婚約破棄?どうぞ!それどころではないですわ!

萩月

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「……頼む、ローズマリー! この通りだ! リリアンに、リリアンに一度だけでいいから会わせてくれ!」

 修道院の重厚な扉の前で、一国の皇太子ともあろうお方が、あられもない声を上げて叫んでいました。

 私は扉の前に立ちはだかり、扇をピシャリと閉じて冷ややかな視線を送ります。

「おやめなさい、殿下。見苦しいですわよ。貴方の今の表情、眉間にシワが寄りすぎていて、まるで干からびた梅干しのようですわ」

「梅干しだと!? これほど必死な男の顔を、そんな食べ物に例える奴があるか!」

「美しくないものはすべて、私の視界においては不純物。ましてや、病み上がりのリリアン様の清らかな瞳に、そんな『焦燥感の塊』のような顔を見せるわけには参りません」

 私は一歩も退きません。

 リリアン様の熱は下がりましたが、今は病後の繊細な「美の回復期」なのです。

 そこへ、このようなガサツな情熱を持ち込まれては、彼女の肌のキメが乱れてしまいますわ。

「ローズマリー……。分かった、私が悪かった! あの誘拐騒動の自作自演も、君を北方に追いやったことも……今となっては、私の浅はかさが招いた悲劇だと認める!」

 セドリック殿下が、ガタガタと膝を震わせ始めました。

 そして、あろうことか、その場に両膝を突こうとしたのです。

「待ちなさい、殿下! 何をするおつもりですの!」

「こうなったら、土下座だ! 君に謝罪し、誠意を見せるには、これしかないと思ったのだ!」

「やめてくださいまし! 殿下がそんな姿勢を取ったら、マントのドレープが台無しになりますわ! 今の貴方の背中のライン、丸まりすぎていて亀の甲羅のようです! 美学のかけらもありませんわ!」

 私は思わず叫び、彼の肩を掴んで無理やり引き起こしました。

「土下座? 冗談ではありません。美しき皇太子が地に頭を擦り付けるなど、私の審美眼に対する冒涜ですわよ。貴方は立っているだけで、ようやく観賞用植物程度の価値があるというのに、わざわざその価値をゼロにするおつもり?」

「……。観賞用植物……。私は、雑草以下か……?」

 殿下はショックのあまり、白目を剥いてフラフラとよろめきました。

 そこへ、腕を組んで壁に寄りかかっていたカトリーヌ様が、静かに口を開きました。

「殿下。彼女に情で訴えても無駄です。ローズマリーにとって、貴方の社会的地位よりも、貴方の顔の『左右対称性』の方が重要なのですから」

「カトリーヌ! 貴様、分かっているなら助けてくれ! 私はただ、リリアンが元気になったのかを、この目で見たいだけなんだ!」

「……。ローズマリー、少しは譲歩してやったらどうだ。このままでは、殿下が修道院の庭で野垂れ死んで、景観を損ねるぞ」

 景観を損ねる。

 その言葉は、私にとって何よりも重い脅しでした。

「……。……仕方ありませんわね。カトリーヌ様の顔を立てて、条件付きで入室を許可いたしますわ」

「本当か!? ああ、ローズマリー! 君はなんて慈悲深いんだ!」

「勘違いしないでください。条件は三つ。一つ、リリアン様から三メートル以上の距離を保つこと。二つ、彼女の顔を直視する際は、三秒ごとに視線を外して、貴方のむさくるしい視線で彼女の肌を焼かないこと」

「……三秒? 瞬きをしている間に終わってしまうではないか」

「そして三つ目。……入室前に、アンの特製『美顔スチーム』を浴びて、その毛穴の奥に詰まった邪念をすべて洗い流してきなさいな!」

「美顔スチーム……? なんだそれは。私はそんな軟弱なものは……」

「……殿下。リリアン様に会いたいのであれば、蒸されるのです」

 カトリーヌ様の有無を言わさぬ一言。

 結局、セドリック殿下はアンに引きずられて、立ち込めるハーブの煙の中へと消えていきました。

「……ぷはっ! 熱い! 目が、目がしみるぞローズマリー!」

「我慢なさい! それが美しさを手に入れるための洗礼ですわ!」

 三十分後。

 顔を真っ赤にし、なぜかツヤツヤになったセドリック殿下が、震えながらリリアン様の寝室に入ってきました。

 ベッドに腰掛けていたリリアン様は、その姿を見て、目を丸くしました。

「……あら、セドリック様。なんだか……顔色がとても良くて、茹でたての海老のようですわね」

「リ、リリアン……。……一、二、三。……っ(視線を外す)。……元気そうで、よかった。……一、二、三。……っ(視線を外す)」

「……。殿下、何をなさっているのですか?」

「ローズマリーとの約束なんだ……。……一、二、三。……くっ、リリアン、君の美しさのせいで、三秒が三世紀に感じられるよ!」

 セドリック殿下が、部屋の隅でストップウォッチを構える私をチラチラと見ながら、必死に会話を繋いでいました。

 その滑稽な姿に、リリアン様はついに、コロコロと鈴を転がすような声で笑い出しました。

「ふふふ! 殿下、面白いですわ。ローズマリー様も、そんなに厳しくなさらないであげてください。殿下のそのツヤツヤのお顔、なんだか愛嬌がありますもの」

「リリアン様がそう仰るなら……。殿下、残り時間はあと一分ですわよ。有効に使いなさいな」

「あと一分!? 早すぎるだろう!」

 結局、殿下はまともな会話もできぬまま、アンとカトリーヌ様によって退室させられました。

「……。……。私は、一体何をしにここへ来たのだ……?」

 廊下で呆然と立ち尽くすセドリック殿下。

 ですが、その肌は、間違いなくここ数年で一番の輝きを放っていました。

「ふふ、見たかしらアン。殿下すらも私の『美の管理下』に置かれたわ。この修道院に、美しくない者は一人も存在させませんわよ!」

「はいはい。お嬢様、次は司祭様の髭のメンテナンスの時間ですよ。ハサミの準備はいいですか?」

「もちろんですわ! さあ、世界をさらに美しくしに行きましょう!」

 悪役令嬢による「美の独裁」。

 それは、皇太子すらも美顔スチームで黙らせる、圧倒的なパワーへと進化していたのでした。
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