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深夜、ブリリアント公爵邸の重厚な扉が開いた。
出迎えた執事やメイドたちは、婚約破棄を言い渡されて帰還した主家の令嬢に対し、どのような顔をすべきか戸惑いの色を隠せない。
だが、当のスゥは、まるで優良物件を安値で仕入れてきた投資家のような、晴れやかな顔で廊下を突き進む。
「お父様は? まだ執務室にいらっしゃいますね?」
「は、はい。公爵閣下は、お嬢様の帰宅を心待ちにされておりますが……その、お体は大丈夫でございますか?」
「体調ですか? 血圧、体温ともに平熱です。むしろ肩の荷が下りて、代謝が上がっているくらいですよ」
スゥは迷いのない足取りで、父親であるブリリアント公爵の執務室のドアをノックした。
「スゥです。ただいま戻りました」
「入れ。……待っていたぞ、我が娘よ」
部屋の中から響いたのは、沈痛な声ではなく、どこか期待に満ちた低い声だった。
ドアを開けると、そこには分厚い帳簿と書類の山に囲まれた、鋭い眼光を持つ中年の男が座っていた。
この国の経済を実質的に支える「守銭奴公爵」こと、ブリリアント公爵その人である。
「お帰り、スゥ。……して、不採算部門の切り捨ては成功したかね?」
「はい、お父様。こちらが契約解除の合意書、兼、損害賠償の確約書です」
スゥが机の上に置いた書類を、公爵は電光石火の早さで手に取った。
眼鏡の奥の瞳が、数字を追うごとにギラリと光る。
「……ほう。国家予算の三ヶ月分か。端数の処理も完璧だな。特にこの『王太子のポエムによる精神的汚染への慰謝料』という名目が素晴らしい。これなら税務署も経費として認めざるを得まい」
「ありがとうございます。感情論を逆手に取るのが、一番確実な回収方法ですから」
公爵は満足げに深く椅子に腰掛けた。
愛娘が婚約破棄されたという事実に、一欠片の悲しみも抱いていない。
「これでようやく、王家への『無償奉仕』という名の赤字垂れ流しが終わるわけだ。スゥ、お前が婚約者としてあのアステリア家へ贈っていた毎月のギフト代、そして茶会という名の無駄な接待費……あれをすべて合計すると、領地の橋が三つ架けられたのだぞ」
「承知しております。計算するたびに、私の心臓は効率の悪さで悲鳴を上げていました」
「これからは、そのリソースをすべて我が家の事業に回せる。……いや、それどころではないな。お前は自由の身となったのだ。この『慰謝料』という名の軍資金をどう動かすつもりだ?」
スゥは待ってましたと言わんばかりに、公爵の机の上に別の資料を広げた。
そこには緻密なグラフと、見たこともない複雑な数式が並んでいる。
「私は公爵家の不採算部門を整理しただけではありません。これを機に、ブリリアント家主導による『全産業効率化コンサルティング』を立ち上げます」
「コンサルティング……? つまり、他人の無駄を指摘して金を取る商売か」
「左様です。王宮の事務仕事があれほどまでに滞っているのは、能力の問題ではなく『システム』の欠如です。私が開発した管理表一つで、国の運営コストは三割削減できます。その削減した利益の半分を、コンサル料として徴収するのです」
公爵の口角が、吊り上がった。
「素晴らしい。……さすがは我が娘だ。アステリアの王子は、自分がどれほど巨大な『金の卵を産むガチョウ』を手放したか、まだ気づいていないようだな」
「気づいたときには、彼らの金庫は空っぽになっているでしょう。……お父様。ところで、一つご相談が」
「何だ? 予算ならいくらでも出すぞ」
「婚約破棄された『悲劇の令嬢』という立場を利用して、節税対策は可能でしょうか?」
公爵は一瞬の沈黙の後、腹の底から笑い出した。
「ハハハ! 『被害者への特別控除』か! よし、法律の隙間を洗え。王家がこちらに恥をかかせた見舞金という形にすれば、贈与税も非課税にできる可能性がある」
「助かります。一リブラたりとも、無能な組織に還元したくありませんから」
親子二人の間には、愛や情といった不確定要素は存在しない。
そこにあるのは、強固な信頼関係と、飽くなき効率への執着だけだ。
「……スゥ。お前の自由な活動を保障しよう。これからのブリリアント公爵家は、王家の顔色をうかがう必要はない。お前の計算通り、この国をデザインし直すがいい」
「はい。まずは王都の流通ギルドから手を付けます。彼らの運搬ルート、右折が多すぎて燃料と時間のロスが激しすぎますの。……ああ、早く計算機を叩きたくて指先がうずきますわ」
スゥは優雅に一礼し、自室へと戻っていった。
婚約破棄のショックで寝込むことなど、彼女の辞書には存在しない。
翌朝、王都の住民たちは、昨夜のパーティーでのスキャンダルを噂していたが、その頃スゥは既に、次のビジネスのために一分一秒を惜しんでペンを走らせていた。
悪役令嬢としての断罪。
それは彼女にとって、公爵家の「損切り」を完了させ、自身の価値を最大化させるための、最高に効率的な「スタートアップ」に過ぎなかったのである。
出迎えた執事やメイドたちは、婚約破棄を言い渡されて帰還した主家の令嬢に対し、どのような顔をすべきか戸惑いの色を隠せない。
だが、当のスゥは、まるで優良物件を安値で仕入れてきた投資家のような、晴れやかな顔で廊下を突き進む。
「お父様は? まだ執務室にいらっしゃいますね?」
「は、はい。公爵閣下は、お嬢様の帰宅を心待ちにされておりますが……その、お体は大丈夫でございますか?」
「体調ですか? 血圧、体温ともに平熱です。むしろ肩の荷が下りて、代謝が上がっているくらいですよ」
スゥは迷いのない足取りで、父親であるブリリアント公爵の執務室のドアをノックした。
「スゥです。ただいま戻りました」
「入れ。……待っていたぞ、我が娘よ」
部屋の中から響いたのは、沈痛な声ではなく、どこか期待に満ちた低い声だった。
ドアを開けると、そこには分厚い帳簿と書類の山に囲まれた、鋭い眼光を持つ中年の男が座っていた。
この国の経済を実質的に支える「守銭奴公爵」こと、ブリリアント公爵その人である。
「お帰り、スゥ。……して、不採算部門の切り捨ては成功したかね?」
「はい、お父様。こちらが契約解除の合意書、兼、損害賠償の確約書です」
スゥが机の上に置いた書類を、公爵は電光石火の早さで手に取った。
眼鏡の奥の瞳が、数字を追うごとにギラリと光る。
「……ほう。国家予算の三ヶ月分か。端数の処理も完璧だな。特にこの『王太子のポエムによる精神的汚染への慰謝料』という名目が素晴らしい。これなら税務署も経費として認めざるを得まい」
「ありがとうございます。感情論を逆手に取るのが、一番確実な回収方法ですから」
公爵は満足げに深く椅子に腰掛けた。
愛娘が婚約破棄されたという事実に、一欠片の悲しみも抱いていない。
「これでようやく、王家への『無償奉仕』という名の赤字垂れ流しが終わるわけだ。スゥ、お前が婚約者としてあのアステリア家へ贈っていた毎月のギフト代、そして茶会という名の無駄な接待費……あれをすべて合計すると、領地の橋が三つ架けられたのだぞ」
「承知しております。計算するたびに、私の心臓は効率の悪さで悲鳴を上げていました」
「これからは、そのリソースをすべて我が家の事業に回せる。……いや、それどころではないな。お前は自由の身となったのだ。この『慰謝料』という名の軍資金をどう動かすつもりだ?」
スゥは待ってましたと言わんばかりに、公爵の机の上に別の資料を広げた。
そこには緻密なグラフと、見たこともない複雑な数式が並んでいる。
「私は公爵家の不採算部門を整理しただけではありません。これを機に、ブリリアント家主導による『全産業効率化コンサルティング』を立ち上げます」
「コンサルティング……? つまり、他人の無駄を指摘して金を取る商売か」
「左様です。王宮の事務仕事があれほどまでに滞っているのは、能力の問題ではなく『システム』の欠如です。私が開発した管理表一つで、国の運営コストは三割削減できます。その削減した利益の半分を、コンサル料として徴収するのです」
公爵の口角が、吊り上がった。
「素晴らしい。……さすがは我が娘だ。アステリアの王子は、自分がどれほど巨大な『金の卵を産むガチョウ』を手放したか、まだ気づいていないようだな」
「気づいたときには、彼らの金庫は空っぽになっているでしょう。……お父様。ところで、一つご相談が」
「何だ? 予算ならいくらでも出すぞ」
「婚約破棄された『悲劇の令嬢』という立場を利用して、節税対策は可能でしょうか?」
公爵は一瞬の沈黙の後、腹の底から笑い出した。
「ハハハ! 『被害者への特別控除』か! よし、法律の隙間を洗え。王家がこちらに恥をかかせた見舞金という形にすれば、贈与税も非課税にできる可能性がある」
「助かります。一リブラたりとも、無能な組織に還元したくありませんから」
親子二人の間には、愛や情といった不確定要素は存在しない。
そこにあるのは、強固な信頼関係と、飽くなき効率への執着だけだ。
「……スゥ。お前の自由な活動を保障しよう。これからのブリリアント公爵家は、王家の顔色をうかがう必要はない。お前の計算通り、この国をデザインし直すがいい」
「はい。まずは王都の流通ギルドから手を付けます。彼らの運搬ルート、右折が多すぎて燃料と時間のロスが激しすぎますの。……ああ、早く計算機を叩きたくて指先がうずきますわ」
スゥは優雅に一礼し、自室へと戻っていった。
婚約破棄のショックで寝込むことなど、彼女の辞書には存在しない。
翌朝、王都の住民たちは、昨夜のパーティーでのスキャンダルを噂していたが、その頃スゥは既に、次のビジネスのために一分一秒を惜しんでペンを走らせていた。
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