婚約を破棄する!と言われた私と、裏でハイタッチするヒロイン。

萩月

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「……騒がしいですわね。私の静かな謹慎生活を、その安っぽい金管楽器の音で汚さないで頂けますかしら?」


私は、これ以上ないほど冷ややかな笑みを浮かべ、扇を優雅に閉じながら玄関先へと姿を現した。


「おお、メリー! ようやくその美しい、しかし嫉妬に狂った顔を見せてくれたか!」


ヴィルフレド王子は、私が現れるなり、これ見よがしに前髪をかき上げてポーズを固めた。


「殿下。私は嫉妬などしておりませんわ。ただ、この別荘に漂うスパイスの香りを、殿下の不快な香水の匂いでかき消されたことに腹を立てているだけですの」


「ふっ……。相変わらず素直じゃないね。その鼻を突く刺激的な香り……僕への燃え上がる情熱を、あえて『スパイス』と呼んで誤魔化すとは。君の愛は、実に複雑でスパイシーだ!」


(……この男、私の言葉をどう変換したらそんなポジティブな答えに辿り着くのかしら。脳みそがハチミツ漬けにでもなっているんじゃないの?)


私は隣で岩のように固まっているゼクスに、視線で「早く帰して」と訴えた。


だが、ゼクスはわずかに首を横に振り、小声で囁いた。


「……諦めろ。一度スイッチの入った殿下は、自分が満足するまで舞台を降りない」


「困りますわ。……さて、殿下。リリアーナ様が拉致されたなどという妄想は、どちらの三流小説から引用されましたの? ここには私と、不愛想な監視役と、有能な侍女しかおりませんわよ」


「とぼけるな! リリアーナが忽然と姿を消し、この僕の側にいない。それが何よりの証拠だ! 彼女は今頃、君の執念深い尋問に震えているはず……!」


「……殿下、あの方は今、震えてなどおりませんわ。むしろ、お腹いっぱいで……いえ、何でもありませんわ」


私は、奥の部屋でカレーを完食して満足げに寝転んでいるであろう親友の姿を思い浮かべ、危うく真実を口にしそうになった。


ヴィルフレド王子は、不意に私の鼻先に顔を近づけてきた。


「……ほう。近くで見ると、君の瞳にはまだ僕への未練が……ん? メリー、君、額に汗をかいているね?」


(……それは、さっき食べたカレーが想像以上に辛かったからですわよ!)


「これは、殿下への情熱などではなく、更年期……いえ、代謝が良すぎるだけですわ」


「隠さなくていい。僕の放つ光が、君の体温を上昇させているのだね。罪な太陽だよ、僕は」


王子はそう言うと、無理やり私の手を取ろうとした。しかし、その瞬間。


「――殿下、お控えください」


ゼクスの鋭い声と共に、彼の逞しい腕が私たちの間に割り込んだ。


「謹慎中の令嬢に、殿下が直接触れることは、王宮の法に抵触します。監視役として、見過ごせませんな」


「……ゼクス。君は相変わらず空気が読めないね。僕とメリーの再会の抱擁(予定)を邪魔するとは」


「法は法です。……メリー嬢、中へ戻れ。殿下は私が責任を持って、王宮……あるいは精神科へとお送りする」


「精神科なんて場所、この国にはありませんわよ、ゼクス様」


私は、ゼクスの背中に隠れるようにして一歩下がった。彼の背中は相変わらず広くて、少しだけカレーのスパイスの香りがして、不思議な安心感があった。


ヴィルフレドは、不満げに口を尖らせた。


「いいだろう。今日はひとまず引いてやる。だがメリー、君がリリアーナを隠しているなら、今のうちに白状することだ。僕の愛の捜索隊は、どんな秘密も見逃さないからね!」


王子は再び白馬に跨ると、マントを派手に翻した。


「……あ、そうだ。メリー、さっきの『愛の秘薬』……次に来る時は、僕の分も用意しておくように。君の情熱を、僕の舌で直接確かめてあげよう!」


「……。あれはカレーですわ、殿下」


「ふっ、カレー……。愛を意味する異国の隠語だね。覚えたよ!」


白馬が去っていく。その後ろを、演出部隊が悲しげなトランペットを吹きながら追いかけていった。


静寂が戻った玄関先。


私は、足の力が抜けてその場にへたり込みそうになった。


「……ゼクス様。あの方、いつか本当に刺されるんじゃないかしら」


「……。私にその役目を任せてくれるなら、今すぐにでもやりたいところだがな」


ゼクスは剣の柄から手を離し、本日最大級の溜息を吐いた。


「……さあ、中へ入れ。リリアーナ嬢が、鍋に残ったカレーの『お焦げ』を巡ってマーサと抗争を始めているぞ」


「……。あの子、本当にヒロインを引退した方がいいわね」


私は、ゼクスに促されるようにして屋敷の中へと戻った。


外では茜色の夕焼けが、私たちの騒がしい別荘を優しく包み込んでいた。
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