その執事は、十三番目の愛を叫ぶ

れおぽん

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第21話「沈黙」

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 城の地下には、光の届かない場所がある。

 湿った石壁に囲まれた地下牢。
 カビと鉄錆の匂いが充満するその場所に、私は立っていた。

 煌びやかな皇女のドレスは、この場所にはあまりに不釣り合いだ。
 案内をした看守は、恐縮しきって震えている。
 無理もない。儀式を中断させ、国中を大混乱に陥れている「謎多き皇女」が、自ら罪人の面会に来たのだから。

「……ここを開けなさい」

 私が命じると、看守は慌てて重い鉄扉の鍵を開けた。
 ギギィ、と不快な音が響き、扉が開く。

 私は独房の中へと足を踏み入れた。

 そこには、彼がいた。

 壁に繋がれた鎖。
 床に座り込み、うなだれている影。
 衣服はボロボロに裂け、あちこちに血が滲んでいる。
 あの儀式の乱入の際、衛兵たちに取り押さえられた時の傷だろう。あるいは、その後の取り調べで受けたものかもしれない。

「……」

 私が中に入っても、彼は顔を上げなかった。
 まるで魂が抜け落ちた抜け殻のようだ。

「……久しぶりね」

 私は声をかけた。
 返事はない。
 ただ、鎖がジャラリと微かな音を立てただけだ。

「貴方の言った通りになったわ」

 私は淡々と報告する。

「儀式で、私の名前を問うたの。でも、誰も答えられなかった。宰相も、神官長も、あの自信過剰な候補者たちも。誰一人として」

 私は彼を見下ろす。

「滑稽だったわ。愛を誓うと言いながら、名前すら知らない男たちが、恥をかいて右往左往していた。貴方の指摘は正しかったのよ」

 私は、彼からの反応を待った。
 以前の彼なら、ここで顔を上げ、「ざまあみろ」と笑ったかもしれない。あるいは「だから言ったのです」と、悲しげに怒ったかもしれない。

 けれど、彼は動かなかった。

「……ねえ」

 私は一歩近づく。

「何か言いなさいよ。貴方の勝ちよ。貴方が唯一の正解者だった。そう誇ればいいじゃない」

 それでも、沈黙は破られない。
 彼はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳を見て、私は息を呑んだ。

 そこには、何もなかった。
 かつて私に向けられていた、あの熱い怒りも、深い悲しみも、焦がれるような情熱も。
 すべてが焼き尽くされ、冷たい灰だけが残っているような、虚無の瞳。

 彼は私を見ている。
 けれど、私を「認識」していないように見えた。
 壁の染みを見るのと変わらない、焦点の合わない視線。

「……貴方様は。今『どちら』ですか。」

 彼が口を開いた。
 その声は、ひび割れたガラスのように掠れていた。

 私は耳を疑った。

「……何を言っているの。私よ」

「……皇女殿下、なのですね。」

 彼は乾いた笑いを漏らした。
 自嘲ではない。もっと乾いた、感情の伴わない音だ。

「ご立派になられましたね。元、第十三皇女候補様。」

 彼は視線を私のドレスから外し、虚空を見つめた。

「私の知っていた彼女ではもうなくなってしまわれましたが。」

「……っ」

 その言葉は、どんな罵倒よりも鋭く、私の胸を刺した。
 彼は諦めきっていた。
 儀式で誓いを立て、システムの一部となることを受け入れた私を。
 「第十三皇女候補」として彼と共にいた私が死に、目の前にいるのは「皇女」という別の生き物だと、彼の中で断絶してしまったのだ。

「もう、私がお呼びする名はありません。」

 彼は膝に顔を埋めた。

 拒絶。
 それは明確な絶縁宣言だった。

 彼は沈黙を選んだのではない。
 私という存在に対して、言葉を費やす価値を失ったのだ。

「……そう」

 私は短く呟くことしかできなかった。
 何かを言い返したかった。
 「仕方なかった」と、「これが私の生きる道だ」と。
 けれど、今の彼にその論理は通用しない。

 私は背を向け、鉄扉へと歩き出す。

 背後からは、もう呼び止める声も、憤る気配もしない。
 あるのは、死んだような彼の吐息だけ。

 鉄扉が閉まる。
 重い金属音が、私と彼を永遠に隔てた。

 私は廊下を歩く。
 ドレスの衣擦れの音だけが響く。

 城の広間では、私の名前がないことで騒いでいる。
 けれど、本当に失われたのは名前ではない。
 私を「私」として見て、怒り、嘆き、名前を呼んでくれようとした、たった一つの「鏡」が砕け散ったのだ。

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