婚約破棄? ありがとうございます、今日から廃業いたします

萩月

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「……ちょっと、ゼノス殿? 一度、手を離していただけるかしら。あと、そのキラキラした目で私を見ないで」


私は、白目を剥いたまま固まった。


想定では、この「顔面崩壊」を見た瞬間に、彼は悲鳴を上げて席を立ち、今頃は馬車で国境を越えているはずだった。


「いいえ、離せません! ディアナ様、あなたはご自身がどれほどのアバンギャルドを体現しているか、理解していらっしゃらない!」


ゼノス殿は、私の手を握る力を強め、陶酔したように溜息をついた。


「美しさとは、整った造作のことではない。魂の震えが形となって現れたもの……。今のあなたのお顔、まるで嵐に翻弄される野薔薇のようです!」


「……。薔薇というより、踏み潰された芋に近いと思うのだけれど」


「その謙遜さえも芸術的だ! 見てください、この鼻の穴の広がり! そして左右非対称に吊り上がった口角! これこそが、偽りの社交界に叩きつけられた挑戦状だ!」


(ダメだわ、この男。完全に話が通じないタイプだわ……!)


私は、筋肉の限界を迎えつつある顔を必死に維持しながら、救いを求めてセバスに視線を送った。


しかし、セバスは「流石はお嬢様、新境地を開拓されましたね」と言わんばかりの、穏やかな微笑みを浮かべて壁際で佇んでいる。


助けて、セバス。私の顔が、このままこの形で固まったらどうするの。


「ディアナ様! ぜひ、私にあなたの肖像画を描かせてください! もちろん、その『魂の顔』のままで!」


「お断りよ。画家の精神を破壊するだけだわ。それに私、今は『定休日』。モデルのような拘束時間の長い仕事は受け付けておりませんの」


「では、私があなたの『定休日』の一部になりましょう! あなたが寝るなら、私はその寝顔のスケッチを。あなたが食べるなら、私はその咀嚼音を楽譜に……」


「……ストーカーの宣言にしか聞こえないのだけれど」


私が本気で引き始めたその時。


サロンの重厚な扉が、ノックもなしに「バン!」と乱暴に開け放たれた。


「……そこまでにしてもらおうか。バルトシュ公爵令息」


現れたのは、書類の束を片手に持ち、明らかに「仕事中ではありません」という不機嫌なオーラを全身から放っているカイルだった。


「カイル! 良かった、来てくれたのね!」


「……。ディアナ。まず、その顔を元に戻せ。公共の場で見せていい限界を三光年ほど超えている」


カイルは私の隣に歩み寄ると、私の頬を指でぐいっと引っ張り、強引に元の位置に戻した。


「……ふぅ。ああ、顔が疲れたわ」


「カイル・アシュフォード閣下。邪魔をしないでいただきたい。今、私は人生で最も重要な『美の真理』に到達しようとしているのだ!」


ゼノス殿が立ち上がり、カイルを睨みつける。


「美の真理だと? 君が見ているのは、ただの『自暴自棄になった女の迷走』だ。……それに、彼女は今、私の監視下にある。部外者が勝手に連れ出そうとするのは困るな」


カイルはゼノス殿の前に立ちはだかり、冷徹な宰相の顔で言い放った。


「監視下……? ああ、噂の。公爵令嬢を廃人化から救おうとしているという、あの退屈な任務ですか」


「退屈かどうかは、私が決めることだ。……さて、ゼノス殿。残念ながら、先ほど王宮から通達があった。君の滞在許可証に不備が見つかったそうだ。至急、確認のために出頭してもらおうか」


「な、なんだと!? そんなはずは……」


「権力を行使した捏造……いや、迅速な事務処理だよ。……さあ、役人が外で待っている。早く行きたまえ」


カイルの背後には、確かに武装した衛兵たちが控えていた。


ゼノス殿は「ディアナ様ぁ! また必ず、その変顔を見せてくださいぃ!」と叫びながら、無念そうに連行されていった。


静まり返ったサロンに、カイルの深いため息が落ちる。


「……ディアナ。君は、自分の価値を下げようとして、逆に妙な連中を引き寄せる天才だな」


「……。私だって、あんなマニアックな反応をされるとは思わなかったわよ。カイル、助けてくれてありがとう」


私はソファに深く沈み込み、ようやく一息ついた。


「お礼なら、その顔で私の肖像画を描く許可でもくれるのか?」


「……。カイル、あなたまでそっち側(マニア)に行かないでちょうだい」


「冗談だ。……ただ、あんな男に君の妙な顔を見られるのは、あまり愉快な気分ではなかったな」


カイルはぼそりと呟き、私の隣に座った。


「……え? 今、なんて言ったの?」


「……。何でもない。さあ、変顔のしすぎで顔の筋肉が痛むだろう。セバス、冷たいタオルを持ってきてくれ」


「畏まりました、カイル様」


私の「お見合いぶち壊し作戦」は、ゼノス殿という名の嵐を呼び、カイルという名の独占欲(?)を刺激して終わった。


定休日は、なかなか平穏には進まない。


次は、父に「変顔の効かない相手は呼ばないで」と釘を刺さなければ。


私はカイルが用意してくれたタオルの心地よさに浸りながら、次なる「防衛策」を練り始めるのだった。
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