任せていたら、いつの間にか稀代の悪女として婚約破棄されました

萩月

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(……平和だ。なんて平和なんだ。小鳥は歌い、風は囁き、私は一言も発さなくていい。これぞ辺境スローライフの極致!)


朝、私は修復したばかりのテラスで、自作の「自動お湯沸かし魔導具(見た目は少し不気味なヤカン)」がシュンシュンと鳴るのを眺めていた。


昨日のカイル公爵との面会は心臓が止まるかと思ったけれど、帰ってしまえばこっちのもの。


私はトランクから、王都では禁じられていた「深夜の飯テロ料理本」を取り出した。


(今日は誰にも邪魔されないし、朝からガッツリと厚切りベーコンを焼いちゃおうかな! 脂身たっぷりのやつをカリカリにして……!)


想像しただけで、私の頬は(内面的に)とろけそうになる。


しかし、鏡に映った私の顔は、獲物を前にした飢えた狼のような凄絶な気迫を放っていた。


その時。


「おはよう、ルミール。朝から随分と血の気の多い顔をしているね」


(…………は?)


聞き覚えのある、爽やかすぎて鼓膜が浄化されそうな声。


私がギギギと首を回すと、そこには昨日帰ったはずの領主様——カイル公爵が、なぜかエプロン姿で立っていた。


(なんで!? なんで不法侵入がデフォルトなのこの人!? 玄関! 玄関は昨日、私が魔力で『物理的に通れないカーテン』を張ったはずなのに!)


「ああ、あのカーテンかい? 面白い術式だったから、少し解析させてもらったよ。おかげで良い朝の運動になった」


カイルは事もなげに言いながら、手に持っていた紙袋をテーブルに置いた。


(運動!? あれ、王宮魔導師でも解くのに三日はかかるって言われてる高難度結界なんだけど!? それを数時間で!?)


私の驚愕は、顔面において「貴様のような下俗が我が聖域に土足で踏み入るとは何事か」という猛烈な威圧へと変換される。


「……なぜ」


(「なぜここにいるのですか? あとそのエプロンは何ですか?」と聞きたい!)


「昨日言っただろう? 僕は君の護衛兼スポンサーだ。朝食の様子を見に来るのは当然の義務だよ。……おや、君、心の中で『厚切りベーコン』って連呼してないかい?」


(……っ!? え、今、なんて!?)


私は固まった。ベーコン。確かに今、私の脳内はベーコンのことで埋め尽くされていた。


(……偶然だ。きっとこの人がベーコンを食べたかっただけだわ。そうに違いない。じゃないと、私の脳内がハッキングされてることになっちゃう!)


「偶然じゃないよ。……おっと、独り言だ。さあ、今日は市場で良い肉が手に入ったんだ。一緒に焼こうじゃないか」


カイルは鼻歌まじりにキッチンへ向かった。


(な、ななな、なんなのこの展開! 領主様が私の朝ごはんを作ってくれるの!? それってどんな少女漫画!? あ、でも私の役回りはヒロインじゃなくて、その食事に毒を盛るタイプの魔女だわ!)


私は呆然と、カイルの背中を見つめた。


(……でも。いい匂い。ベーコン。燻製の芳醇な香り。ああ、胃袋が掴まれていく……)


私は無意識に、カイルの隣に並んでフライパンを凝視した。


「……肉」


(「美味しそうですね。お手伝いしましょうか?」という健気な提案!)


カイルはチラリと私の顔を見て、一瞬だけ肩を震わせた。


「ははは! 分かった、分かったから。そんな『今すぐその肉を奪い取って生で喰らってやる』という顔で見ないでくれ。ちゃんと君の分もあるからね」


(違う! 生肉は食べない! 私はレディだよ!)


私は反論しようと口を開いたが、やっぱり「……っ」という吐息しか出ない。


食卓に並んだのは、カリカリのベーコンに、とろとろの目玉焼き、そして焼きたてのパン。


(豪華……。公爵邸の、冷めきった豪華な食事より、何倍も美味しそう……!)


私は震える手でフォークを握った。


(いただきます! 神様、追放してくれてありがとう! カイル様、不法侵入は許さないけどベーコンは許す!)


私は一口、ベーコンを口に運んだ。


(……んんん~! 美味しい! 脂が甘い! 幸せ! 生きててよかった!)


私の内心は今、お花畑で子犬が駆け回っているような多幸感に包まれている。


しかし、カイルの向かい側に座る私の顔は、「毒の有無を確認しながら、相手の隙を突いて殺害するタイミングを計る暗殺者」そのものだった。


カイルは自分のコーヒーを飲みながら、くつくつと喉を鳴らして笑っている。


「……ルミール。君、本当にお喋りだね」


(……え?)


私が不思議そうに首を傾げると、カイルは私の頬に付いたパン屑を、指先でひょいと拭った。


「君の心の声が、あまりにもうるさくて……朝から賑やかで助かるよ」


(……うるさい? 心の声が? え、それって、まさか……)


私は恐怖に凍りついた。


もし、もし本当に彼に私の思考が筒抜けだとしたら。


(……さっき、この人のことを『不法侵入イケメン』って呼んだのも、バレてるの!?)


カイルは満面の笑みで答えた。


「ああ。なかなか斬新なニックネームだね。気に入ったよ」


(……終わった。私のスローライフ、社会的に終わったわ)


私は、焼き立てのパンを口に咥えたまま、白目を剥いて天を仰ぐのだった。
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