その執事は、十三番目の愛を叫ぶ

れおぽん

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第18話「彼女を知ろうとしたか!?」

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戴冠の間は、数百人の参列者で埋め尽くされていた。

私は祭壇の前に立っている。
 十キロを超える儀礼服が肩に食い込む。
 背後には、宰相、神官長、そして上位の皇女候補たちが並ぶ。
 彼らは全員、私を見ている。
 正確には、私という「新しい機能」を見ている。

神官長が祭壇の前に進み出た。
 彼は巻物を広げ、朗々とした声で宣言する。

「これより、第十三皇女候補の個を消去し、皇女としての登録を行う」

広間に静寂が満ちる。
 咳払い一つ聞こえない。
 数百人の人間が、一人の人間が記号に変わる瞬間を待っている。

「汝、名を捨て、過去を捨て、ただ国の礎となることを誓うか」

神官長が問う。
 私は口を開く。
 決められた台詞を吐き出すために、息を吸い込んだ。

「誓――」

「異議がある!!」

叫び声が、私の声を遮った。
 広間の空気が震えるほどの音量だ。

参列者たちが一斉に振り返る。
 末席、使用人たちの待機場所。
 そこに彼が立っていた。

彼は警備兵の制止を振り払い、赤い絨毯の上を歩き出した。
 その足取りは速く、荒い。
 右手には、昨日巻いた包帯が見える。血が滲んでいる。

「な、何だ貴様は!」
「捕らえろ! 儀式の最中だぞ!」

宰相が叫ぶ。
 衛兵たちが槍を構え、彼を取り押さえようと駆け寄る。
 だが、彼は止まらない。
 衛兵の一人が彼の肩を掴む。彼はそれを強引に振り払った。
 その勢いで衛兵がよろめく。

彼は祭壇の下まで到達し、そこで立ち止まった。
 私を見上げる。
 彼の髪は乱れ、呼吸は激しく乱れている。
 その瞳は、狂気と正気が入り混じった色をしていた。

「……控えよ、下賤な者!」

神官長が壇上から怒鳴る。

「この方は、高貴なる皇女となられるお方だ。貴様のような者が声をかけてよい存在ではない!」

「皇女だと?」

彼は神官長を睨みつけた。
 そして、参列者たちの方へ向き直る。
 彼は会場にいる数百人の貴族、大臣、皇女候補たちを指差した。

「あんたたちは、彼女を『皇女』と呼ぶ。便利な『器』だと呼ぶ」

彼の声が響く。

「だが、彼女の『名前』を知っている奴はいるか!」

会場がざわめく。
 誰も答えない。答えられないのだ。

「彼女が毎朝、どんな顔で起きるか知っているか。冷めた紅茶を文句も言わずに飲むことを知っているか。ドレスの下にある、理不尽な暴力の痣を知っているか!」

彼は叫ぶ。
 唾が飛び、喉が引きつる。

「彼女は人形じゃない。痛みを感じないわけじゃない。ただ、耐えているだけだ。あんたたちが押し付けた『理想』という名の無関心に、ずっと一人で耐えているんだ!」

「黙れ! 誰か、その狂人を摘み出せ!」

宰相の指示で、三人の衛兵が彼に飛びかかる。
 彼は地面に組み伏せられる。
 ドン、と鈍い音がして、彼の顔が床に押し付けられた。

それでも、彼は顔を上げ、私を見た。

「誓うな!」

彼は喉が破れそうな声で叫んだ。

「地位を愛するな! 役割に逃げるな! ……貴女は、貴女だ!」

衛兵が彼の腕を背中にねじ上げる。
 骨がきしむ音がする。
 彼は痛みに顔を歪めながらも、視線を私から外さない。

「誰が貴女を見なくても……俺が見ている。俺だけは、貴女のすべてを知っている! だから……自分を消すなんて言うな!!」

衛兵たちが彼を引きずっていく。
 彼は抵抗し、床に靴の跡を残しながら、扉の向こうへと消えていった。

広間に、重苦しい沈黙が戻る。

誰も言葉を発しない。
 ただ、困惑と不快感が漂っている。
 狂った使用人が暴れた。不吉だ。処刑せよ。
 そんな視線が飛び交う。

私は、彼が引きずられていった扉を見つめていた。

心臓が、肋骨の内側を叩いている。
 ドクン、ドクン、と痛いほどに。

私は知っていた。
 彼が私のことを考えていることを。
 彼が怒っていることを。

けれど、今の今まで理解していなかった。
 彼が私を見ていたのは、「第十三皇女候補」という役割を通してではない。
 彼は、この重いドレスの下にある肉体を、記号の裏側にある時間を、私という個人のすべてを、網膜に焼き付けていたのだ。

――俺だけは、知っている。

その言葉は、事実だった。
 誰も名前を呼ばないこの世界で、彼だけが私の輪郭を正確に捉えていた。

「……第十三皇女候補よ」

神官長が、気まずそうに咳払いをした。

「騒ぎがあったが、儀式を続ける。……誓いの言葉を」

私は向き直る。
 神官長の顔を見る。
 宰相の顔を見る。
 彼らの顔は、どれも同じに見える。彼らは私を見ていない。

私は息を吸う。

「……誓います」

私は言った。
 声が震えた。
 生まれて初めて、決められた台詞を言うことに、喉が抵抗した。

私は「皇女」になった。
 けれど、私の網膜には、床に残された彼の靴の跡と、彼が流した血の滴りが、焼き付いて離れなかった。

私は見られていたのだ。
 ずっと、彼一人だけに。
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