婚約破棄? ありがとうございます、今日から廃業いたします

萩月

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深夜のグラナート公爵邸。


普段なら静まり返っているはずの玄関ホールに、煌々と明かりが灯っていた。


馬車から降りた私は、重いドレスの裾を蹴飛ばすようにして邸内へと足を踏み入れる。


「お帰りなさいませ、ディアナお嬢様。……して、戦果はいかがでしたかな?」


出迎えたのは、幼い頃から私を知る老執事のセバスだ。


彼は私のボロボロになった髪型や、不自然に緩んだコルセットを見ても、眉一つ動かさない。


「戦果も何も、見ての通りよ。完璧に『クビ』になってきたわ」


「左様でございますか。それは、おめでとうございます」


「ふふ、セバス。あなただけは私の味方だと思っていたわ」


私は高笑いしながら、二階の書斎へと向かった。


そこには、この家の当主であり、私の父であるグラナート公爵が待っているはずだ。


流石に婚約破棄となれば、公爵家の名誉に関わる。


いくらなんでも、多少の小言は覚悟しなければならない。


私は一つ深呼吸をして、重厚な扉を勢いよく開いた。


「お父様、ただいま戻りました! ウィルフレイド様との婚約は、無事に解消されましたわ!」


書斎のデスクで書類を眺めていた父が、ゆっくりと顔を上げた。


沈黙が流れる。


父の鋭い眼光が私を射抜き、私は思わず背筋を伸ばした。


「……そうか。終わったか」


「はい。私の不徳の致すところで……」


「よくやった! ディアナ!」


「……はい?」


父は突然立ち上がると、私の両肩をガシッと掴んで揺さぶった。


「お、お父様? ショックで理性が吹き飛んでしまったのですか?」


「何を言うか! 理性が戻ったのだ! あんな、脳みそがシュークリームでできているような王子に、我が愛娘を嫁がせるなど……私は毎日、胃を痛めていたのだぞ!」


父はそう叫ぶと、デスクの上に山積みにされていた書類を、まるでゴミのように一気に端へ押しやった。


「見てみろ、この書類の山を! 王家との繋がりを維持するために、どれだけの無駄な接待と調整が必要だったか! だが、それも今日で終わりだ!」


「お父様……。まさか、お父様も私と同じ気持ちだったのですか?」


「当たり前だ。私はな、お前がいつ『もう嫌だ、寝かせろ』と泣きついてくるか、今か今かと待っていたのだ。お前は真面目すぎるんだよ、ディアナ」


父はカハハと豪快に笑い、私をソファへ促した。


「で、これからどうするつもりだ? 別の縁談を探すか? それとも、ほとぼりが冷めるまで隣国の別荘へ行くか?」


「いいえ。私は、この公爵邸から一歩も出ないつもりです」


「ほう?」


「卒業後の予定はすべて白紙にしました。明日からは、太陽が沈むまで寝て、目が覚めたら本を読み、飽きたらおやつを食べる……そんな『定休日』を過ごしたいのです」


私は確信を持って告げた。


父は一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐに深く頷いた。


「……なるほど。隠居生活か。いいな、それ。私も混ざっていいか?」


「お父様は働いてください。グラナート家が潰れたら、私の定休日が終わってしまいます」


「それもそうだな。くそ、仕事に戻るか……。だがディアナ、安心しろ。お前の生活費と、最高の安眠環境は私が保証しよう」


父はニヤリと笑い、セバスを呼んだ。


「セバス! ディアナの部屋から、あの忌々しい『王妃教育用』の参考書をすべて叩き出せ! 代わりに最高級の羽根布団と、二十種類以上の茶葉を用意しろ!」


「畏まりました。既に、業者の手配は済んでおります」


「流石ね、セバス」


私は感極まって、父の手を握った。


「お父様……。私、この家に生まれて本当に良かったですわ」


「気にするな。お前は十二分に働いた。これからは、グラナート公爵家の『穀潰し』として、堂々と胸を張って生きるがいい」


「はい! 全力で、何もしないことを誓いますわ!」


こうして、私は実家の全面協力を得て、輝かしきニート生活……もとい、「定休日」への切符を手に入れた。


翌朝、私が目を覚ましたのは、太陽が真上に来た頃だった。


カーテンの隙間から差し込む光が、これほどまでに愛おしいと思ったことはない。


「……幸せ」


枕元に置かれたベルを鳴らすこともせず、私は再び、ふわふわの布団の中に潜り込んだ。


しかし、そんな私の平穏を破るように、部屋の扉が遠慮がちにノックされた。


「お嬢様、失礼いたします。……少々、困ったことになりまして」


セバスの声だ。


「……まだ昼の十二時よ、セバス。何かあったの?」


「はい。門の前に、王太子殿下が……いえ、元婚約者様が、バラの花束を持って座り込んでおられます」


「……は?」


私の「定休日」初日は、どうやら前途多難な幕開けとなりそうだった。
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