
 そこから先は聞く必要もありません。私はロドリックから視線を切り、私室へ駆け込みました。寝台の上でレオナルト殿下は苦しげに喉を押さえ、呼吸を乱しています。熱の戻り方が、これまでとは違う。浅くではなく、一気に。
 嫌な予感が、背筋を駆け上がりました。

 小机の上には、さっきまでなかった小皿が一つ置かれています。薄い甘味。香りも強くない。けれど、この短い時間で部屋へ新しく入ったものはそれしかない。
 私は杯の脇に指を当て、中身の匂いを確かめました。ごくわずか。でも、喉の奥に残る嫌な刺激があります。
 遅かった、と胸の奥で何かが鳴りました。ロドリックがここへ来たのは、様子見だけではなかったのです。

「水はまだ」
「ひと口だけ……!」
 侍女の答えを聞くなり、私はすぐに指示を飛ばしました。
「吐かせないで。温い水を。あと、私の鞄を全部こちらへ」
 部屋の空気が一瞬で切り替わる。さっきまでの廊下の空気とは違う、命の瀬戸際の緊張です。
 私は殿下の脈へ指を当て、呼吸の乱れ方を確かめました。昨日までの蓄積とは違う。これは、今入った何かへの急な反応です。

 寝台の脇で、私は一度だけ目を閉じました。
 ここから先は、感情も事件も全部脇へ置かなければならない。薬師としてできることだけを、最速で選ばなければならない。
 ゆっくり瞼を開けた時、胸の中にはもう迷いがありませんでした。

 ロドリックの目的は暴かれた。
 でもその代わりに、最後の一手が殿下へ入った。
 ならば次は、私がその一手を凌ぐ番です。

 私は低く息を吸い、侍女たちへ言いました。
「ここからは、私の指示だけを聞いてください」
 それが、次の戦いの始まりでした。
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