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ガタゴトと、規則正しい振動が馬車の中に響く。
視察旅行の二日目。
隣接する領地への移動中、豪華な馬車の座席には、私とカイル殿下が向かい合わせで座っていた。
「……」
「殿下。この沈黙、もう三十分目です。このままでは、馬車の振動と殿下の無言が共鳴して、私の脳がシェイクされてしまいます」
私は窓の外の景色から視線を戻し、正面に座る「氷の彫像」に抗議した。
殿下は膝の上に置いた本(難解そうな魔導工学の書物)を一度もめくることなく、じっと私を見つめている。
「……(スッ)」
殿下が、わずかに右の眉を上げた。
私はすかさず、扇をパチンと鳴らして超訳を開始する。
「なるほど。殿下は今、『この馬車のサスペンションの構造が、私の高貴な臀部には少し硬すぎる。ミナ、お前の肉厚な言葉で、この振動を吸収するクッションになってくれ』と仰っているのですね?」
「……っ!!」
カイル殿下が、目を見開いて力強く首を横に振った。
どうやらクッション扱いは心外だったらしい。
「違いますか? では、こうですか。
『ミナ、お前の髪についているその小さな糸くずが、先ほどから気になって魔導工学の内容が全く頭に入ってこない。取ってやりたいが、触れてしまったら最後、私の心臓がオーバーヒートして爆発するかもしれないから、大人しく見守っているのだ』……とか」
「……(……!)」
殿下の顔が、一瞬にして林檎のように赤くなった。
彼は慌てて本を顔の前に掲げ、視線を隠そうとする。
「あ、正解ですね。殿下、分かりやすすぎます。
でも安心してください、その糸くず、実はさっき自分でわざとつけました。殿下の反応を見るための実験用です」
「……」
殿下は本をゆっくりと下げ、恨めしそうな、それでいて呆れたような目で私を見た。
……沈黙。
だが、今の沈黙はこれまでのものとは違う。
脳内で凄まじい速度の「言い訳」と「反論」が衝突し、火花を散らしているのが手に取るように分かる。
「殿下。今の沈黙、長すぎですよ。
たぶん今、脳内で『糸くずをわざとつけるなど、前代未聞の令嬢だ。だが、それに気づかなかった自分も情けない。いや、そもそも……』って、五百行くらいの反省文を書いていますよね?」
「……」
「無駄ですよ。反省する暇があったら、私に一言『面白い女だ』とでも言えば済む話です。
まあ、元悪役令嬢ですからね。嫌がらせのバリエーションだけは豊富なんです。
元婚約者には、彼の靴の中に、一晩中冷やした大理石を詰め込んだこともありますから」
「……え?」
殿下が、思わずといった風に声を漏らした。
「ええ。彼があまりにも『君の心は氷のように冷たいね』なんて詩的な悪口を言うものですから。
『では、物理的な冷たさも味わってください』と、心を込めて冷やしておきました。
翌朝、彼が悲鳴を上げて転んだのを見たときは、これまでの人生で一番スッキリしましたわ」
私が平然と言ってのけると、カイル殿下は一瞬、呆然と固まった。
そして、その端正な顔が、ピクピクと引き攣り始める。
「……くっ、……ふ、ふふっ」
「……殿下?」
殿下が、口元を片手で覆い、肩を激しく揺らし始めた。
漏れ出てきたのは、これまでの「氷の王子」からは想像もできないような、低くて、でも少年のような明るい笑い声だった。
「……ははっ、はははは! 大理石、か。……君は、本当に……」
「……あら、笑いましたね。殿下、今、物理的に氷が割れる音がしましたよ」
カイル殿下は、涙を浮かべるほど笑い転げていた。
これほどまでに感情を露わにする彼を、王宮の誰も見たことがないだろう。
笑いすぎて呼吸を整えようとしている彼の顔は、いつもの冷徹な仮面が剥がれ落ち、年相応の青年のそれになっていた。
「……(……お前の勝ちだ、ミナ。私の負けだ。もう、何も考えられない)」
「あ、殿下。今の沈黙は、敗北宣言ですね?
『ミナ、お前のあまりの破天荒さに、私の脳内の計算式が全て消し飛んだ。もう好きにしてくれ。お前のツッコミに従うのが、私の人生で最も正しい最適解だということが分かった』……ということでよろしいですね?」
「……(コクリ)」
カイル殿下は、まだ笑いの余韻を残したまま、優しく、そして深々と頷いた。
その瞳には、私に対する深い信頼と、それ以上の「何か」が宿っている。
「……嬉しいです。殿下の笑い声、案外いい音ですね。
録音して、王宮の時報代わりに流したいくらいです」
「……(……それだけは、勘弁してくれ)」
殿下は、困ったように微笑みながら、窓の外を見やった。
外は夕暮れ。
馬車の窓から差し込むオレンジ色の光が、二人の影を長く、そして一つに重ねていた。
「さあ、殿下! 次の領地に着いたら、まずはおいしい特産品を『爆食い』して、殿下の脳を糖分で満たしてあげますからね!
私の超訳メニュー表、楽しみにしていてください!」
カイル殿下は、もはやフリーズすることなく、私の言葉に静かに目を細めて応えた。
密室の馬車は、もはや静寂の檻ではない。
二人の、甘くて騒がしい「独占空間」へと変わっていた。
視察旅行の二日目。
隣接する領地への移動中、豪華な馬車の座席には、私とカイル殿下が向かい合わせで座っていた。
「……」
「殿下。この沈黙、もう三十分目です。このままでは、馬車の振動と殿下の無言が共鳴して、私の脳がシェイクされてしまいます」
私は窓の外の景色から視線を戻し、正面に座る「氷の彫像」に抗議した。
殿下は膝の上に置いた本(難解そうな魔導工学の書物)を一度もめくることなく、じっと私を見つめている。
「……(スッ)」
殿下が、わずかに右の眉を上げた。
私はすかさず、扇をパチンと鳴らして超訳を開始する。
「なるほど。殿下は今、『この馬車のサスペンションの構造が、私の高貴な臀部には少し硬すぎる。ミナ、お前の肉厚な言葉で、この振動を吸収するクッションになってくれ』と仰っているのですね?」
「……っ!!」
カイル殿下が、目を見開いて力強く首を横に振った。
どうやらクッション扱いは心外だったらしい。
「違いますか? では、こうですか。
『ミナ、お前の髪についているその小さな糸くずが、先ほどから気になって魔導工学の内容が全く頭に入ってこない。取ってやりたいが、触れてしまったら最後、私の心臓がオーバーヒートして爆発するかもしれないから、大人しく見守っているのだ』……とか」
「……(……!)」
殿下の顔が、一瞬にして林檎のように赤くなった。
彼は慌てて本を顔の前に掲げ、視線を隠そうとする。
「あ、正解ですね。殿下、分かりやすすぎます。
でも安心してください、その糸くず、実はさっき自分でわざとつけました。殿下の反応を見るための実験用です」
「……」
殿下は本をゆっくりと下げ、恨めしそうな、それでいて呆れたような目で私を見た。
……沈黙。
だが、今の沈黙はこれまでのものとは違う。
脳内で凄まじい速度の「言い訳」と「反論」が衝突し、火花を散らしているのが手に取るように分かる。
「殿下。今の沈黙、長すぎですよ。
たぶん今、脳内で『糸くずをわざとつけるなど、前代未聞の令嬢だ。だが、それに気づかなかった自分も情けない。いや、そもそも……』って、五百行くらいの反省文を書いていますよね?」
「……」
「無駄ですよ。反省する暇があったら、私に一言『面白い女だ』とでも言えば済む話です。
まあ、元悪役令嬢ですからね。嫌がらせのバリエーションだけは豊富なんです。
元婚約者には、彼の靴の中に、一晩中冷やした大理石を詰め込んだこともありますから」
「……え?」
殿下が、思わずといった風に声を漏らした。
「ええ。彼があまりにも『君の心は氷のように冷たいね』なんて詩的な悪口を言うものですから。
『では、物理的な冷たさも味わってください』と、心を込めて冷やしておきました。
翌朝、彼が悲鳴を上げて転んだのを見たときは、これまでの人生で一番スッキリしましたわ」
私が平然と言ってのけると、カイル殿下は一瞬、呆然と固まった。
そして、その端正な顔が、ピクピクと引き攣り始める。
「……くっ、……ふ、ふふっ」
「……殿下?」
殿下が、口元を片手で覆い、肩を激しく揺らし始めた。
漏れ出てきたのは、これまでの「氷の王子」からは想像もできないような、低くて、でも少年のような明るい笑い声だった。
「……ははっ、はははは! 大理石、か。……君は、本当に……」
「……あら、笑いましたね。殿下、今、物理的に氷が割れる音がしましたよ」
カイル殿下は、涙を浮かべるほど笑い転げていた。
これほどまでに感情を露わにする彼を、王宮の誰も見たことがないだろう。
笑いすぎて呼吸を整えようとしている彼の顔は、いつもの冷徹な仮面が剥がれ落ち、年相応の青年のそれになっていた。
「……(……お前の勝ちだ、ミナ。私の負けだ。もう、何も考えられない)」
「あ、殿下。今の沈黙は、敗北宣言ですね?
『ミナ、お前のあまりの破天荒さに、私の脳内の計算式が全て消し飛んだ。もう好きにしてくれ。お前のツッコミに従うのが、私の人生で最も正しい最適解だということが分かった』……ということでよろしいですね?」
「……(コクリ)」
カイル殿下は、まだ笑いの余韻を残したまま、優しく、そして深々と頷いた。
その瞳には、私に対する深い信頼と、それ以上の「何か」が宿っている。
「……嬉しいです。殿下の笑い声、案外いい音ですね。
録音して、王宮の時報代わりに流したいくらいです」
「……(……それだけは、勘弁してくれ)」
殿下は、困ったように微笑みながら、窓の外を見やった。
外は夕暮れ。
馬車の窓から差し込むオレンジ色の光が、二人の影を長く、そして一つに重ねていた。
「さあ、殿下! 次の領地に着いたら、まずはおいしい特産品を『爆食い』して、殿下の脳を糖分で満たしてあげますからね!
私の超訳メニュー表、楽しみにしていてください!」
カイル殿下は、もはやフリーズすることなく、私の言葉に静かに目を細めて応えた。
密室の馬車は、もはや静寂の檻ではない。
二人の、甘くて騒がしい「独占空間」へと変わっていた。
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