8 / 28
8
しおりを挟む
「お嬢様、本当に行くのですか? その……この馬車の数は、もはや行商人の大移動でございますよ」
セバスが遠い目をしながら、屋敷の前に連なる十台の馬車を見上げました。
私の私物、美容機器、そして献上用の新作コスメ。
これでも厳選に厳選を重ねた結果なのですが、どうやら一般常識という名の物差しでは計りきれないようですわ。
「セバス、何を仰っていますの。隣国の王宮へ伺うのです。予備のドレスが三回分、パック用の精製水が五十リットル、そして万が一の時のための移動式サウナ。……これらは淑女の『最低限の嗜み』ではなくて?」
「……移動式サウナを嗜みと呼ぶのは、世界でお嬢様だけでございます。さあ、アルベルト閣下がお待ちです」
エスコートのために現れたアルベルト様は、私の馬車列を見て、こめかみをピクピクと動かしていました。
以前よりも表情が豊かになった気がしますわ。
いいことです。表情筋を動かすことは、リフトアップの基本ですから。
「……キラリ。これは引越しではないぞ。晩餐会への招待だと言ったはずだが」
「あら、アルベルト様。美しさは一日にして成らず、そして準備を怠れば一瞬で崩れ去るもの。……さあ、出発しましょう! 私の輝きを待っている方々が、隣国に大勢いらっしゃるのでしょう?」
私はアルベルト様の腕に手を添え、優雅に馬車へと乗り込みました。
隣国の王宮までは、馬車で二日の道のり。
道中は険しい森や山を抜けるそうですが、私にとっては「天然のマイナスイオン・ツアー」に過ぎません。
移動中、馬車の窓から差し込む日光を、私は「天然のライティング」として活用していました。
手鏡で自分の肌の状態をチェックしながら、アルベルト様に美容のアドバイスをするのが日課です。
「アルベルト様。先ほどから外を警戒してばかりで、お顔の筋肉が強張っていますわ。もっとリラックスして、深い呼吸を意識してちょうだい。酸素不足はくすみの原因ですわよ」
「……このあたりは魔物が出る。君の呑気さが羨ましいが、私は護衛としての責任があるのだ」
「魔物? まあ、美容の天敵ですわね。もし現れたら、私の特製『超刺激性・目潰し唐辛子洗顔料(試作品)』で撃退して差し上げますわ」
「……それは魔物よりも恐ろしい兵器な気がするが」
そんな軽口を叩いていた時でした。
突然、馬車が激しい振動と共に急停車しました。
外からは馬の嘶きと、地響きのような唸り声が聞こえてきます。
「……来たか。キラリ、君は馬車から出るな。……おい、騎士たち! 陣を組め!」
アルベルト様が鋭い声で命じ、剣を抜いて外へ飛び出しました。
私は言いつけを守る……わけがありませんわ。
何が起きたのか、この目で「美学的観点」から確認しなければ気が済みません。
「お嬢様! いけません、外には『森の暴君』と呼ばれる大熊が!」
セバスの制止をスルーして扉を開けると、そこには体長三メートルはあろうかという、薄汚れた灰色の毛並みをした大熊が立ちはだかっていました。
騎士たちが剣を構えて包囲していますが、大熊は苛立ったように咆哮しています。
「……うう、なんてこと……」
私は口元を片手で覆い、絶句しました。
アルベルト様が私を庇うように一歩前へ出ます。
「安心しろ、キラリ。私が必ず仕留めてみせる。……怪我はさせない」
「いいえ、アルベルト様! そういうことではありませんわ!」
「え……?」
私はアルベルト様を押し退け、大熊に向かって真っ直ぐ歩き出しました。
騎士たちが「死ぬ気か!?」と叫びますが、私の視界には、その大熊の「悲惨な状態」しか映っていません。
「あなた! その毛並み、一体どうしたの!? 枝は絡まっているし、泥は固まっているし……。何より、そのキューティクルの欠片もないバサバサ感! 森の暴君の名が泣いていますわよ!」
大熊がポカンと口を開けました。
唸るのも忘れて、緑色のパックを塗りたくり(今はしていませんが)、扇を振りかざして迫ってくる私を凝視しています。
「キラリ、下がれ! そいつは話が通じる相手ではない!」
「話が通じなくても、肌……いえ、毛並みは嘘をつきません! いい、おとなしくなさい。その不潔な毛玉、私が今すぐ解きほぐして差し上げますわ!」
私は馬車から、献上用の予備として持ってきた「超高級・魔法銀のヘアブラシ」と、植物性オイルのミストを取り出しました。
「……グルル?」
「グルルじゃありません! ほら、背中を見せなさい!」
私は恐れを知らぬ足取りで大熊の背後に回り込みました。
大熊は、私のあまりの気迫(と、漂う高級ローズの香り)に圧倒されたのか、そのままのっそりと座り込んでしまったのです。
「いい? 優しくブラッシングすることで、皮膚の血行を良くし、新しい毛の生え変わりを促すのです。……ほら、このあたりの泥を落とせば、意外と艶やかな毛色ではありませんか」
シュッシュッとオイルミストを吹きかけ、私は一心不乱に大熊をブラッシングし始めました。
騎士たちは剣を構えたまま石像のように固まっています。
アルベルト様に至っては、開いた口が塞がらないという、美容的に非常に宜しくない表情をしておられました。
十分後。
そこには、陽の光を浴びてキラキラと輝く、見違えるほどフワフワになった大熊がいました。
「……ふう。少しはマシになりましたわね。ほら、この『育毛・美毛用オーガニックジャーキー』をあげるから、森へ帰ってお友達に自慢してきなさい」
私がジャーキーを差し出すと、大熊は満足げにそれを食べ、最後になぜか私にペコリと頭を下げてから、森の奥へと消えていきました。
「……キラリ。君は……君という人間は……」
剣を鞘に収めたアルベルト様が、脱力したように私の肩に手を置きました。
「あら、アルベルト様。平和的な解決ですわね。魔物だって、美しさに目覚めれば暴力的になる必要なんてありませんのよ。……さあ、予定が遅れていますわ。早く出発しましょう!」
「……ああ、そうだな。……君の隣にいると、私の常識が『美』という激流に流されて消えていくようだ」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。オーホッホッホッホ!」
高笑いと共に、私の豪華な馬車列は再び動き出しました。
隣国の国境は、もうすぐそこ。
私の「美容革命」の波は、人間のみならず、どうやら森の住人たちまでをも飲み込み始めたようです。
セバスが遠い目をしながら、屋敷の前に連なる十台の馬車を見上げました。
私の私物、美容機器、そして献上用の新作コスメ。
これでも厳選に厳選を重ねた結果なのですが、どうやら一般常識という名の物差しでは計りきれないようですわ。
「セバス、何を仰っていますの。隣国の王宮へ伺うのです。予備のドレスが三回分、パック用の精製水が五十リットル、そして万が一の時のための移動式サウナ。……これらは淑女の『最低限の嗜み』ではなくて?」
「……移動式サウナを嗜みと呼ぶのは、世界でお嬢様だけでございます。さあ、アルベルト閣下がお待ちです」
エスコートのために現れたアルベルト様は、私の馬車列を見て、こめかみをピクピクと動かしていました。
以前よりも表情が豊かになった気がしますわ。
いいことです。表情筋を動かすことは、リフトアップの基本ですから。
「……キラリ。これは引越しではないぞ。晩餐会への招待だと言ったはずだが」
「あら、アルベルト様。美しさは一日にして成らず、そして準備を怠れば一瞬で崩れ去るもの。……さあ、出発しましょう! 私の輝きを待っている方々が、隣国に大勢いらっしゃるのでしょう?」
私はアルベルト様の腕に手を添え、優雅に馬車へと乗り込みました。
隣国の王宮までは、馬車で二日の道のり。
道中は険しい森や山を抜けるそうですが、私にとっては「天然のマイナスイオン・ツアー」に過ぎません。
移動中、馬車の窓から差し込む日光を、私は「天然のライティング」として活用していました。
手鏡で自分の肌の状態をチェックしながら、アルベルト様に美容のアドバイスをするのが日課です。
「アルベルト様。先ほどから外を警戒してばかりで、お顔の筋肉が強張っていますわ。もっとリラックスして、深い呼吸を意識してちょうだい。酸素不足はくすみの原因ですわよ」
「……このあたりは魔物が出る。君の呑気さが羨ましいが、私は護衛としての責任があるのだ」
「魔物? まあ、美容の天敵ですわね。もし現れたら、私の特製『超刺激性・目潰し唐辛子洗顔料(試作品)』で撃退して差し上げますわ」
「……それは魔物よりも恐ろしい兵器な気がするが」
そんな軽口を叩いていた時でした。
突然、馬車が激しい振動と共に急停車しました。
外からは馬の嘶きと、地響きのような唸り声が聞こえてきます。
「……来たか。キラリ、君は馬車から出るな。……おい、騎士たち! 陣を組め!」
アルベルト様が鋭い声で命じ、剣を抜いて外へ飛び出しました。
私は言いつけを守る……わけがありませんわ。
何が起きたのか、この目で「美学的観点」から確認しなければ気が済みません。
「お嬢様! いけません、外には『森の暴君』と呼ばれる大熊が!」
セバスの制止をスルーして扉を開けると、そこには体長三メートルはあろうかという、薄汚れた灰色の毛並みをした大熊が立ちはだかっていました。
騎士たちが剣を構えて包囲していますが、大熊は苛立ったように咆哮しています。
「……うう、なんてこと……」
私は口元を片手で覆い、絶句しました。
アルベルト様が私を庇うように一歩前へ出ます。
「安心しろ、キラリ。私が必ず仕留めてみせる。……怪我はさせない」
「いいえ、アルベルト様! そういうことではありませんわ!」
「え……?」
私はアルベルト様を押し退け、大熊に向かって真っ直ぐ歩き出しました。
騎士たちが「死ぬ気か!?」と叫びますが、私の視界には、その大熊の「悲惨な状態」しか映っていません。
「あなた! その毛並み、一体どうしたの!? 枝は絡まっているし、泥は固まっているし……。何より、そのキューティクルの欠片もないバサバサ感! 森の暴君の名が泣いていますわよ!」
大熊がポカンと口を開けました。
唸るのも忘れて、緑色のパックを塗りたくり(今はしていませんが)、扇を振りかざして迫ってくる私を凝視しています。
「キラリ、下がれ! そいつは話が通じる相手ではない!」
「話が通じなくても、肌……いえ、毛並みは嘘をつきません! いい、おとなしくなさい。その不潔な毛玉、私が今すぐ解きほぐして差し上げますわ!」
私は馬車から、献上用の予備として持ってきた「超高級・魔法銀のヘアブラシ」と、植物性オイルのミストを取り出しました。
「……グルル?」
「グルルじゃありません! ほら、背中を見せなさい!」
私は恐れを知らぬ足取りで大熊の背後に回り込みました。
大熊は、私のあまりの気迫(と、漂う高級ローズの香り)に圧倒されたのか、そのままのっそりと座り込んでしまったのです。
「いい? 優しくブラッシングすることで、皮膚の血行を良くし、新しい毛の生え変わりを促すのです。……ほら、このあたりの泥を落とせば、意外と艶やかな毛色ではありませんか」
シュッシュッとオイルミストを吹きかけ、私は一心不乱に大熊をブラッシングし始めました。
騎士たちは剣を構えたまま石像のように固まっています。
アルベルト様に至っては、開いた口が塞がらないという、美容的に非常に宜しくない表情をしておられました。
十分後。
そこには、陽の光を浴びてキラキラと輝く、見違えるほどフワフワになった大熊がいました。
「……ふう。少しはマシになりましたわね。ほら、この『育毛・美毛用オーガニックジャーキー』をあげるから、森へ帰ってお友達に自慢してきなさい」
私がジャーキーを差し出すと、大熊は満足げにそれを食べ、最後になぜか私にペコリと頭を下げてから、森の奥へと消えていきました。
「……キラリ。君は……君という人間は……」
剣を鞘に収めたアルベルト様が、脱力したように私の肩に手を置きました。
「あら、アルベルト様。平和的な解決ですわね。魔物だって、美しさに目覚めれば暴力的になる必要なんてありませんのよ。……さあ、予定が遅れていますわ。早く出発しましょう!」
「……ああ、そうだな。……君の隣にいると、私の常識が『美』という激流に流されて消えていくようだ」
「褒め言葉として受け取っておきますわ。オーホッホッホッホ!」
高笑いと共に、私の豪華な馬車列は再び動き出しました。
隣国の国境は、もうすぐそこ。
私の「美容革命」の波は、人間のみならず、どうやら森の住人たちまでをも飲み込み始めたようです。
0
あなたにおすすめの小説
貧乏人とでも結婚すれば?と言われたので、隣国の英雄と結婚しました
ゆっこ
恋愛
――あの日、私は確かに笑われた。
「貧乏人とでも結婚すれば? 君にはそれくらいがお似合いだ」
王太子であるエドワード殿下の冷たい言葉が、まるで氷の刃のように胸に突き刺さった。
その場には取り巻きの貴族令嬢たちがいて、皆そろって私を見下ろし、くすくすと笑っていた。
――婚約破棄。
旦那様には愛人がいますが気にしません。
りつ
恋愛
イレーナの夫には愛人がいた。名はマリアンヌ。子どものように可愛らしい彼女のお腹にはすでに子どもまでいた。けれどイレーナは別に気にしなかった。彼女は子どもが嫌いだったから。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」様で作成しました。
【完結】家族に愛されなかった辺境伯の娘は、敵国の堅物公爵閣下に攫われ真実の愛を知る
水月音子
恋愛
辺境を守るティフマ城の城主の娘であるマリアーナは、戦の代償として隣国の敵将アルベルトにその身を差し出した。
婚約者である第四王子と、父親である城主が犯した国境侵犯という罪を、自分の命でもって償うためだ。
だが――
「マリアーナ嬢を我が国に迎え入れ、現国王の甥である私、アルベルト・ルーベンソンの妻とする」
そう宣言されてマリアーナは隣国へと攫われる。
しかし、ルーベンソン公爵邸にて差し出された婚約契約書にある一文に疑念を覚える。
『婚約期間中あるいは婚姻後、子をもうけた場合、性別を問わず健康な子であれば、婚約もしくは結婚の継続の自由を委ねる』
さらには家庭教師から“精霊姫”の話を聞き、アルベルトの側近であるフランからも詳細を聞き出すと、自分の置かれた状況を理解する。
かつて自国が攫った“精霊姫”の血を継ぐマリアーナ。
そのマリアーナが子供を産めば、自分はもうこの国にとって必要ない存在のだ、と。
そうであれば、早く子を産んで身を引こう――。
そんなマリアーナの思いに気づかないアルベルトは、「婚約中に子を産み、自国へ戻りたい。結婚して公爵様の経歴に傷をつける必要はない」との彼女の言葉に激昂する。
アルベルトはアルベルトで、マリアーナの知らないところで実はずっと昔から、彼女を妻にすると決めていた。
ふたりは互いの立場からすれ違いつつも、少しずつ心を通わせていく。
【完結】番としか子供が産まれない世界で
さくらもち
恋愛
番との間にしか子供が産まれない世界に産まれたニーナ。
何故か親から要らない子扱いされる不遇な子供時代に番と言う概念すら知らないまま育った。
そんなニーナが番に出会うまで
4話完結
出会えたところで話は終わってます。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
居候と婚約者が手を組んでいた!
すみ 小桜(sumitan)
恋愛
グリンマトル伯爵家の一人娘のレネットは、前世の記憶を持っていた。前世は体が弱く入院しそのまま亡くなった。その為、病気に苦しむ人を助けたいと思い薬師になる事に。幸いの事に、家業は薬師だったので、いざ学校へ。本来は17歳から通う学校へ7歳から行く事に。ほらそこは、転生者だから!
って、王都の学校だったので寮生活で、数年後に帰ってみると居候がいるではないですか!
父親の妹家族のウルミーシュ子爵家だった。同じ年の従姉妹アンナがこれまたわがまま。
アンアの母親で父親の妹のエルダがこれまたくせ者で。
最悪な事態が起き、レネットの思い描いていた未来は消え去った。家族と末永く幸せと願った未来が――。
私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―
喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。
そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。
二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。
最初は手紙も返ってきていたのに、
いつからか音信不通に。
あんなにうっとうしいほど構ってきた男が――
なぜ突然、私を無視するの?
不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、
突然ルイスが帰還した。
ボロボロの身体。
そして隣には――見知らぬ女。
勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、
私の中で何かが壊れた。
混乱、絶望、そして……再起。
すがりつく女は、みっともないだけ。
私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。
「私を簡単に捨てられるとでも?
――君が望んでも、離さない」
呪いを自ら解き放ち、
彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。
すれ違い、誤解、呪い、執着、
そして狂おしいほどの愛――
二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。
過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる