婚約破棄? 喜んで! …その前に訂正を求めますわ!

萩月

文字の大きさ
20 / 28

20

しおりを挟む
リリィ様がその場に崩れ落ち、衛兵が彼女を連行しようとしたその時。

「待て! 待つのだ! リリィを、私の真実の愛をどこへ連れて行く!」

回廊の向こうから、マントを翻してセドリック殿下が走ってきました。
……そのマント、先日私が「粗悪な兎の毛」だと指摘したものですが、まだ着ていらしたのですね。

私は冷ややかな視線を向け、手にした偽造手紙をひらつかせました。

「殿下。貴方の登場タイミングは常に劇的ですが、中身が伴っていないのが難点ですわね。彼女は今、公文書偽造および詐欺未遂の容疑で身柄を確保されるところですわ」

「バカな! リリィがそんなことをするはずがない! 彼女は純粋で、文字を書くことすらおぼつかないほど、か弱い娘なのだ! これはきっと、誰かに騙されて……」

「『文字を書くことすらおぼつかない』。……ふむ。殿下、今の発言は彼女の弁護のつもりかもしれませんが、実は私にとっては『有力な証言』になりますわ」

私は再び、手紙の筆跡を食い入るように見つめました。
そして、執事に命じて「リリィ様が以前書いた、お花畑のようなポエムの断片」を持ってこさせました。

「殿下、リリィ様。この手紙、確かに私の筆跡を模倣しようとしていますが、どうしても隠しきれない『癖』が出ていますわ」

「癖だと……?」

「ええ。ご覧なさい。この『私(わたくし)』という文字の三画目。上から下へ振り下ろす際の筆圧の分散が、極端に不均一です。これは、ペンを正しく保持する筋力が不足している者の特徴……、あるいは、極度の『計算のやりすぎ』で指先が疲弊している者の特徴ですわ」

私はリリィ様の震える指先を指差しました。

「リリィ様。貴方、最近殿下の知らないところで、何やら複雑な『利息計算』を自らの手で書き写していませんでしたこと?」

リリィ様がヒッと短く悲鳴を上げました。

「……何のことですの……! 私は、そんな、難しいことなんて……」

「嘘は仰らないで。この筆跡の跳ね方は、この国の会計士がよく使う『帳簿隠しのための速記術』に酷似しています。……カイル殿下、この筆跡の特徴、どこかで見覚えがありませんこと?」

カイル殿下が、私の意図を察して優雅に歩み寄りました。

「……ああ、なるほど。これは我が国の闇金融で流行している、特定の隠語を混ぜた書き方だね。……セドリック殿下、リリィ嬢は君に隠れて、かなりの額の負債を整理しようと躍起になっていたようだ。この手紙、単なる嫌がらせではなく、君を動かしてミルムから金を巻き上げるための『切実な請求書』だったんじゃないかな?」

会場に、今日一番のどよめきが走りました。

「な、なんだと……リリィが、借金……? そ、そんなはずはない! 彼女の家は慎ましいが、誠実な……」

「誠実な家が、新月の夜に三メートルの溝を飛び越えるような嘘をつくミルムを捏造しますかしら? 殿下、貴方は彼女の『瞳の輝き』は見ていても、その瞳が映し出している『赤字の帳簿』には気づかなかったようですわね」

私はリリィ様の前に立ち、最後通牒を突きつけました。

「リリィ様。筆跡は嘘をつきません。貴方の焦り、貴方の計算、そして貴方の絶望が、この模倣された文字の中に濃縮されています。……さあ、認めなさい。この手紙を書き、私の印章の偽物を作らせたのは、すべて貴方自身の意志であることを」

「う、うわあああああん! 殿下が、殿下が頼りないのがいけないんですわぁ! 宝石一つ買ってくれないし、ミルム様のせいで全部計画が狂って……!」

リリィ様が、ついに本性を露わにして叫びました。
その言葉は、セドリック殿下の「真実の愛」という幻想を、物理法則並みの容赦なさで粉砕しました。

「……リリィ……君、今、なんて……」

「殿下のバカ! マント一つ満足に買えない偽物の王子様なんて、もうおしまいですわ!」

リリィ様は衛兵に抱えられ、今度こそ完全に連行されていきました。
後に残されたのは、魂が抜けたようなセドリック殿下と、呆れ果てた貴族たち。

「……さて。殿下、今回の事件で私の名誉が毀損されたことによる賠償金ですが。……いえ、貴方にはもう、支払う能力も論理も残っていないようですわね」

私は一瞥もせず、カイル殿下に向き直りました。

「カイル殿下。筆跡鑑定という不毛な作業に、私の貴重なリソースを十五分も費やしましたわ。この損失、今夜の『隣国の関税シミュレーション』の続きを三時間延長することで相殺させていただいてもよろしいかしら?」

「ははは! 三時間か、嬉しいね。君との知的な戦いなら、夜通しでも大歓迎だよ」

カイル殿下は満足げに頷き、私をエスコートして歩き出しました。
背後で、セドリック殿下が「嘘だ……嘘だと言ってくれ……」と崩れ落ちる音がしましたが、私にとっては風に舞う紙屑の音と同じ、無意味な雑音に過ぎませんでした。

真実とは、感情の裏側に隠された、冷徹な数字と形跡。
私は改めて、論理という名の武器を磨き直す決意を固めたのでした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

王子妃教育に疲れたので幼馴染の王子との婚約解消をしました

さこの
恋愛
新年のパーティーで婚約破棄?の話が出る。 王子妃教育にも疲れてきていたので、婚約の解消を望むミレイユ 頑張っていても落第令嬢と呼ばれるのにも疲れた。 ゆるい設定です

寵愛のいる旦那様との結婚生活が終わる。もし、次があるのなら緩やかに、優しい人と恋がしたい。

にのまえ
恋愛
リルガルド国。公爵令嬢リイーヤ・ロイアルは令嬢ながら、剣に明け暮れていた。 父に頼まれて参加をした王女のデビュタントの舞踏会で、伯爵家コール・デトロイトと知り合い恋に落ちる。 恋に浮かれて、剣を捨た。 コールと結婚をして初夜を迎えた。 リイーヤはナイトドレスを身に付け、鼓動を高鳴らせて旦那様を待っていた。しかし寝室に訪れた旦那から出た言葉は「私は君を抱くことはない」「私には心から愛する人がいる」だった。 ショックを受けて、旦那には愛してもられないと知る。しかし離縁したくてもリルガルド国では離縁は許されない。しかしリイーヤは二年待ち子供がいなければ離縁できると知る。 結婚二周年の食事の席で、旦那は義理両親にリイーヤに子供ができたと言い出した。それに反論して自分は生娘だと医師の診断書を見せる。 混乱した食堂を後にして、リイーヤは馬に乗り伯爵家から出て行き国境を越え違う国へと向かう。 もし、次があるのなら優しい人と恋がしたいと…… お読みいただき、ありがとうございます。 エブリスタで四月に『完結』した話に差し替えいたいと思っております。内容はさほど、変わっておりません。 それにあたり、栞を挟んでいただいている方、すみません。

悪役令嬢として断罪? 残念、全員が私を庇うので処刑されませんでした

ゆっこ
恋愛
 豪奢な大広間の中心で、私はただひとり立たされていた。  玉座の上には婚約者である王太子・レオンハルト殿下。その隣には、涙を浮かべながら震えている聖女――いえ、平民出身の婚約者候補、ミリア嬢。  そして取り巻くように並ぶ廷臣や貴族たちの視線は、一斉に私へと向けられていた。  そう、これは断罪劇。 「アリシア・フォン・ヴァレンシュタイン! お前は聖女ミリアを虐げ、幾度も侮辱し、王宮の秩序を乱した。その罪により、婚約破棄を宣告し、さらには……」  殿下が声を張り上げた。 「――処刑とする!」  広間がざわめいた。  けれど私は、ただ静かに微笑んだ。 (あぁ……やっぱり、来たわね。この展開)

婚約破棄されたので、とりあえず王太子のことは忘れます!

パリパリかぷちーの
恋愛
クライネルト公爵令嬢のリーチュは、王太子ジークフリートから卒業パーティーで大勢の前で婚約破棄を告げられる。しかし、王太子妃教育から解放されることを喜ぶリーチュは全く意に介さず、むしろ祝杯をあげる始末。彼女は領地の離宮に引きこもり、趣味である薬草園作りに没頭する自由な日々を謳歌し始める。

私が嫌いなら婚約破棄したらどうなんですか?

きららののん
恋愛
優しきおっとりでマイペースな令嬢は、太陽のように熱い王太子の側にいることを幸せに思っていた。 しかし、悪役令嬢に刃のような言葉を浴びせられ、自信の無くした令嬢は……

【完結】旦那様、わたくし家出します。

さくらもち
恋愛
とある王国のとある上級貴族家の新妻は政略結婚をして早半年。 溜まりに溜まった不満がついに爆破し、家出を決行するお話です。 名前無し設定で書いて完結させましたが、続き希望を沢山頂きましたので名前を付けて文章を少し治してあります。 名前無しの時に読まれた方は良かったら最初から読んで見てください。 登場人物のサイドストーリー集を描きましたのでそちらも良かったら読んでみてください( ˊᵕˋ*) 第二王子が10年後王弟殿下になってからのストーリーも別で公開中

久しぶりに会った婚約者は「明日、婚約破棄するから」と私に言った

五珠 izumi
恋愛
「明日、婚約破棄するから」 8年もの婚約者、マリス王子にそう言われた私は泣き出しそうになるのを堪えてその場を後にした。

王太子とさようならしたら空気が美味しくなりました

きららののん
恋愛
「リリエル・フォン・ヴァレンシュタイン、婚約破棄を宣言する」 王太子の冷酷な一言 王宮が凍りついた——はずだった。

処理中です...