任せていたら、いつの間にか稀代の悪女として婚約破棄されました

萩月

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(……無理。物理的に無理よ。私の顔面には「笑顔」という機能が搭載されていないの!)


私は、カイル様が持ち込んできた巨大な姿見の前で、絶望に打ちひしがれていた。


舞踏会まであとわずか。カイル様は「君の美しさを世界に知らしめるために、少しだけ表情を和らげる練習をしよう」と提案してきたのだ。


(和らげる? 石像に「マシュマロになれ」って言うほうがまだ現実的だわ!)


私は鏡に向かって、精一杯の「微笑み」を作ってみた。


(えいっ。口角を、三ミリほど上に……!)


ピクッ、と頬の筋肉が痙攣する。


鏡の中に映っていたのは、獲物をじわじわと追い詰め、最後の一撃を加える前に悦びに浸る「狂気の暗殺者」だった。


「……っ!」


私はあまりの自分の顔の怖さに、自分で自分を睨みつけてしまった。


「……ははは。ルミール、今のは『笑顔』というより、新しい拷問の合図かな?」


ソファに座って優雅に紅茶を飲んでいたカイル様が、吹き出しそうになりながら声をかけてくる。


(笑わないでよ! こっちは必死なんだから! これじゃ舞踏会でマカロンに辿り着く前に、衛兵に包囲されちゃうわ!)


私は高速で銀のボードを書き換えた。


『カイル様、やはり無理です。私は「氷の悪女」として、会場の温度を五度ほど下げる役回りに徹します。防寒具の用意を勧めてください』


「そんな悲しいことを言わないでくれ。……そうだ、ルミール。マカロンのことを思い浮かべるんだ。あのサクサクの生地、中から溢れる濃厚なクリーム……」


(マカロン……。虹色のマカロン……。私の口の中でとろける、究極の至福……)


私は脳内でマカロンの祭典を開催した。


幸せ。ああ、なんて幸せなの。


その多幸感に包まれたまま、私は再び鏡を見た。


そこには、血に飢えた獣が、好物の内臓を目の前にしてヨダレを垂らすのを必死に堪えているような、凄絶な「捕食者の笑み」が浮かんでいた。


「……っ。ル、ルミール! 今すぐその顔をやめるんだ! 僕の心臓が物理的に止まってしまう!」


カイル様が椅子から転げ落ちそうになりながら叫んだ。


(ひどい! 今の、私の中では天使がラッパを吹いてるくらいの多幸感だったのに!)


「(((((((マカロンマカロンマカロンマカロン愛してるマカロン!!))))))))」


私の内面の絶叫が、あまりの熱量で部屋の空気を振動させる。


カイル様は額を押さえ、震えながら立ち上がった。


「……分かった。食べ物のことは一旦忘れよう。次は……僕のことを考えてみてくれないか?」


(……えっ? カイル様のことを?)


私は、目の前に立つカイル様を凝視した。


(カイル様のこと。……いつも不法侵入してくるし、私の心を勝手に読んで楽しんでるし、意地悪だけど……。でも、私が追放された時に一番に手を差し伸べてくれた。私の変な魔法を「すごい」って笑ってくれた。……あ。私、カイル様が隣にいると、不思議と怖くないんだ)


心臓が、トクンと温かい音を立てる。


((((カイル様。いつも、ありがとう。……大好きよ))))


私は、無意識のうちにカイル様の瞳をじっと見つめ返していた。


その瞬間、私の表情から余計な力が抜けた。


鏡を見る余裕もなかったけれど、カイル様の目が大きく見開かれたのが分かった。


「…………っ」


カイル様は絶句したまま、顔を真っ赤にして視線を逸らした。


(えっ!? 今のも変だった!? やっぱり、蛇に睨まれたカエルみたいな顔になっちゃった!?)


私は慌ててボードに文字を書いた。


『すみません! 今のは忘れてください! やっぱり私は、鉄仮面を被って舞踏会に出ます!』


「……いや。……今のは、反則だ」


カイル様は口元を隠しながら、消え入りそうな声で呟いた。


「((((可愛すぎるだろう……。あんなに真っ直ぐに、あんなに愛おしそうに『大好き』なんて心の声を聞かされて……耐えられるわけがない))))」


(……えっ? 今、なんて? カイル様の心の声が、今、私に聞こえた気が……!?)


「……っ! あ、ああ、今の特訓は終了だ! 本番は僕がずっと横にいる。君は、無理に笑おうとしなくていい。……そのままで、誰よりも美しいんだから」


カイル様は逃げるようにテラスへ向かった。


(……な、なに。なんなの今の。カイル様、今、照れてた? 不法侵入のプロが、照れてたの!?)


私は一人、取り残されたサロンで自分の頬に触れた。


(……笑顔。やっぱりよく分からないけど。……マカロンよりも、カイル様のあの赤い顔の方が、なんだか胸に残っちゃったわ)


私の内面の「お喋り」は、マカロンのことよりも、隣を歩く誰かへの想いで、さらに賑やかになっていくのだった。


特訓の成果は……たぶん、ゼロ。


けれど、二人の距離は、数値化できないほどに縮まっていたのである。
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