婚約破棄? 喜んで! …その前に訂正を求めますわ!

萩月

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アトラス公爵家の重厚な門をくぐると、そこには異様な光景が広がっていました。

使用人たちが一列に並び、手には「祝・自由の身」「論破万歳」と書かれた旗を振っています。

そして中央には、タキシードをビシッと着こなした父が、満面の笑みで両手を広げて立っていました。

「お帰り、我が誇り高き論理の申し子よ! さあ、今夜は宴だ! お前が大好きな最高級の赤身肉と、計算機のように正確な味わいのヴィンテージワインを用意させたぞ!」

「……お父様、その歓迎の仕方は論理的ではありませんわ。私はただ、不良債権(元婚約者)を損切りしてきただけですのに」

私は呆れながらも、差し出された父の手を取りました。

「損切り! 素晴らしい響きだ! あの王子に費やした時間は確かに損失だが、お前がパーティーで見せたあの『物理学的追及』は、我がアトラス家の名声を何倍にも高めたぞ」

「名声……? むしろ『関わると面倒な女』という悪名が広まっただけではなくて?」

「ははは! 知的な女を恐れるのは無能な男だけだ。有能な男たちは皆、お前のその頭脳を欲しがっている。現に、隣国のカイル殿下から『彼女のメンテナンス費用を当家で持ちたい』という謎の打診が来ているぞ」

カイル殿下、仕事が早すぎますわ。
まだ私は自宅の敷居を跨いだばかりだというのに。

宴会場に入ると、そこには山のような料理と、公爵家の親族たちが集まっていました。

「ミルム、よくやったわ! あのリリィとかいう娘の鼻を明かしてくれて、叔母様もせいせいしたわよ!」

「叔母様、鼻を明かしたのではなく、事実関係の齟齬を正しただけですわ。感情的な勝利など、二の次です」

「相変わらずねぇ。でも、その可愛げのなさが今は最高にカッコいいわよ!」

親族たちの賑やかな声に囲まれながら、私は久しぶりにリラックスして食事を楽しみました。
殿下の顔色を伺い、彼の支離滅裂な発言を翻訳して周囲に説明する……そんな苦行から解放されたのです。

しかし、デザートのミルフィーユを口に運ぼうとしたその時、執事が銀のトレイに乗った一通の手紙を持って現れました。

「お嬢様、セドリック殿下より『最後の手紙』が届いております。至急、確認してほしいとのことです」

会場に冷ややかな空気が流れました。
父が顔を顰め、ワイングラスを置きます。

「……あのアホンダラ、まだ何かあるのか。ミルム、私が破り捨ててやろうか?」

「いえ、お父様。最後と言っているのですから、一応確認してあげましょう。内容によっては、これを燃料に暖炉を焚くこともできますし」

私は手紙を受け取り、封を切りました。
中には、乱暴な字でこう書かれていました。

『ミルムへ。貴様の無礼は万死に値するが、リリィが「彼女にも情けを」と泣いて縋るため、一度だけチャンスを与えてやる。明日の正午、王宮の裏の薔薇園に来い。そこで貴様が私に土下座して謝罪し、論理的な言い訳を一切止めるなら、婚約破棄を撤回してやってもいい』

読み終えた瞬間、私は思わず噴き出しました。
笑いが止まらず、肩が小刻みに震えます。

「……ミルム? 何が書いてあるんだ? そんなに面白いのか?」

「お父様、これをご覧ください。これはもはや手紙ではありません。……『論理的破綻の博覧会』ですわ!」

私は手紙をテーブルに叩きつけ、一つずつ指摘を開始しました。

「まず第一に、『一度だけチャンスを与えてやる』とありますが、この契約において主導権を握っているのは、婚約破棄を快諾した私の方です。提供されるリソース(再婚約)に価値がない以上、これはチャンスではなく『ハラスメント』に分類されます」

「全くだな。ゴミを押し付けるのをチャンスとは言わん」

「第二に、『土下座して謝罪し、論理的な言い訳を一切止めるなら』という条件。これは私のアイデンティティを否定しろと言っているのと同じです。PCからOSを抜き取って、計算機として使えと言っているようなものですわ。不可能です」

私はワインを一口飲み、さらに追撃しました。

「そして第三。ここが一番笑えますわ。『婚約破棄を撤回してやってもいい』……。殿下、貴方は忘れているのかしら? 昨日、貴方は全校生徒の前で、公に婚約破棄を宣言したのです。王族の発言を撤回するには、枢密院の承認と国王陛下の裁可、そして多額の違約金が必要となります。それを『~してもいい』という軽いノリで済ませようとするその法知識の欠如……! 国家の危機ですわ!」

「ははは! 確かに! あいつ、自分が何を言っているのか分かっていないんだな!」

「お父様、返信を書きましょう。執筆道具を持ってきてくださる?」

私はその場でペンを走らせました。

『セドリック殿下へ。
ご提案の件ですが、あいにく明日の正午は、当家のジャガイモの在庫整理および、貴方の手紙を添削して赤ペンで真っ赤にする作業で埋まっております。
また、「土下座」は重力に従うだけの単純な動作ですが、私の膝は貴方のような「論理の真空地帯」には対応しておりません。
追伸:手紙の三行目、漢字が間違っております。正しくは「謝罪」ではなく「無能」と書きたかったのでしょうか?
以上。』

「……これでよし。執事、これを殿下の元へ。特急便で構いませんわ」

「かしこまりました。……お嬢様、非常にスッキリとしたお顔をされていますね」

「ええ。ゴミをゴミ箱に捨てる感覚は、何物にも代えがたい快感ですわ」

宴会はその後、さらに盛り上がりました。
アトラス家にとって、この夜は単なるパーティーではなく、真の「自立」を祝う記念日となったのです。

しかし、私が自分の部屋に戻ると、窓辺に一羽の伝書鳩が止まっていました。
その足についていたのは、カイル殿下からの短いメッセージ。

『手紙の添削、お疲れ様。……明日の正午、薔薇園には行かなくて正解だ。代わりに、私の招待する「数学的庭園」でお茶をしないか? 君が喜びそうな、計算し尽くされたティーセットを用意しているよ。』

私は窓の外を見つめ、小さく溜息をつきました。

「……あの殿下、私の行動を予測しすぎですわ。プライバシーの侵害で訴えたいところですが……」

私はカイル殿下のメッセージを丁寧に折りたたみ、引き出しにしまいました。

「まあ、美味しいお茶に罪はありませんからね」

私の新しい生活は、静寂とは程遠い、賑やかで理屈っぽいものになりそうでした。
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