婚約破棄? ありがとうございます、今日から廃業いたします

萩月

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「……リリアン。その、ポテトチップスを指の背でつまむのはやめなさい。不効率だわ」


私は、山積みにされたクッションの頂点から、床に転がっている弟子をたしなめた。


「でもお師匠様……。こうすれば指先が汚れなくて、ページをめくる時に本が汚れないんですぅ。これこそが『怠惰の知恵』ではないでしょうかぁ」


リリアンは、口の端に塩をつけたまま、昨日私が貸した『禁断の騎士団・秘められた夜の演習』という、タイトルからして教育に悪い小説に没頭している。


「……認めたくないけれど、一理あるわね。でも、その体勢だと腰を痛めるわよ。はい、この予備の枕を使いなさい」


「わぁ、ありがとうございますぅ! お師匠様、意外と面倒見がいいんですねぇ」


「勘違いしないで。あなたが腰を痛めて動けなくなったら、誰が私の代わりにキッチンへ『おかわり』を取りに行くのよ」


「ひどいですぅ! 私、お師匠様の専属パシリじゃないですかぁ!」


「いいえ、共犯者よ。……さあ、その甘ったるい炭酸水をこちらに」


かつては社交界の華、あるいは清純な聖女と称えられた二人の令嬢が、今や公爵邸の秘密の離れで、人間に見せられないほど崩れた姿で転がっている。


部屋の中には、高級なアロマの代わりに揚げ物の香ばしい匂いが漂い、シルクのカーテンは「昼寝の邪魔」という理由で昼間から閉め切られていた。


「ねぇ、リリアン。正直なところ、王宮での生活はどうだったの?」


私は、グラスの中の氷をカチャカチャと鳴らしながら尋ねた。


「最悪でしたぁ……。ウィル様ってば、デート中にずっと自分のかっこいいポーズの練習をしてるんですよぉ? 私が『お腹空いた』って言っても、『愛があれば満たされるだろう』とか言って、何も食べさせてくれないんですぅ」


「……。あいつの脳内、本当にどうなってるのかしらね」


「しかも、最近はディアナ様の昔のスケジュール表を見つけてきて、『これからはこれに従って、立派な王妃になろう!』って……。一日の睡眠時間が四時間しかないスケジュールなんて、拷問ですよぉ!」


「あら。私、当時は三時間の日もあったわよ。お肌の曲がり角を三回くらい曲がった気がしたわ」


「三回も! やっぱりお師匠様はレジェンドですぅ……!」


リリアンは尊敬の眼差しを向けてくるが、私にとっては黒歴史でしかない。


その時、部屋の扉がノックもなしに勢いよく開け放たれた。


「……君たち。いい加減にしろと言いに来たのだが」


現れたのは、書類の束を脇に抱え、眉間に深い皺を刻んだカイルだった。


「あらカイル。ノックもできないなんて、マナーの再教育が必要かしら?」


「マナーを語るなら、まずその、ポテトチップスの袋を枕にしている状況をどうにかしてからにするんだな」


カイルは呆れたように部屋を見渡し、窓際のカーテンを無理やり開けた。


「ま、眩しい! 目が、目がぁぁ!」


「お師匠様、逃げてください! 光の暴力ですぅ!」


「騒ぐな。ディアナ、君に王宮から正式な呼び出しが来ている。来週、隣国の特使を迎える晩餐会がある。君の知識と調整力が必要だそうだ」


「……。セバス、お塩を持ってきて。今すぐ、この男を部屋の隅まで清めるのよ」


私は、毛布にくるまったまま、芋虫のようにカイルから距離を取った。


「冗談じゃないわ。私はもう、ドレスを着るために呼吸を止めるような生活は卒業したの。隣国の特使? リリアンさんが『じゃがいもの精霊』として踊り狂えば、相手も満足して帰るんじゃない?」


「お師匠様、私をどんな化け物だと思ってるんですかぁ!」


「カイル。その呼び出し状は、今すぐ暖炉の火種にでもしなさい。私は今、『ポテチをいかに音を立てずに食べるか』という世紀の実験で忙しいの」


「……。君がそう言うと思って、既にお断りの返事を出しておいた。代わりに、私がその特使の相手をすることになったよ。君のせいで私の睡眠時間も削られるというわけだ」


カイルは深いため息をつき、私のベッドの端に腰を下ろした。


「……あら。意外と気が利くじゃない。お疲れ様、カイル」


「労う気があるなら、そのポテトチップスを一枚分けてくれないか。……昼食を摂る暇もなかったんだ」


「えぇ~、カイル様ぁ。これ、私が指の背でつまんだやつですよぉ?」


「……構わん。毒でなければなんでもいい」


結局、カイルも私たちの「ダラダラ女子会」に(やさぐれながら)参加することになった。


エリート宰相が、廃人令嬢と元聖女に囲まれて、床に座ってジャンクフードを齧る光景。


もしこれが新聞に載れば、王国の権威は一晩で崩壊するだろう。


「……でも、カイル。王宮は大丈夫なの? あの王子、ちゃんとやってる?」


「やってるわけがないだろう。昨日は、執務室に『愛の詩』を百首も綴ったノートを忘れていったよ。内容があまりに痛々しくて、騎士団の連中が同情のあまり泣いていた」


「……。リリアンさん、あなたあんなのと結婚しなくて本当に良かったわね」


「はいぃ! お師匠様についてきて大正解ですぅ!」


私たちは、カイルの愚痴を肴に、さらにダラダラとした時間を過ごした。


自由とは、誰かに迷惑をかけて手に入れるものではない。


誰かの期待を、華麗にスルーする勇気のことなのだ。


「……よし。決めたわ。明日は、三人で庭の噴水で釣りをしましょう」


「釣り? 観賞用の魚しかいませんよ、ディアナ様」


「食べられない魚を釣る……それこそが、究極の贅沢だと思わない?」


私の提案に、カイルは頭を抱え、リリアンは諸手を挙げて賛成した。


悪役令嬢と、聖女と、宰相。


奇妙な三人組の「定休日」は、さらにカオスな方向へと加速していくのだった。
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