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王宮の回廊に、場違いな悲鳴が響き渡りました。
「大変ですわ! 皆様、これをご覧くださいませ! ミルム様の恐ろしい裏の顔が暴かれましたわ!」
声の主はリリィ様。彼女の手には、何やら古びた羊皮紙が握られています。
周囲にいた貴族たちが何事かと集まってくる中、私はカイル殿下と共に行政改革の進捗確認をしていた足を止めました。
「リリィ様。その『恐ろしい裏の顔』という表現、あまりに抽象的すぎて事態を把握できませんわ。もっと具体的な事象に基づいて報告していただけます?」
「これですわ! 貴女が隣国の反乱分子に宛てたと言われる、この密愛……いえ、密談の手紙です!」
リリィ様が掲げた手紙を、私は指先でつまんで受け取りました。
そこには、私の筆跡に似せた、実におぞましいほど情緒的な言葉が並んでいました。
『愛しい貴方。王宮の予算を横流しする準備は整いました。早く私を迎えに来て……』
「……。…………ぷっ」
私は思わず、手紙を顔に当てて笑いを堪えました。
「ミルム? そんなに面白いことが書いてあるのかい?」
「ええ、カイル殿下。これはもはや、文学的コメディの傑作ですわ」
私は手紙をバサリと広げ、野次馬の貴族たちにも見えるように提示しました。
「リリィ様。この『捏造文書』の制作に、一体何時間費やしましたの? 残念ながら、論理的な欠陥が三万個ほど見受けられますわ」
「捏造だなんて! それは貴女の引き出しの奥から見つかった……」
「第一の矛盾。この手紙に使用されているインクの揮発成分を嗅いでみてください。これは街の雑貨屋で売られている銀貨一分(いちぶ)の安物ですわね。私が愛用しているのは、保存性と発色に優れた、煤(すす)の含有率が高い特注の高級炭素インクのみです。成分分析をすれば、この手紙が書かれたのが『昨夜の深夜二時頃』であることも即座に特定できますわよ」
リリィ様の顔から血の気が引いていくのが分かりました。
「第二の矛盾。筆跡。……なるほど、私の跳ねや払いの癖をよく研究されていますわね。ですが、決定的なミスを犯しています。私は常にペンの角度を紙面に対して四十五度で保持し、筆圧を一定に保つよう自分に強いています。しかしこの手紙、感情が高ぶったフリをするために、意図的に筆圧を変化させている。これは脳科学的に見て、私の執筆プロセスの再現としては極めて不自然です」
「そ、それは、愛する人に宛てた手紙だから……」
「第三の矛盾。語彙の選択。……『愛しい貴方』? 『迎えに来て』? ……私が他者に対してそのような定義の曖昧な、依存的な言語信号を送るとお思いですか? 私が密談をするならば、『来期までの軍事転用費、および亡命後の生存確率の相関関係について』といった、具体的な要件から入るのが論理的な帰結ですわ」
周囲の貴族たちから、クスクスという笑い声が漏れ始めました。
「確かに。ミルム様が『迎えに来て』なんて言う姿、想像するだけで物理学の法則が壊れそうだ」
「愛の言葉より、予算の横流しの計算式の方が正確に書きそうだよな」
リリィ様は震える指で私を指差しました。
「し、しかし! そこには貴女の印章も押してありますわ!」
「ああ、その偽造スタンプのことですか。……リリィ様。私の印章には、肉眼では見えない微細な『論理回路の刻印』が施されています。本物ならば、光の屈折によって虹色のスペクトルが見えるはずですが……。ほら、これはただの赤いインクの塊ですわね」
私は手紙をリリィ様の足元に放り投げました。
「リリィ様。人を陥れるための工作に熱中する暇があるなら、まずはご自身の『論理的な嘘のつき方講座』でも受講されることですわね。……カイル殿下、この手紙、あとで筆跡鑑定の資料として衛兵に渡しておいてくださる?」
「喜んで。……リリィ嬢、君は一つ大きなミスをした。ミルムを怒らせるよりも、彼女の『知性に対する侮辱』をしたことの方が、罪は重いということにね」
カイル殿下の冷徹な瞳に見据えられ、リリィ様はその場にヘナヘナと座り込みました。
「……さて。ノイズの処理が終わりましたので、業務に戻りましょうか。カイル殿下、今の事件による損失時間は約八分三十秒。この分は、今夜のティータイムの時間を削って補填させていただきますわよ」
「それは困るな。君の毒舌を聞きながら飲むお茶は、私の唯一の栄養源なんだが」
私たちは、泣き叫ぶリリィ様を一顧だにせず、再び未来の計算へと歩み出しました。
悪役令嬢を陥れるための逆襲劇は、私の論理という盾の前で、一瞬にして自爆という結末を迎えたのでした。
「大変ですわ! 皆様、これをご覧くださいませ! ミルム様の恐ろしい裏の顔が暴かれましたわ!」
声の主はリリィ様。彼女の手には、何やら古びた羊皮紙が握られています。
周囲にいた貴族たちが何事かと集まってくる中、私はカイル殿下と共に行政改革の進捗確認をしていた足を止めました。
「リリィ様。その『恐ろしい裏の顔』という表現、あまりに抽象的すぎて事態を把握できませんわ。もっと具体的な事象に基づいて報告していただけます?」
「これですわ! 貴女が隣国の反乱分子に宛てたと言われる、この密愛……いえ、密談の手紙です!」
リリィ様が掲げた手紙を、私は指先でつまんで受け取りました。
そこには、私の筆跡に似せた、実におぞましいほど情緒的な言葉が並んでいました。
『愛しい貴方。王宮の予算を横流しする準備は整いました。早く私を迎えに来て……』
「……。…………ぷっ」
私は思わず、手紙を顔に当てて笑いを堪えました。
「ミルム? そんなに面白いことが書いてあるのかい?」
「ええ、カイル殿下。これはもはや、文学的コメディの傑作ですわ」
私は手紙をバサリと広げ、野次馬の貴族たちにも見えるように提示しました。
「リリィ様。この『捏造文書』の制作に、一体何時間費やしましたの? 残念ながら、論理的な欠陥が三万個ほど見受けられますわ」
「捏造だなんて! それは貴女の引き出しの奥から見つかった……」
「第一の矛盾。この手紙に使用されているインクの揮発成分を嗅いでみてください。これは街の雑貨屋で売られている銀貨一分(いちぶ)の安物ですわね。私が愛用しているのは、保存性と発色に優れた、煤(すす)の含有率が高い特注の高級炭素インクのみです。成分分析をすれば、この手紙が書かれたのが『昨夜の深夜二時頃』であることも即座に特定できますわよ」
リリィ様の顔から血の気が引いていくのが分かりました。
「第二の矛盾。筆跡。……なるほど、私の跳ねや払いの癖をよく研究されていますわね。ですが、決定的なミスを犯しています。私は常にペンの角度を紙面に対して四十五度で保持し、筆圧を一定に保つよう自分に強いています。しかしこの手紙、感情が高ぶったフリをするために、意図的に筆圧を変化させている。これは脳科学的に見て、私の執筆プロセスの再現としては極めて不自然です」
「そ、それは、愛する人に宛てた手紙だから……」
「第三の矛盾。語彙の選択。……『愛しい貴方』? 『迎えに来て』? ……私が他者に対してそのような定義の曖昧な、依存的な言語信号を送るとお思いですか? 私が密談をするならば、『来期までの軍事転用費、および亡命後の生存確率の相関関係について』といった、具体的な要件から入るのが論理的な帰結ですわ」
周囲の貴族たちから、クスクスという笑い声が漏れ始めました。
「確かに。ミルム様が『迎えに来て』なんて言う姿、想像するだけで物理学の法則が壊れそうだ」
「愛の言葉より、予算の横流しの計算式の方が正確に書きそうだよな」
リリィ様は震える指で私を指差しました。
「し、しかし! そこには貴女の印章も押してありますわ!」
「ああ、その偽造スタンプのことですか。……リリィ様。私の印章には、肉眼では見えない微細な『論理回路の刻印』が施されています。本物ならば、光の屈折によって虹色のスペクトルが見えるはずですが……。ほら、これはただの赤いインクの塊ですわね」
私は手紙をリリィ様の足元に放り投げました。
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