婚約破棄? ありがとうございます、今日から廃業いたします

萩月

文字の大きさ
4 / 28

4

「……セバス。今、なんて言ったのかしら。私の耳が寝ぼけているだけだと思いたいわ」


私は枕に顔を埋めたまま、掠れた声で問いかけた。


「はい、お嬢様。ウィルフレイド殿下が門の前で『ディアナ、昨日は言い過ぎた! 君の寛大さに免じて、もう一度話し合おう!』と、近所迷惑な声量で叫んでおられます」


「……地獄ね。そこは天国じゃないの?」


「あいにく、現実でございます。バラの花束も、先ほど数えたところ九十九本ございました」


「半端だわ。あと一本くらいケチらないでほしいものね」


私は重い体を引きずり出し、ベッドの上にのっそりと座り込んだ。


髪は鳥の巣のように乱れ、高級なシルクの寝巻きは寝返りのせいで無残に はだけている。


かつて社交界で「氷の薔薇」と謳われた完璧な姿は、そこには微塵もなかった。


「お会いになりますか? 一応、父上様からは『追い返しても構わん』との許可を頂いておりますが」


「当たり前でしょう。今の私を見て。コルセットもしてない、化粧もしてない。……あ、でもそうね。一度、引導を渡してあげる必要があるわ」


私はふらふらと立ち上がると、クローゼットへ向かった。


そこには昨日、セバスに命じて用意させた「究極の戦闘服」がある。


「お嬢様……それは」


「ええ。これこそが、私の定休日を支える最強の鎧。……『ゆるゆるの綿製スモック』よ!」


それは、貴族の令嬢が人前で着るにはあまりに品位を欠いた、ただのゆったりとした部屋着だった。


ウエストを締め付ける紐もなければ、肩を凝らせる飾りもない。


私は手早く着替えを済ませ、さらにセバスから受け取った「モコモコの毛布」をマントのように羽織った。


「……完璧だわ。今の私は、どんな高価なドレスを着ている時よりも無敵よ」


私はそのまま、バルコニーへと繋がる窓を豪快に開け放った。


眼下には、真っ赤なバラの花束を抱え、キラキラとしたオーラを放とうと必死なウィルフレイド様の姿がある。


「ディアナ! 出てきてくれたか! さあ、私の愛の……って、なんだその格好は!?」


私を見上げた王子の顔が、驚愕で引き攣った。


「おはようございます、ウィルフレイド様。近所迷惑ですので、そのバラは庭師にでも預けてお帰りください」


「き、貴様……。そんなボロボロの髪に、締まりのない服装で! 公爵令嬢としての矜持はどうしたのだ!」


「捨てましたわ。昨日の夜、パーティー会場の床に置いてきました。拾うつもりもございません」


私はバルコニーの手すりに ぐったりと寄りかかり、大きなあくびを一つした。


「……ひ、酷い。そんな姿、見たくなかった……。私の知っているディアナは、もっとこう、凛としていて……」


「それは『仕事中』の私です。今の私は『定休日』。つまり、ただの廃人ですわ」


「はいじん……? 言葉の意味はわからんが、とにかく凄まじい絶望を感じるぞ!」


「それは良かったです。お互いに絶望していることが分かれば、もう話すことはありませんわね。セバス、お塩を持ってきて」


「畏まりました。盛り塩にいたしますか? それとも直接撒かれますか?」


「直接、力一杯お願い」


セバスがどこからか取り出した塩の袋を手に取ると、王子は悲鳴を上げて一歩後退した。


「ま、待て! 私は、君がいないとリリアンの我が儘を制御できないことに気づいたのだ! 彼女、さっきから『宝石をシュークリームの形に削れ』とか言い出して……!」


「知ったことではありませんわ。彼女のウエストと一緒に、頭の中も甘くなってしまったのでしょう。お似合いですわよ、お二人とも」


「ディアナ! 冷たすぎるぞ! 君のその冷徹なまでの事務処理能力が、今の私には……!」


「愛ではなく、能力が目当てなら、なおさらお断りです。私の有能さは、今日から自分を甘やかすためだけに使いますので」


私はひらひらと手を振り、そのまま窓をピシャリと閉めた。


カーテンも一気に閉め切り、部屋の中を心地よい薄暗さに戻す。


「……ああ、疲れた。数分喋っただけで一日の体力を使い果たしたわ」


「お疲れ様でございました。殿下は門の外で膝をついておられます。バラの花束が、心なしか萎れているように見えますね」


「放置しておきなさい。……さて、二度寝の時間よ。セバス、お昼ご飯は三時間後に。メニューは、噛まなくても飲み込めるくらい柔らかいものがいいわ」


「承知いたしました。離乳食のようなリゾットをご用意させましょう」


「最高ね。頼んだわよ」


私は再び、魔法の綿スモックに包まれながら、ふかふかのベッドへとダイブした。


外で王子の叫び声が聞こえたような気がしたが、それは遠い国の出来事のようにしか感じられなかった。


ドレスを脱ぎ捨て、立場を脱ぎ捨て、私はようやく「自分」を取り戻したのだ。


(……幸せ。やっぱり、ダラけるって素晴らしいわ)


意識がまどろみの中に溶けていく。


私の「定休日」は、まだ始まったばかり。


たとえ世界が滅びようとも、私はこの布団から出るつもりはない。


……はずだったのだが。


「……お嬢様。大変申し上げにくいのですが」


「……また何? セバス。次は誰が座り込んでるの?」


「いえ。カイル様が『仕事が終わらないので、ここでやらせてもらう』と、執務机を勝手に運び込んで参りまして……」


私の完璧な引きこもり計画は、早くも強力な「お邪魔虫」によって脅かされようとしていた。
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢にされたので婚約破棄を受け入れたら、なぜか全員困っています

かきんとう
恋愛
 王城の大広間は、いつも以上に華やいでいた。  磨き上げられた床は燭台の光を反射し、色とりどりのドレスが揺れるたびに、まるで花畑が動いているかのように見える。貴族たちの笑い声、楽団の優雅な旋律、そして、ひそやかな噂話が、空気を満たしていた。  その中心に、私は立っていた。  ――今日、この瞬間のために。 「エレノア・フォン・リーベルト嬢」  高らかに呼ばれた私の名に、ざわめきがぴたりと止む。

本の通りに悪役をこなしてみようと思います

Blue
恋愛
ある朝。目覚めるとサイドテーブルの上に見知らぬ本が置かれていた。 本の通りに自分自身を演じなければ死ぬ、ですって? こんな怪しげな本、全く信用ならないけれど、やってやろうじゃないの。 悪役上等。 なのに、何だか様子がおかしいような?

報われなかった姫君に、弔いの白い薔薇の花束を

さくたろう
恋愛
 その国の王妃を決める舞踏会に招かれたロザリー・ベルトレードは、自分が当時の王子、そうして現王アルフォンスの婚約者であり、不遇の死を遂げた姫オフィーリアであったという前世を思い出す。  少しずつ蘇るオフィーリアの記憶に翻弄されながらも、17年前から今世まで続く因縁に、ロザリーは絡め取られていく。一方でアルフォンスもロザリーの存在から目が離せなくなり、やがて二人は再び惹かれ合うようになるが――。 20話です。小説家になろう様でも公開中です。

成功条件は、まさかの婚約破棄!?

たぬきち25番
恋愛
「アリエッタ、あなたとの婚約を破棄する……」 王太子のアルベルト殿下は、そう告げた。 王妃教育に懸命に取り組んでいたアリエッタだったが、 それを聞いた彼女は……? ※他サイト様にも公開始めました!

ゲームには参加しません! ―悪役を回避して無事逃れたと思ったのに―

冬野月子
恋愛
侯爵令嬢クリスティナは、ここが前世で遊んだ学園ゲームの世界だと気づいた。そして自分がヒロインのライバルで悪役となる立場だと。 のんびり暮らしたいクリスティナはゲームとは関わらないことに決めた。設定通りに王太子の婚約者にはなってしまったけれど、ゲームを回避して婚約も解消。平穏な生活を手に入れたと思っていた。 けれど何故か義弟から求婚され、元婚約者もアプローチしてきて、さらに……。 ※小説家になろう・カクヨムにも投稿しています。

行動あるのみです!

恋愛
※一部タイトル修正しました。 シェリ・オーンジュ公爵令嬢は、長年の婚約者レーヴが想いを寄せる名高い【聖女】と結ばれる為に身を引く決意をする。 自身の我儘のせいで好きでもない相手と婚約させられていたレーヴの為と思った行動。 これが実は勘違いだと、シェリは知らない。

すみっこ婚約破棄同盟〜王子様による婚約破棄のすみっこで〜

まりー
恋愛
   ある夜会で王子とその側近達の婚約破棄が行われた。腕に恋人をぶら下げて。所謂、王道断罪劇である。  でもこのお話の主役は麗しのヒロインでも、キラキラ王子でも、学園一の秀才や騎士団期待のホープでもない。これは王道のすみっこで行われた、弱小貴族と商人の子息たちの婚約破棄のお話である。 _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ _ 「もう俺ら、恋なんてしない!」と言う小学生の息子の話を参考に書きました。登場人物の男子たちの頭は小学生レベルだと思って読んでください。    

婚約破棄、しません

みるくコーヒー
恋愛
公爵令嬢であるユシュニス・キッドソンは夜会で婚約破棄を言い渡される。しかし、彼らの糾弾に言い返して去り際に「婚約破棄、しませんから」と言った。 特に婚約者に執着があるわけでもない彼女が婚約破棄をしない理由はただ一つ。 『彼らを改心させる』という役目を遂げること。 第一王子と自身の兄である公爵家長男、商家の人間である次期侯爵、天才魔導士を改心させることは出来るのか!? 本当にざまぁな感じのやつを書きたかったんです。 ※こちらは小説家になろうでも投稿している作品です。アルファポリスへの投稿は初となります。 ※宜しければ、今後の励みになりますので感想やアドバイスなど頂けたら幸いです。 ※使い方がいまいち分からずネタバレを含む感想をそのまま承認していたりするので感想から読んだりする場合はご注意ください。ヘボ作者で申し訳ないです。