婚約破棄? 喜んで! …その前に訂正を求めますわ!

萩月

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翌朝。
小鳥のさえずりと共に、優雅な目覚めを迎えるはずだった私の耳に飛び込んできたのは、不協和音極まる怒鳴り声でした。

「ミルム! 出てこい! 公爵家の門を開けろ! 主君に対する不敬罪で縛り首にしてくれるわ!」

私はベッドの中で、重い瞼をゆっくりと持ち上げました。

(……早朝から、音波による騒音公害ですわね。デシベル測定器があれば、迷わず通報しているところですわ)

私は寝間着の上にガウンを羽織り、バルコニーへと向かいました。
門の外には、真っ赤な顔をして叫び散らすセドリック殿下の姿がありました。
その手には、私が昨日送りつけた「赤ペンだらけの添削手紙」が握りしめられています。

「あら、殿下。朝の散歩にしては少々、心拍数が高すぎますわよ。血管が破裂しては、医療費の無駄ですわ」

私がバルコニーから見下ろすと、殿下はさらに激昂して手紙を突きつけました。

「これだ! この赤ペンは何だ! 私の至高の文章を、まるで子供の宿題のように添削しおって! 『主語と述語が一致していません』だと!? 『情緒に訴える前に語彙を増やせ』だと!?」

「事実を指摘されて怒るのは、自身の過失を認めているのと同じですわ。……それより殿下、門の前で立ち往生しているのは、通行の妨げになります。道路交通法……いえ、公序良俗に反しますわよ」

「うるさい! 門を開けろ! 今すぐ貴様を……」

「……おや。朝から低レベルな音域の発生練習かな? あまり感心しないね」

不意に、門の脇に停まっていた馬車から、一人の青年が降り立ちました。
カイル殿下です。
彼はまるで、そこで待ち構えていたかのような完璧なタイミングで登場しました。

「カイル!? なぜ貴様がここにいる!」

「ミルム嬢と朝食の約束をしていてね。もっとも、君のような『論理の迷子』が門番を気取っているとは思わなかったけれど」

カイル殿下は優雅に歩み寄り、セドリック殿下が持つ手紙を、ひょいと取り上げました。

「返せ! それは私の……!」

「ほう、これはひどい。……セドリック殿下、君の文章は、まるで右足と左足が別々の方向へ歩き出そうとしているような支離滅裂さだ。ミルム嬢の添削は、むしろ慈愛に満ちた救済措置だよ。私なら、添削せずにシュレッダーに直行させている」

カイル殿下の冷徹な評価に、セドリック殿下は言葉を失いました。

「き、貴様ら……! 二人して私を馬鹿にして……!」

「馬鹿にしているのではありません。客観的な評価を下しているだけです。……セドリック殿下、一つ質問ですが。君がここで騒ぐことで、ミルム嬢の心が動くとでも思っているのかい? 確率論的に言えば、ゼロ……いや、マイナスだ。君の市場価値は、一分ごとに暴落しているよ」

カイル殿下は懐中時計を取り出し、カチリと音を立てて閉めました。

「……現在、君に対するミルム嬢の好感度は、絶対零度を下回っていると推測される。これ以上の滞在は、君の『王族としての尊厳』を、原子レベルで分解するだけだ」

「絶対零度は理論上の最低温度。それを下回るというのは不可能な表現ですが……まあ、殿下に対する私の感情を例えるなら、確かにその通りですわね」

私はバルコニーから補足しました。

「聞こえたかな? 物理法則を超越した拒絶だよ。……さあ、帰りなさい。君の居場所は、ここではなく、学院の初等部、あるいはリリィ嬢の甘い嘘の中だ」

カイル殿下の言葉は、鋭いメスのようにセドリック殿下の自尊心を切り刻んでいきました。
セドリック殿下は、悔しさに唇を噛み締めながら、地団駄を踏みました。

「覚えていろ! ミルム、カイル! 私は……私は……リリィと幸せになってやるからな! 後悔しても知らんぞ!」

「『幸せになる』という主観的な目標を、他者への攻撃材料に使うこと自体、幸福の本質から遠ざかっていますわよ。……お帰んなさいませ」

殿下は吐き捨てるように言い残すと、逃げるように馬車に飛び乗り、走り去っていきました。
朝の静寂が、ようやく公爵家に守られました。

カイル殿下は門を見送り、私の方を見上げて微笑みました。

「やあ、ミルム嬢。騒音計代わりの私の登場、満足いただけたかな?」

「……計算通りの登場でしたわね。ですが殿下、朝食の約束をした覚えはありませんわよ」

「おや、昨夜のメッセージに『検討する』という余地を残していただろう? 論理的に言えば、拒絶されなかった=可能性は存在する、ということだ」

「それは強引な拡大解釈ですわ。……まあ、いいでしょう。門の外で貴方に立ち尽くされるのも、近所迷惑ですもの」

私はため息をつき、執事に門を開けるよう指示しました。

「お入りなさい。ただし、朝食のメニューに不備があったとしても、論理的な批判は受け付けませんからね」

「ははは。君と一緒に摂る食事なら、その空間の知的な密度だけでお腹がいっぱいになりそうだ」

カイル殿下が邸内へと入っていく姿を見ながら、私は思いました。
バカが去った後に、さらに手強い「論理の怪物」がやってきたのではないかと。

私の自由な生活は、どうやら別の意味で忙しくなりそうでした。
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