はい?婚約破棄、承りました!

萩月

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「ただいま戻りました、我が愛しの執務室! ああ、このインクと紙の匂い……やっぱり現場が一番落ち着きますわね」

視察旅行から王宮へ帰還した翌朝。
私はいつものようにカイル殿下の執務室の扉を威勢よく開け放った。
デスクの向こうでは、相変わらず銀髪を輝かせた殿下が、山積みの書類を前にフリーズしている。

「……」

「殿下、おはようございます。その固まり具合から察するに、殿下は今、『あ、ミナが来た。昨日の「耳栓」の話、冗談だと思って寝たのに、彼女の目が本気すぎて朝から鼓膜が震えている。助けてくれ』……と仰っているのですね?」

「……(フルフル!)」

カイル殿下は、必死に首を振って否定した。
昨夜の甘い(?)雰囲気はどこへやら、彼は今、机の上に置かれた一通の手紙を忌々しげに指差している。
その封蝋には、見覚えのある……そして思い出したくもない意匠が刻まれていた。

「……あら。このセンスの悪い、金ぴかで見栄えだけは立派な紋章。……私の元婚約者、ジュリアン殿下からのお手紙ですか?」

「……(コクリ)」

「へえ、わざわざ国境を越えて。嫌がらせの執念だけは超一流ですね。
……どれどれ、補佐官として私が内容を確認して差し上げましょう。毒物混入の恐れもありますからね」

私は手袋をはめると、まるで汚物を扱うような手つきで手紙を開封した。
中から出てきたのは、これまた香水がキツすぎる、読んでいるだけで鼻が曲がりそうな便箋だ。

『愛しきミナへ。
君がいなくなってから、私はようやく気づいた。君のその厳しい言葉も、実は私への愛ゆえだったのだと。
今、我が国は未曾有の混乱に陥っている。予算の計算は合わず、リリアは「お腹が空いた」と泣くばかりだ。
君の席はまだ空けてある。今すぐ戻ってきなさい。君を許してやろう――』

「……(パサッ)」

私は無言で手紙を閉じ、スッとカイル殿下の方を向いた。

「殿下。今の内容を、私の『超訳シュレッダー』にかけてもよろしいですか?」

「……(……頼む)」

カイル殿下が、心底疲れたように椅子に深くもたれかかった。
私は深呼吸を一つして、便箋をビリビリと破り捨てながら口を開く。

「はい、超訳開始です!
『ミナ、お前がいなくなってから、王宮の家計が火の車だ。誰も帳簿の整合性を取れないし、私の贅沢三昧を誰も止めてくれない。リリアは可愛いだけで役に立たないし、実務ができる人間がいなくて国が滅びそうだ。
プライドが高くて素直に「助けて」と言えないから、「許してやる」という謎の上から目線で誤魔化しておく。だから早く戻ってきて全部片付けてくれ、無料で!』
……だそうです。殿下、いかがですか?」

「……」

カイル殿下は、呆然とした顔で私の手元の紙屑を見つめていた。
……沈黙。
その瞳には、私の元婚約者に対する「哀れみ」と、私の解析力に対する「畏怖」が混ざり合っている。

「……(……ゴミ、だな)」

「ええ、資源ゴミです。あ、でもこの紙、質だけはいいから、後で裏面を私のメモ帳に再利用しましょう。殿下の『……』を翻訳する際のネタ帳にぴったりですわ」

私はゴミ箱にシュートした紙屑を横目に、鼻で笑った。
婚約破棄して追い出しておきながら、困った時だけ「愛」だの「許す」だの。
合理性の欠片もない、感情論だけの無能な男。

「殿下。返信はどうしましょう? 『現在、世界一多忙で偏屈な(褒め言葉です)王子様の補佐官として、一秒あたり金貨一枚の価値を生み出しているので、貴方のような時給ゼロ円の男に構っている暇はありません』とでも書いておきますか?」

「……」

カイル殿下が、ゆっくりと立ち上がった。
彼は私の手から残った便箋を奪い取ると、それを暖炉の火の中にポイと放り込んだ。
赤々と燃える炎が、元王子の未練を跡形もなく焼き尽くしていく。

「……(……返信は、いらない。……私が、断る)」

「あら、殿下自ら? それは心強いですね。
殿下の無言の圧力なら、あのバカ王子の脳細胞も恐怖で活性化するかもしれませんわ」

「……ミナ」

カイル殿下が、私の目を見て、はっきりと言った。

「……お前は、返さない」

「……殿下?」

「……(お前は私の隣で、そのうるさい声をずっと響かせていればいい。どこへも、行かせない。……行かせたくない)」

……沈黙。
今度の沈黙は、強烈な「独占欲」の色を帯びていた。
殿下の紺色の瞳が、燃える暖炉の火よりも熱く、私を縛り付ける。

(……やだ。この王子様、最近、無言を武器にするコツを掴み始めてないかしら?)

私の胸が、少しだけ落ち着きを失う。
合理的で実利的なはずの私の思考回路が、殿下の「行かせたくない」という言葉一つで、ショートしそうになる。

「……殿下。今の沈黙は、『ミナ、お前を隣国のバカに渡すくらいなら、私が王宮中の耳栓を買い占めて、お前の声を独り占めしてやる。覚悟しろ』……という意味ですね?」

「……(コクリ)」

「肯定!? そこは『考えすぎだ』って否定するところでしょう!」

私は真っ赤になって扇で顔を仰いだ。
元婚約者からの手紙という最低のノイズは、カイル殿下の不器用な情熱によって、最高に甘いスパイスへと変換されてしまった。

「……もう、いいですわ。仕事しましょう、仕事!
殿下、次の案件は『隣国からの嫌がらせ(関税引き上げ)』ですよ!
ジュリアン殿下の泣きっ面に塩を塗り込むような、完璧な報復プランを練りましょう!」

カイル殿下は、照れている私を見て、満足げに小さく頷いた。
捨てられた悪役令嬢。
だが今の私は、愛すべき「無言の主人」を守り、愚かな「過去」を蹴散らす、最強のパートナーなのである。
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