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王宮の一室。かつて私が完璧に整理整頓していた執務室は、いまや紙屑とインクのシミが散乱する「情報の墓場」と化していました。
セドリック殿下は、目の前に山積みになった書類の束を前に、髪をかきむしりながら絶叫していました。
「なぜだ! なぜ計算が合わない! 昨日の支出と今日の残高の間に、金貨五十枚分の『論理的空白』があるぞ!」
「殿下、落ち着いてください。それはリリィが、お庭に放すための可愛い小鳥さんを買った代金かもしれませんわ……」
隣でリリィ様が小首を傾げますが、殿下の顔は引き攣るばかりです。
「小鳥に金貨五十枚!? どんな高級鳥だ! ……くそ、ミルムがいれば、こんな端金の出入りなど一秒で特定して、私の代わりに適切な費目に仕訳してくれたというのに……」
殿下は、今更ながらに私の「事務処理能力」という名の恩恵を痛感しているようでした。
そこに、リリィ様が唇を尖らせながら、黒い笑みを浮かべて提案しました。
「殿下……そんなに困っていらっしゃるなら、ミルム様に『お手伝い』をお願いしましょう? ただし、普通の依頼ではありませんわ。これをご覧ください」
リリィ様が取り出したのは、何重にも複雑な文言が書かれた、一見するとただの「和解案」に見える書類でした。
「これは……? 『過去の非礼を詫びるための招待状』か?」
「ええ。ですが、その条文の裏側をよく見てくださいませ。小さな文字で『署名した者は、王宮の全事務作業を無償で代行する義務を負う』という魔導契約が隠してありますの。ミルム様は数字には強いけれど、こういう『乙女の罠』には疎いはずですわ!」
「おお……! さすがリリィだ! これにサインさえさせれば、彼女を再び私の便利な道具として連れ戻せるわけだな!」
……そんな浅はかな陰謀が渦巻いているとは露知らず。
私は自宅のサンルームで、カイル殿下とチェスを楽しんでいました。
「チェックメイトですわ、殿下。貴方の王(キング)は、あと三手で論理的死を迎えます」
「完敗だ。君の盤面支配は、まるで美しい数式を見ているようだね。……おや、また王宮からの使者かな?」
門を潜ってきたのは、先日のバルトロ中尉とは打って変わって、いかにも「真面目だけが取り柄」といった風貌の文官でした。
彼は震える手で、リリィ様特製の「和解案」を差し出してきました。
「ミ、ミルム様……殿下より、心からの謝罪の意を込めた招待状でございます。どうか、ご一読を……」
私はその紙を受け取った瞬間、違和感に眉を寄せました。
「……この紙、通常の羊皮紙より $0.05$ ミリほど厚いですわね。積層構造の形跡がありますわ。お父様、拡大鏡を貸してくださる?」
私は文官の制止を無視し、書類を光に透かして徹底的に観察し始めました。
「……ぷっ。あはははは!」
「ミルム嬢? どうしたんだい、急に笑い出して」
カイル殿下が覗き込むと、私は扇で書類の一箇所を指し示しました。
「ご覧になって、カイル殿下。この三行目と四行目の間。顕微鏡レベルの縮小文字で、驚くほど身勝手な条項が埋め込まれていますわ。……『署名者は王宮の奴隷となる』? 語彙力が足りない上に、法的な有効性も疑わしい、稚拙な詐欺工作ですわね」
文官の顔が、みるみるうちに土気色に変わっていきました。
「さらに笑えるのはここですわ。この魔導契約の起動条件、主語が『署名者』ではなく『書類の保持者』になっています。……つまり、これを私に渡した時点で、権利関係が逆転していることに気づいていないのかしら?」
「……ということは?」
「私が今ここで、この余白に『セドリック殿下は私の領地の草むしりを一生行う』と追記して受理すれば、殿下がその義務を負うことになりますわ。論理的に言えば、彼は自分で自分の首を絞めるギロチンを持ってきたようなものです」
カイル殿下は呆れ果てたように肩を揺らしました。
「救いようのないバカだな……。自分の仕掛けた罠の『定義』すら理解していないとは」
私はペンを取り出し、書類の裏面に巨大な「×」を書き込みました。
「中尉に伝えて。……『書類の偽造をするなら、せめてフォントサイズと主語の確定くらいはプロに相談しなさい』と。このゴミは、当家の暖炉の火種として有効活用させていただきますわ」
文官は脱兎のごとく逃げ去っていきました。
「……ミルム、君は本当に容赦がないね。だが、そこがいい」
「殿下。私はただ、不備のある書類が嫌いなだけですわ。……さて、チェスの続きをしましょうか。次は貴方を十手で詰ませて差し上げます」
私は新しい紅茶を注ぎ、完璧な角度でカップを口に運びました。
王子の迷走は、もはや私にとって、退屈な日常を彩るささやかな娯楽に過ぎなくなっていたのでした。
セドリック殿下は、目の前に山積みになった書類の束を前に、髪をかきむしりながら絶叫していました。
「なぜだ! なぜ計算が合わない! 昨日の支出と今日の残高の間に、金貨五十枚分の『論理的空白』があるぞ!」
「殿下、落ち着いてください。それはリリィが、お庭に放すための可愛い小鳥さんを買った代金かもしれませんわ……」
隣でリリィ様が小首を傾げますが、殿下の顔は引き攣るばかりです。
「小鳥に金貨五十枚!? どんな高級鳥だ! ……くそ、ミルムがいれば、こんな端金の出入りなど一秒で特定して、私の代わりに適切な費目に仕訳してくれたというのに……」
殿下は、今更ながらに私の「事務処理能力」という名の恩恵を痛感しているようでした。
そこに、リリィ様が唇を尖らせながら、黒い笑みを浮かべて提案しました。
「殿下……そんなに困っていらっしゃるなら、ミルム様に『お手伝い』をお願いしましょう? ただし、普通の依頼ではありませんわ。これをご覧ください」
リリィ様が取り出したのは、何重にも複雑な文言が書かれた、一見するとただの「和解案」に見える書類でした。
「これは……? 『過去の非礼を詫びるための招待状』か?」
「ええ。ですが、その条文の裏側をよく見てくださいませ。小さな文字で『署名した者は、王宮の全事務作業を無償で代行する義務を負う』という魔導契約が隠してありますの。ミルム様は数字には強いけれど、こういう『乙女の罠』には疎いはずですわ!」
「おお……! さすがリリィだ! これにサインさえさせれば、彼女を再び私の便利な道具として連れ戻せるわけだな!」
……そんな浅はかな陰謀が渦巻いているとは露知らず。
私は自宅のサンルームで、カイル殿下とチェスを楽しんでいました。
「チェックメイトですわ、殿下。貴方の王(キング)は、あと三手で論理的死を迎えます」
「完敗だ。君の盤面支配は、まるで美しい数式を見ているようだね。……おや、また王宮からの使者かな?」
門を潜ってきたのは、先日のバルトロ中尉とは打って変わって、いかにも「真面目だけが取り柄」といった風貌の文官でした。
彼は震える手で、リリィ様特製の「和解案」を差し出してきました。
「ミ、ミルム様……殿下より、心からの謝罪の意を込めた招待状でございます。どうか、ご一読を……」
私はその紙を受け取った瞬間、違和感に眉を寄せました。
「……この紙、通常の羊皮紙より $0.05$ ミリほど厚いですわね。積層構造の形跡がありますわ。お父様、拡大鏡を貸してくださる?」
私は文官の制止を無視し、書類を光に透かして徹底的に観察し始めました。
「……ぷっ。あはははは!」
「ミルム嬢? どうしたんだい、急に笑い出して」
カイル殿下が覗き込むと、私は扇で書類の一箇所を指し示しました。
「ご覧になって、カイル殿下。この三行目と四行目の間。顕微鏡レベルの縮小文字で、驚くほど身勝手な条項が埋め込まれていますわ。……『署名者は王宮の奴隷となる』? 語彙力が足りない上に、法的な有効性も疑わしい、稚拙な詐欺工作ですわね」
文官の顔が、みるみるうちに土気色に変わっていきました。
「さらに笑えるのはここですわ。この魔導契約の起動条件、主語が『署名者』ではなく『書類の保持者』になっています。……つまり、これを私に渡した時点で、権利関係が逆転していることに気づいていないのかしら?」
「……ということは?」
「私が今ここで、この余白に『セドリック殿下は私の領地の草むしりを一生行う』と追記して受理すれば、殿下がその義務を負うことになりますわ。論理的に言えば、彼は自分で自分の首を絞めるギロチンを持ってきたようなものです」
カイル殿下は呆れ果てたように肩を揺らしました。
「救いようのないバカだな……。自分の仕掛けた罠の『定義』すら理解していないとは」
私はペンを取り出し、書類の裏面に巨大な「×」を書き込みました。
「中尉に伝えて。……『書類の偽造をするなら、せめてフォントサイズと主語の確定くらいはプロに相談しなさい』と。このゴミは、当家の暖炉の火種として有効活用させていただきますわ」
文官は脱兎のごとく逃げ去っていきました。
「……ミルム、君は本当に容赦がないね。だが、そこがいい」
「殿下。私はただ、不備のある書類が嫌いなだけですわ。……さて、チェスの続きをしましょうか。次は貴方を十手で詰ませて差し上げます」
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