婚約破棄ですか? はい。慰謝料は即金で返してくださいね?

萩月

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「グランツ公爵閣下、ならびにキャサリン・ド・ラ・マネー嬢、ご入場!」


王宮の煌びやかな大広間。


衛兵の力強いアナウンスと共に、重厚な扉が開かれた。


その瞬間、数百人の視線がわたくしたちに突き刺さる。


「……来たぞ、噂の『守銭奴カップル』だ」


「どうせ今日も、地味な格好で……あっ?」


好奇と嘲笑を含んだ囁きが、一瞬にしてどよめきに変わった。


わたくしはルーカス公爵の腕に手を添え、背筋を伸ばして歩みを進める。


(……ふふん。どう? 驚いた?)


わたくしが身に纏っているのは、昨夜リメイクした群青のヴィンテージ・ドレス。


現代の流行であるフリルやリボンを一切排除したそのデザインは、逆に新鮮な「引き算の美学」として映ったようだ。


そして何より、素材の力が違う。


シャンデリアの光を吸い込んで妖艶に輝く「月光蚕」のシルクは、周囲の令嬢たちが着ているペラペラの化学繊維とは格が違った。


「おい、見ろよあのドレス……すごい光沢だ」


「どこのブランドだ? あんな深い青、見たことがないぞ」


「隣の公爵様も……なんだか今日は一段と男前に見えるわ」


公爵の着ている古い燕尾服もまた、使い込まれた黒の深みが、彼の冷徹な美貌を引き立てていた。


わたくしたちは、さながら「歩くアンティーク芸術」だった。


「……評判は悪くないようだな」


ルーカス公爵が、口元だけで囁く。


「ええ。安物(チープ)な流行に飽き飽きしていた貴族たちには、この『本物感』が刺さったようですわ」


わたくしがニヤリと笑い返した、その時だった。


「――なによ、あれ! 生意気よ!」


空気を読まない甲高い声が、優雅なBGMを切り裂いた。


人垣を乱暴に押し分けて現れたのは、ピンク色の巨大な塊――もとい、リリーナ様だった。


隣には、不機嫌そうなアレックス殿下もいる。


「キャサリン! あなた、なんて格好をしてきたの!」


リリーナ様が扇子でわたくしを指差す。


彼女のドレスは、最新流行のパステルピンクで、レースとフリルと宝石がこれでもかと盛り付けられている。


まるで、生クリームを絞りすぎたデコレーションケーキだ。


「リリーナ様、ごきげんよう。……相変わらず、ボリューム感のある装いですこと」


「ふん! 余裕ぶっても無駄よ! そのドレス、どう見ても古着じゃない!」


リリーナ様が勝ち誇ったように叫んだ。


「デザインが古臭いのよ! 三十年前のカタログから抜け出してきたのかしら? 貧乏くさいわねぇ!」


周囲の令嬢たちがクスクスと笑う。


アレックス殿下も、鼻で笑って加勢した。


「全くだ。公爵家に雇われたと聞いたが、ドレスの一着も買ってもらえなかったのか? 哀れなやつだ」


殿下はルーカス公爵を睨みつける。


「おいルーカス。我が国の財務卿ともあろう者が、パートナーに古着を着せるとは。国の恥だぞ」


「…………」


ルーカス公爵は無言だ。


ただ、その目が冷ややかに細められただけ。


わたくしは、すっと前に出た。


「……お言葉ですが、リリーナ様。そして殿下」


「な、なによ! 負け惜しみ?」


「いいえ。……『鑑定』です」


わたくしはリリーナ様のドレスに近づき、ジロジロと観察した。


「そのピンクのドレス……素材は流行の『合成サテン』ですね? 光沢は派手ですが、通気性が悪くて蒸れませんか?」


「っ!? な、なんでそれを……」


リリーナ様が図星を突かれて焦る。


「それに、その大量のレース。……ミシンの縫い目が粗いですわ。大量生産品の既製品(プレタポルテ)に、後から宝石を縫い付けただけの手抜き工事に見えますが」


「う、うるさいわね! これは最新の『マリー・アントワネット風』なのよ! お値段だって、金貨五百枚もしたんだから!」


「五百枚!?」


わたくしは卒倒しそうになった。


「ぼったくりもいいところです! 原価計算しましたか? 布代が十枚、宝石代が五十枚、加工賃を入れても百枚が妥当です! 残りの四百枚は『ブランド料』という名の無駄金です!」


「む、無駄金ですってぇ!?」


わたくしは自分のドレスの裾をつまんだ。


「対して、わたくしのドレス。これは三十年前の『月光蚕』のシルクです。現在では絶滅した蚕の糸……市場に出れば、生地だけで金貨一千枚は下りません」


「い、一千枚……っ!?」


会場がどよめいた。


「それを、リメイク代(実質タダ)で蘇らせたのです。……さあ、どちらが『貧乏くさい』でしょうか?」


わたくしは冷たく言い放った。


「金に糸目をつけずに粗悪品を高値で買うのと、良いものを長く大切に使うのと。……真に豊かなのはどちらか、計算するまでもありませんわ」


「くっ……!」


リリーナ様が悔しさに顔を真っ赤にする。


言い返せなくなった彼女を庇うように、アレックス殿下が前に出た。


「黙れ黙れ! 屁理屈をこねるな守銭奴!」


殿下はわたくしを睨みつけた。


「いくらドレスが高価でも、お前の中身は卑しい金の亡者だ! 僕を捨てて、そこのドケチ公爵に乗り換えた裏切り者め!」


殿下の声が会場に響く。


「皆さん、聞いてください! この女は、僕との婚約中に王家の金を横領していたのです! そして悪事がバレそうになると、公爵家に逃げ込んだのです!」


おお……と、貴族たちがざわめく。


やはり、ここでその話を蒸し返してきたか。


「ルーカス! お前もだ!」


殿下の矛先は公爵へ向く。


「お前は財務卿の立場を利用して、この女と結託し、国庫を私物化しているそうじゃないか! ゲオルグ叔父上が言っていたぞ! お前に脅されて別荘を奪われたとな!」


(うわぁ……ゲオルグの嘘を鵜呑みにしてる)


これはひどい。


虚偽情報のオンパレードだ。


わたくしが反論しようと口を開きかけた時。


「――終わったか?」


低く、しかしよく通る声が響いた。


それまで黙って聞いていたルーカス公爵が、一歩前に進み出たのだ。


その威圧感に、アレックス殿下がたじろぐ。


「な、なんだ」


「王太子殿下。……発言には責任が伴うことをご存知ですか?」


ルーカス公爵は眼鏡を押し上げた。


「国庫の私物化? 横領? ……面白い冗談だ」


彼は懐から、一枚の紙を取り出した。


いつもの手帳の切れ端ではない。


王家の紋章が入った、正式な『財務報告書』だ。


「これは、直近一ヶ月の王家の出納記録です。……ここにある『使途不明金』の山、ご説明いただけますか?」


「なっ……!?」


「リリーナ嬢へのプレゼント代、カジノでの負け分、そして……裏社会の人間への工作資金」


ルーカス公爵が読み上げるたびに、殿下の顔から血の気が引いていく。


「対して、我が公爵家は、キャサリン嬢の尽力により、今期は過去最高益を記録しました。……横領などする必要がないほどに、健全かつ潤沢ですが?」


公爵は冷ややかな目で殿下を見下ろした。


「貧乏くさいのはどちらか。……数字を見れば明らかだ」


「き、貴様ぁ……! ここで恥をかかせる気か!」


アレックス殿下が逆上し、腰の剣に手をかけた。


「不敬だぞ! 衛兵、こいつらを捕らえろ!」


殿下の命令。


しかし、広間の衛兵たちは動かなかった。


彼らは困惑したように顔を見合わせている。


「な、何をしている! 王太子の命令だぞ!」


「……殿下」


ルーカス公爵が静かに告げた。


「衛兵たちも馬鹿ではない。……給料が遅配されている王家と、毎月きっちりボーナスまで払っている財務卿、どちらについていくのが『得』か、計算できているようですね」


「な……っ」


金がない権力など、張子の虎だ。


公爵の言葉は、残酷な現実を殿下に突きつけた。


「くそっ……くそぉぉぉ!」


アレックス殿下は喚き散らすことしかできない。


リリーナ様もオロオロと震えている。


勝負あった。


わたくしは扇子を開き、口元を隠して公爵に囁いた。


「……閣下。完全にオーバーキル(過剰攻撃)ですわ」


「君への侮辱に対する請求書だ。これくらい払ってもらわないとな」


公爵は涼しい顔だ。


会場の空気は完全に変わり、嘲笑の目は殿下たちへと向けられている。


だが。


窮鼠猫を噛む。


追い詰められたバカは、何をしでかすかわからない。


「……許さん、許さんぞキャサリン!」


アレックス殿下が、狂ったような目でわたくしを睨んだ。


「お前さえいなければ……! お前さえ消えれば、借金もチャラになるんだ!」


殿下がポケットから何かを取り出した。


それは、魔力を秘めた怪しい石――『発火の魔石』だった。


「え……?」


「燃えろぉぉぉ!」


殿下は躊躇なく、魔石をわたくしに向けて投げつけた。


公衆の面前での凶行。


思考するより先に、体が反応した。


「危ない!」


ドンッ!


わたくしを突き飛ばしたのは、ルーカス公爵だった。


直後、わたくしがいた場所で、赤い炎が爆ぜた。


「きゃあああっ!?」


悲鳴が上がる。


「か、閣下!?」


床に倒れ込んだわたくしが見たのは、腕を押さえてうずくまる公爵の姿と、焦げ付いた燕尾服だった。


「……ちっ。一張羅が……」


公爵が苦しげに呻く。


その袖から、赤い血が滲んでいた。


「ルーカス様!」


わたくしの頭の中で、何かが切れる音がした。


ドレス? どうでもいい。


金? 今は関係ない。


わたくしの「最大の資産」である彼を傷つけた。


その事実が、わたくしを修羅に変えた。


「……アレックス」


わたくしは立ち上がった。


手には、先ほどの爆風で転がってきたシャンパンの瓶(未開封・高級品)が握られていた。


「高くつきますわよ……この治療費と、慰謝料は!」


悪役令嬢、ブチ切れの反撃が始まる。
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