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「……セバス。今、なんて言ったのかしら。私の耳が寝ぼけているだけだと思いたいわ」
私は枕に顔を埋めたまま、掠れた声で問いかけた。
「はい、お嬢様。ウィルフレイド殿下が門の前で『ディアナ、昨日は言い過ぎた! 君の寛大さに免じて、もう一度話し合おう!』と、近所迷惑な声量で叫んでおられます」
「……地獄ね。そこは天国じゃないの?」
「あいにく、現実でございます。バラの花束も、先ほど数えたところ九十九本ございました」
「半端だわ。あと一本くらいケチらないでほしいものね」
私は重い体を引きずり出し、ベッドの上にのっそりと座り込んだ。
髪は鳥の巣のように乱れ、高級なシルクの寝巻きは寝返りのせいで無残に はだけている。
かつて社交界で「氷の薔薇」と謳われた完璧な姿は、そこには微塵もなかった。
「お会いになりますか? 一応、父上様からは『追い返しても構わん』との許可を頂いておりますが」
「当たり前でしょう。今の私を見て。コルセットもしてない、化粧もしてない。……あ、でもそうね。一度、引導を渡してあげる必要があるわ」
私はふらふらと立ち上がると、クローゼットへ向かった。
そこには昨日、セバスに命じて用意させた「究極の戦闘服」がある。
「お嬢様……それは」
「ええ。これこそが、私の定休日を支える最強の鎧。……『ゆるゆるの綿製スモック』よ!」
それは、貴族の令嬢が人前で着るにはあまりに品位を欠いた、ただのゆったりとした部屋着だった。
ウエストを締め付ける紐もなければ、肩を凝らせる飾りもない。
私は手早く着替えを済ませ、さらにセバスから受け取った「モコモコの毛布」をマントのように羽織った。
「……完璧だわ。今の私は、どんな高価なドレスを着ている時よりも無敵よ」
私はそのまま、バルコニーへと繋がる窓を豪快に開け放った。
眼下には、真っ赤なバラの花束を抱え、キラキラとしたオーラを放とうと必死なウィルフレイド様の姿がある。
「ディアナ! 出てきてくれたか! さあ、私の愛の……って、なんだその格好は!?」
私を見上げた王子の顔が、驚愕で引き攣った。
「おはようございます、ウィルフレイド様。近所迷惑ですので、そのバラは庭師にでも預けてお帰りください」
「き、貴様……。そんなボロボロの髪に、締まりのない服装で! 公爵令嬢としての矜持はどうしたのだ!」
「捨てましたわ。昨日の夜、パーティー会場の床に置いてきました。拾うつもりもございません」
私はバルコニーの手すりに ぐったりと寄りかかり、大きなあくびを一つした。
「……ひ、酷い。そんな姿、見たくなかった……。私の知っているディアナは、もっとこう、凛としていて……」
「それは『仕事中』の私です。今の私は『定休日』。つまり、ただの廃人ですわ」
「はいじん……? 言葉の意味はわからんが、とにかく凄まじい絶望を感じるぞ!」
「それは良かったです。お互いに絶望していることが分かれば、もう話すことはありませんわね。セバス、お塩を持ってきて」
「畏まりました。盛り塩にいたしますか? それとも直接撒かれますか?」
「直接、力一杯お願い」
セバスがどこからか取り出した塩の袋を手に取ると、王子は悲鳴を上げて一歩後退した。
「ま、待て! 私は、君がいないとリリアンの我が儘を制御できないことに気づいたのだ! 彼女、さっきから『宝石をシュークリームの形に削れ』とか言い出して……!」
「知ったことではありませんわ。彼女のウエストと一緒に、頭の中も甘くなってしまったのでしょう。お似合いですわよ、お二人とも」
「ディアナ! 冷たすぎるぞ! 君のその冷徹なまでの事務処理能力が、今の私には……!」
「愛ではなく、能力が目当てなら、なおさらお断りです。私の有能さは、今日から自分を甘やかすためだけに使いますので」
私はひらひらと手を振り、そのまま窓をピシャリと閉めた。
カーテンも一気に閉め切り、部屋の中を心地よい薄暗さに戻す。
「……ああ、疲れた。数分喋っただけで一日の体力を使い果たしたわ」
「お疲れ様でございました。殿下は門の外で膝をついておられます。バラの花束が、心なしか萎れているように見えますね」
「放置しておきなさい。……さて、二度寝の時間よ。セバス、お昼ご飯は三時間後に。メニューは、噛まなくても飲み込めるくらい柔らかいものがいいわ」
「承知いたしました。離乳食のようなリゾットをご用意させましょう」
「最高ね。頼んだわよ」
私は再び、魔法の綿スモックに包まれながら、ふかふかのベッドへとダイブした。
外で王子の叫び声が聞こえたような気がしたが、それは遠い国の出来事のようにしか感じられなかった。
ドレスを脱ぎ捨て、立場を脱ぎ捨て、私はようやく「自分」を取り戻したのだ。
(……幸せ。やっぱり、ダラけるって素晴らしいわ)
意識がまどろみの中に溶けていく。
私の「定休日」は、まだ始まったばかり。
たとえ世界が滅びようとも、私はこの布団から出るつもりはない。
……はずだったのだが。
「……お嬢様。大変申し上げにくいのですが」
「……また何? セバス。次は誰が座り込んでるの?」
「いえ。カイル様が『仕事が終わらないので、ここでやらせてもらう』と、執務机を勝手に運び込んで参りまして……」
私の完璧な引きこもり計画は、早くも強力な「お邪魔虫」によって脅かされようとしていた。
私は枕に顔を埋めたまま、掠れた声で問いかけた。
「はい、お嬢様。ウィルフレイド殿下が門の前で『ディアナ、昨日は言い過ぎた! 君の寛大さに免じて、もう一度話し合おう!』と、近所迷惑な声量で叫んでおられます」
「……地獄ね。そこは天国じゃないの?」
「あいにく、現実でございます。バラの花束も、先ほど数えたところ九十九本ございました」
「半端だわ。あと一本くらいケチらないでほしいものね」
私は重い体を引きずり出し、ベッドの上にのっそりと座り込んだ。
髪は鳥の巣のように乱れ、高級なシルクの寝巻きは寝返りのせいで無残に はだけている。
かつて社交界で「氷の薔薇」と謳われた完璧な姿は、そこには微塵もなかった。
「お会いになりますか? 一応、父上様からは『追い返しても構わん』との許可を頂いておりますが」
「当たり前でしょう。今の私を見て。コルセットもしてない、化粧もしてない。……あ、でもそうね。一度、引導を渡してあげる必要があるわ」
私はふらふらと立ち上がると、クローゼットへ向かった。
そこには昨日、セバスに命じて用意させた「究極の戦闘服」がある。
「お嬢様……それは」
「ええ。これこそが、私の定休日を支える最強の鎧。……『ゆるゆるの綿製スモック』よ!」
それは、貴族の令嬢が人前で着るにはあまりに品位を欠いた、ただのゆったりとした部屋着だった。
ウエストを締め付ける紐もなければ、肩を凝らせる飾りもない。
私は手早く着替えを済ませ、さらにセバスから受け取った「モコモコの毛布」をマントのように羽織った。
「……完璧だわ。今の私は、どんな高価なドレスを着ている時よりも無敵よ」
私はそのまま、バルコニーへと繋がる窓を豪快に開け放った。
眼下には、真っ赤なバラの花束を抱え、キラキラとしたオーラを放とうと必死なウィルフレイド様の姿がある。
「ディアナ! 出てきてくれたか! さあ、私の愛の……って、なんだその格好は!?」
私を見上げた王子の顔が、驚愕で引き攣った。
「おはようございます、ウィルフレイド様。近所迷惑ですので、そのバラは庭師にでも預けてお帰りください」
「き、貴様……。そんなボロボロの髪に、締まりのない服装で! 公爵令嬢としての矜持はどうしたのだ!」
「捨てましたわ。昨日の夜、パーティー会場の床に置いてきました。拾うつもりもございません」
私はバルコニーの手すりに ぐったりと寄りかかり、大きなあくびを一つした。
「……ひ、酷い。そんな姿、見たくなかった……。私の知っているディアナは、もっとこう、凛としていて……」
「それは『仕事中』の私です。今の私は『定休日』。つまり、ただの廃人ですわ」
「はいじん……? 言葉の意味はわからんが、とにかく凄まじい絶望を感じるぞ!」
「それは良かったです。お互いに絶望していることが分かれば、もう話すことはありませんわね。セバス、お塩を持ってきて」
「畏まりました。盛り塩にいたしますか? それとも直接撒かれますか?」
「直接、力一杯お願い」
セバスがどこからか取り出した塩の袋を手に取ると、王子は悲鳴を上げて一歩後退した。
「ま、待て! 私は、君がいないとリリアンの我が儘を制御できないことに気づいたのだ! 彼女、さっきから『宝石をシュークリームの形に削れ』とか言い出して……!」
「知ったことではありませんわ。彼女のウエストと一緒に、頭の中も甘くなってしまったのでしょう。お似合いですわよ、お二人とも」
「ディアナ! 冷たすぎるぞ! 君のその冷徹なまでの事務処理能力が、今の私には……!」
「愛ではなく、能力が目当てなら、なおさらお断りです。私の有能さは、今日から自分を甘やかすためだけに使いますので」
私はひらひらと手を振り、そのまま窓をピシャリと閉めた。
カーテンも一気に閉め切り、部屋の中を心地よい薄暗さに戻す。
「……ああ、疲れた。数分喋っただけで一日の体力を使い果たしたわ」
「お疲れ様でございました。殿下は門の外で膝をついておられます。バラの花束が、心なしか萎れているように見えますね」
「放置しておきなさい。……さて、二度寝の時間よ。セバス、お昼ご飯は三時間後に。メニューは、噛まなくても飲み込めるくらい柔らかいものがいいわ」
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ドレスを脱ぎ捨て、立場を脱ぎ捨て、私はようやく「自分」を取り戻したのだ。
(……幸せ。やっぱり、ダラけるって素晴らしいわ)
意識がまどろみの中に溶けていく。
私の「定休日」は、まだ始まったばかり。
たとえ世界が滅びようとも、私はこの布団から出るつもりはない。
……はずだったのだが。
「……お嬢様。大変申し上げにくいのですが」
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