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第一話 「忘れる者と、拒むもの」

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未来は、何をすればいいのかわからない、という顔をしていた。それが、なによりの証拠のようにも思える。それとも、情報処理のスピードが遅くなっているだけか。

三分後、少女は「羨ましかったんです」と切り出した。今の未来の脳内には、一体何の刑事ドラマが再生されているのだろう。

「だって、私には伴奏ぐらいしか取り柄がない、、、。小さいときからピアノも習えていたし、歌も苦手だし、、、。それに、伴奏は特別感もあって。でも中学に上がってからは、十葉が伴奏を任せられるようになって、、、。ピアノ弾けるの楽しいよね。ってよく言うけれど、私の家には置いていないし、だんだんピアノをいつでも弾けることを私に自慢してきているんじゃないかって思えてきて、、、」

でも、と語気を荒げて続ける。

「殺したいとか、死んでしまえとかそういうことは思ってなかった!ただ、口論になってしまって、、、それで、、、」

「揉み合いになって、突き倒しちゃった?」

「、、、はい」

ほぼ一般人のつぐみからしてみれば、たかが伴奏のためにそこまでの感情が湧くこと自体信じられないが、なんとなく他人事のようには思えなかった。どういう人であれ、羨望の一つや二つ持っていて当たり前なのだから。

突然、テーブルに安置されていた楽譜がペラっと音を立てて視界からなくなる。楽譜の辿った軌跡を追って、未来は視線を持ち上げ、目を見開く。

「十、、、葉?」

「はい。そうですが。、、、これ、私のものなんですよね?」

「う、うん」

「では、返してくださいというのは、筋違いではありませんよね?」

つぐみは心の奥で焦っていた。無論この場に十葉がいたのは偶然ではなくつぐみが仕組んだだ。なんのことはなく未来を呼び出した時刻の十分前にカフェ中で待っていてもらい、店長に、未来がきたら十葉の近くに案内してくれと頼んでおいたのだ。

「十葉ちゃんー」

「言っておきますが」

つぐみの言葉を遮り、十葉は変わらぬ声で言った。

「結局のところ、私の記憶は戻ってきていません。でも、、、なにか違うんです。なにか、勘違いをしている」

十葉の表情は、これまでとは違い微かに熱を帯びていた。口調こそ変わっていないが、言葉一つ一つの言い方が違っている。記憶のない十葉ではあり得ない。ー本来の十葉に戻りかけている。

反射的につぐみは、「南口、十葉ちゃん、南口だよ」と叫んでいた。

十葉は雷に打たれたように体を震わせ、店を飛び出て行く。唯一事情のつかめていない未来の袖を掴み、つぐみはカフェを辞した。未来を引っ張りながら走るのは、骨が折れた。

「一体どういうことです?十葉は?」

「未来ちゃんは勘違いをしているの。大きな勘違い」

「勘違い?」

駅の南口へ到着すると、息を整えできるだけ穏やかに、簡潔に説く。

「まず、十葉ちゃんの家にピアノがあるのなら、なんて言葉使う?普通の人はこう言うはず。しかも十葉ちゃんは場所を家だと一言も言っていない。弾こうってことは手軽に行って帰れるところ、、、お金もかからなければ、許可もいらないピアノ」

「、、、嘘」

全てを悟った少女は、呼吸困難に陥っているように息を荒げ、何かと戦っていた。友のささやかな行為を己の意思で捻じ曲げてしまったことへの後悔か、自責か。

南口の開けたところに、があった。
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