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私が執務室で、隣国の関税引き下げに伴う市場価格の変動をシミュレーションしていた時のことです。
ノックの音と共に現れたのは、セドリック殿下ではなく、目に涙を溜めたリリィ様でした。
「ミルム様……! お願いです、殿下をお助けください!」
彼女は部屋に入るなり、まるで悲劇のヒロインのように膝をつきました。
私はペンを置かず、淡々と書類に数字を書き込みました。
「リリィ様。その涙の分泌量、および頬の赤らめ方……。鏡の前で三十分ほど練習なさいました? 左右のバランスが完璧すぎて、自然界のゆらぎを感じませんわ」
「ひっ……! そ、そんなことより! 殿下が廃嫡の危機なのです! ミルム様が殿下の元に戻ってくだされば、すべては丸く収まるのですわ! 同じ女性として、殿下の情熱に免じて許してあげられませんか?」
私はようやく顔を上げ、深い、深いため息をつきました。
「『同じ女性として』。……その言葉、論理的思考を停止させ、感情的な連帯を強要する際に使われる、最も安価な常套句ですわね。私には一ミリも響きませんわ」
「どうしてですの!? 殿下はあんなに反省して、毎日お酒に溺れていらっしゃるのに!」
「お酒に溺れるのは単なる逃避行動であり、反省という高次の精神活動ではありませんわ。そもそも、リリィ様。貴方がここへ来た本当の理由は、殿下への愛ではなく、ご自身の『投資失敗』を挽回するためではありませんこと?」
リリィ様がピクリと肩を揺らしました。
「な、何を仰るんですの……? 私はただ、殿下の幸せを……」
「計算しましょう。殿下が廃嫡されれば、貴方の『将来の王妃』という地位は消失。現在、貴方の実家が殿下の威光を背景に借り入れている多額の負債は、一気に焦げ付きます。つまり貴方は、殿下を救いたいのではなく、自分の『沈みかけの泥舟』に私という強力なエンジンを載せて、無理やり浮かせたいだけですわね?」
「そ、そんな、計算高い女みたいに……!」
「計算が高いのは良いことですわ。ですが、貴方の計算は『他者の犠牲』という不確かな変数を前提にしている。……リリィ様、私の時給をご存知? 今、この会話をしている間にも、私の知性は多額の利益を生み出しています。貴方の不毛な泣き落としに付き合うのは、純粋な経済的損失ですの」
私は立ち上がり、彼女の目の前で一通の書類を提示しました。
「これは……?」
「殿下からの『復縁要請』に対する回答書です。……あ、いえ、正確には『資産価値ゼロの不良物件に対する買取拒否通知』ですわ。貴方がお持ち帰りになって、殿下の枕元にでも置いて差し上げたら?」
「ミルム様……! 貴女には人の心がないのですか!?」
「ありますわよ。ですが、私の心は『正論』と『整合性』によって守られています。不法投棄されたゴミを、情に負けて自宅の庭に引き取るような真似はいたしません」
私は冷ややかにドアを指し示しました。
「お帰りなさい。……ああ、そうだわ。その涙でマスカラが落ちかけていますわよ。化学反応で肌を傷める前に、石鹸で洗い流すことをお勧めしますわ」
リリィ様は顔を真っ赤にして立ち上がり、「悪魔ですわ!」と叫んで走り去っていきました。
「……悪魔、ですか。主観的な評価としては、案外悪くない称号ですわね」
私が再び椅子に座ると、窓の外からクスクスという笑い声が聞こえてきました。
「素晴らしい。女性同士のドロドロした愛憎劇が始まるかと思いきや、わずか三分で『債務処理』として完結させてしまうとは」
カイル殿下が、いつものようにバルコニーの柵に腰掛けていました。
「殿下。人のプライバシーを『債務処理』呼ばわりするのは感心しませんわね」
「ははは、失礼。……だがミルム、君のその冷徹なまでの判断力、やはり私の国には必要だ。……どうだろう、復縁の代わりに、私との『新規事業計画』にサインしてくれないか?」
カイル殿下が差し出したのは、またしても分厚い契約書。
しかしそこには、私の知性を最大限に尊重し、かつ莫大な報酬を約束する、極めて論理的な条項が並んでいました。
「……検討しておきますわ。ただし、私の『メンテナンス』期間中の延長料金は、三割増しで請求いたしますからね」
「望むところだ。君の時間は、金貨を積んでも足りないほど価値があるからね」
私は新しいペンを手に取り、不毛な過去を上書きするように、未来への計算を再開したのでした。
ノックの音と共に現れたのは、セドリック殿下ではなく、目に涙を溜めたリリィ様でした。
「ミルム様……! お願いです、殿下をお助けください!」
彼女は部屋に入るなり、まるで悲劇のヒロインのように膝をつきました。
私はペンを置かず、淡々と書類に数字を書き込みました。
「リリィ様。その涙の分泌量、および頬の赤らめ方……。鏡の前で三十分ほど練習なさいました? 左右のバランスが完璧すぎて、自然界のゆらぎを感じませんわ」
「ひっ……! そ、そんなことより! 殿下が廃嫡の危機なのです! ミルム様が殿下の元に戻ってくだされば、すべては丸く収まるのですわ! 同じ女性として、殿下の情熱に免じて許してあげられませんか?」
私はようやく顔を上げ、深い、深いため息をつきました。
「『同じ女性として』。……その言葉、論理的思考を停止させ、感情的な連帯を強要する際に使われる、最も安価な常套句ですわね。私には一ミリも響きませんわ」
「どうしてですの!? 殿下はあんなに反省して、毎日お酒に溺れていらっしゃるのに!」
「お酒に溺れるのは単なる逃避行動であり、反省という高次の精神活動ではありませんわ。そもそも、リリィ様。貴方がここへ来た本当の理由は、殿下への愛ではなく、ご自身の『投資失敗』を挽回するためではありませんこと?」
リリィ様がピクリと肩を揺らしました。
「な、何を仰るんですの……? 私はただ、殿下の幸せを……」
「計算しましょう。殿下が廃嫡されれば、貴方の『将来の王妃』という地位は消失。現在、貴方の実家が殿下の威光を背景に借り入れている多額の負債は、一気に焦げ付きます。つまり貴方は、殿下を救いたいのではなく、自分の『沈みかけの泥舟』に私という強力なエンジンを載せて、無理やり浮かせたいだけですわね?」
「そ、そんな、計算高い女みたいに……!」
「計算が高いのは良いことですわ。ですが、貴方の計算は『他者の犠牲』という不確かな変数を前提にしている。……リリィ様、私の時給をご存知? 今、この会話をしている間にも、私の知性は多額の利益を生み出しています。貴方の不毛な泣き落としに付き合うのは、純粋な経済的損失ですの」
私は立ち上がり、彼女の目の前で一通の書類を提示しました。
「これは……?」
「殿下からの『復縁要請』に対する回答書です。……あ、いえ、正確には『資産価値ゼロの不良物件に対する買取拒否通知』ですわ。貴方がお持ち帰りになって、殿下の枕元にでも置いて差し上げたら?」
「ミルム様……! 貴女には人の心がないのですか!?」
「ありますわよ。ですが、私の心は『正論』と『整合性』によって守られています。不法投棄されたゴミを、情に負けて自宅の庭に引き取るような真似はいたしません」
私は冷ややかにドアを指し示しました。
「お帰りなさい。……ああ、そうだわ。その涙でマスカラが落ちかけていますわよ。化学反応で肌を傷める前に、石鹸で洗い流すことをお勧めしますわ」
リリィ様は顔を真っ赤にして立ち上がり、「悪魔ですわ!」と叫んで走り去っていきました。
「……悪魔、ですか。主観的な評価としては、案外悪くない称号ですわね」
私が再び椅子に座ると、窓の外からクスクスという笑い声が聞こえてきました。
「素晴らしい。女性同士のドロドロした愛憎劇が始まるかと思いきや、わずか三分で『債務処理』として完結させてしまうとは」
カイル殿下が、いつものようにバルコニーの柵に腰掛けていました。
「殿下。人のプライバシーを『債務処理』呼ばわりするのは感心しませんわね」
「ははは、失礼。……だがミルム、君のその冷徹なまでの判断力、やはり私の国には必要だ。……どうだろう、復縁の代わりに、私との『新規事業計画』にサインしてくれないか?」
カイル殿下が差し出したのは、またしても分厚い契約書。
しかしそこには、私の知性を最大限に尊重し、かつ莫大な報酬を約束する、極めて論理的な条項が並んでいました。
「……検討しておきますわ。ただし、私の『メンテナンス』期間中の延長料金は、三割増しで請求いたしますからね」
「望むところだ。君の時間は、金貨を積んでも足りないほど価値があるからね」
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