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リリィ様がその場に崩れ落ち、衛兵が彼女を連行しようとしたその時。
「待て! 待つのだ! リリィを、私の真実の愛をどこへ連れて行く!」
回廊の向こうから、マントを翻してセドリック殿下が走ってきました。
……そのマント、先日私が「粗悪な兎の毛」だと指摘したものですが、まだ着ていらしたのですね。
私は冷ややかな視線を向け、手にした偽造手紙をひらつかせました。
「殿下。貴方の登場タイミングは常に劇的ですが、中身が伴っていないのが難点ですわね。彼女は今、公文書偽造および詐欺未遂の容疑で身柄を確保されるところですわ」
「バカな! リリィがそんなことをするはずがない! 彼女は純粋で、文字を書くことすらおぼつかないほど、か弱い娘なのだ! これはきっと、誰かに騙されて……」
「『文字を書くことすらおぼつかない』。……ふむ。殿下、今の発言は彼女の弁護のつもりかもしれませんが、実は私にとっては『有力な証言』になりますわ」
私は再び、手紙の筆跡を食い入るように見つめました。
そして、執事に命じて「リリィ様が以前書いた、お花畑のようなポエムの断片」を持ってこさせました。
「殿下、リリィ様。この手紙、確かに私の筆跡を模倣しようとしていますが、どうしても隠しきれない『癖』が出ていますわ」
「癖だと……?」
「ええ。ご覧なさい。この『私(わたくし)』という文字の三画目。上から下へ振り下ろす際の筆圧の分散が、極端に不均一です。これは、ペンを正しく保持する筋力が不足している者の特徴……、あるいは、極度の『計算のやりすぎ』で指先が疲弊している者の特徴ですわ」
私はリリィ様の震える指先を指差しました。
「リリィ様。貴方、最近殿下の知らないところで、何やら複雑な『利息計算』を自らの手で書き写していませんでしたこと?」
リリィ様がヒッと短く悲鳴を上げました。
「……何のことですの……! 私は、そんな、難しいことなんて……」
「嘘は仰らないで。この筆跡の跳ね方は、この国の会計士がよく使う『帳簿隠しのための速記術』に酷似しています。……カイル殿下、この筆跡の特徴、どこかで見覚えがありませんこと?」
カイル殿下が、私の意図を察して優雅に歩み寄りました。
「……ああ、なるほど。これは我が国の闇金融で流行している、特定の隠語を混ぜた書き方だね。……セドリック殿下、リリィ嬢は君に隠れて、かなりの額の負債を整理しようと躍起になっていたようだ。この手紙、単なる嫌がらせではなく、君を動かしてミルムから金を巻き上げるための『切実な請求書』だったんじゃないかな?」
会場に、今日一番のどよめきが走りました。
「な、なんだと……リリィが、借金……? そ、そんなはずはない! 彼女の家は慎ましいが、誠実な……」
「誠実な家が、新月の夜に三メートルの溝を飛び越えるような嘘をつくミルムを捏造しますかしら? 殿下、貴方は彼女の『瞳の輝き』は見ていても、その瞳が映し出している『赤字の帳簿』には気づかなかったようですわね」
私はリリィ様の前に立ち、最後通牒を突きつけました。
「リリィ様。筆跡は嘘をつきません。貴方の焦り、貴方の計算、そして貴方の絶望が、この模倣された文字の中に濃縮されています。……さあ、認めなさい。この手紙を書き、私の印章の偽物を作らせたのは、すべて貴方自身の意志であることを」
「う、うわあああああん! 殿下が、殿下が頼りないのがいけないんですわぁ! 宝石一つ買ってくれないし、ミルム様のせいで全部計画が狂って……!」
リリィ様が、ついに本性を露わにして叫びました。
その言葉は、セドリック殿下の「真実の愛」という幻想を、物理法則並みの容赦なさで粉砕しました。
「……リリィ……君、今、なんて……」
「殿下のバカ! マント一つ満足に買えない偽物の王子様なんて、もうおしまいですわ!」
リリィ様は衛兵に抱えられ、今度こそ完全に連行されていきました。
後に残されたのは、魂が抜けたようなセドリック殿下と、呆れ果てた貴族たち。
「……さて。殿下、今回の事件で私の名誉が毀損されたことによる賠償金ですが。……いえ、貴方にはもう、支払う能力も論理も残っていないようですわね」
私は一瞥もせず、カイル殿下に向き直りました。
「カイル殿下。筆跡鑑定という不毛な作業に、私の貴重なリソースを十五分も費やしましたわ。この損失、今夜の『隣国の関税シミュレーション』の続きを三時間延長することで相殺させていただいてもよろしいかしら?」
「ははは! 三時間か、嬉しいね。君との知的な戦いなら、夜通しでも大歓迎だよ」
カイル殿下は満足げに頷き、私をエスコートして歩き出しました。
背後で、セドリック殿下が「嘘だ……嘘だと言ってくれ……」と崩れ落ちる音がしましたが、私にとっては風に舞う紙屑の音と同じ、無意味な雑音に過ぎませんでした。
真実とは、感情の裏側に隠された、冷徹な数字と形跡。
私は改めて、論理という名の武器を磨き直す決意を固めたのでした。
「待て! 待つのだ! リリィを、私の真実の愛をどこへ連れて行く!」
回廊の向こうから、マントを翻してセドリック殿下が走ってきました。
……そのマント、先日私が「粗悪な兎の毛」だと指摘したものですが、まだ着ていらしたのですね。
私は冷ややかな視線を向け、手にした偽造手紙をひらつかせました。
「殿下。貴方の登場タイミングは常に劇的ですが、中身が伴っていないのが難点ですわね。彼女は今、公文書偽造および詐欺未遂の容疑で身柄を確保されるところですわ」
「バカな! リリィがそんなことをするはずがない! 彼女は純粋で、文字を書くことすらおぼつかないほど、か弱い娘なのだ! これはきっと、誰かに騙されて……」
「『文字を書くことすらおぼつかない』。……ふむ。殿下、今の発言は彼女の弁護のつもりかもしれませんが、実は私にとっては『有力な証言』になりますわ」
私は再び、手紙の筆跡を食い入るように見つめました。
そして、執事に命じて「リリィ様が以前書いた、お花畑のようなポエムの断片」を持ってこさせました。
「殿下、リリィ様。この手紙、確かに私の筆跡を模倣しようとしていますが、どうしても隠しきれない『癖』が出ていますわ」
「癖だと……?」
「ええ。ご覧なさい。この『私(わたくし)』という文字の三画目。上から下へ振り下ろす際の筆圧の分散が、極端に不均一です。これは、ペンを正しく保持する筋力が不足している者の特徴……、あるいは、極度の『計算のやりすぎ』で指先が疲弊している者の特徴ですわ」
私はリリィ様の震える指先を指差しました。
「リリィ様。貴方、最近殿下の知らないところで、何やら複雑な『利息計算』を自らの手で書き写していませんでしたこと?」
リリィ様がヒッと短く悲鳴を上げました。
「……何のことですの……! 私は、そんな、難しいことなんて……」
「嘘は仰らないで。この筆跡の跳ね方は、この国の会計士がよく使う『帳簿隠しのための速記術』に酷似しています。……カイル殿下、この筆跡の特徴、どこかで見覚えがありませんこと?」
カイル殿下が、私の意図を察して優雅に歩み寄りました。
「……ああ、なるほど。これは我が国の闇金融で流行している、特定の隠語を混ぜた書き方だね。……セドリック殿下、リリィ嬢は君に隠れて、かなりの額の負債を整理しようと躍起になっていたようだ。この手紙、単なる嫌がらせではなく、君を動かしてミルムから金を巻き上げるための『切実な請求書』だったんじゃないかな?」
会場に、今日一番のどよめきが走りました。
「な、なんだと……リリィが、借金……? そ、そんなはずはない! 彼女の家は慎ましいが、誠実な……」
「誠実な家が、新月の夜に三メートルの溝を飛び越えるような嘘をつくミルムを捏造しますかしら? 殿下、貴方は彼女の『瞳の輝き』は見ていても、その瞳が映し出している『赤字の帳簿』には気づかなかったようですわね」
私はリリィ様の前に立ち、最後通牒を突きつけました。
「リリィ様。筆跡は嘘をつきません。貴方の焦り、貴方の計算、そして貴方の絶望が、この模倣された文字の中に濃縮されています。……さあ、認めなさい。この手紙を書き、私の印章の偽物を作らせたのは、すべて貴方自身の意志であることを」
「う、うわあああああん! 殿下が、殿下が頼りないのがいけないんですわぁ! 宝石一つ買ってくれないし、ミルム様のせいで全部計画が狂って……!」
リリィ様が、ついに本性を露わにして叫びました。
その言葉は、セドリック殿下の「真実の愛」という幻想を、物理法則並みの容赦なさで粉砕しました。
「……リリィ……君、今、なんて……」
「殿下のバカ! マント一つ満足に買えない偽物の王子様なんて、もうおしまいですわ!」
リリィ様は衛兵に抱えられ、今度こそ完全に連行されていきました。
後に残されたのは、魂が抜けたようなセドリック殿下と、呆れ果てた貴族たち。
「……さて。殿下、今回の事件で私の名誉が毀損されたことによる賠償金ですが。……いえ、貴方にはもう、支払う能力も論理も残っていないようですわね」
私は一瞥もせず、カイル殿下に向き直りました。
「カイル殿下。筆跡鑑定という不毛な作業に、私の貴重なリソースを十五分も費やしましたわ。この損失、今夜の『隣国の関税シミュレーション』の続きを三時間延長することで相殺させていただいてもよろしいかしら?」
「ははは! 三時間か、嬉しいね。君との知的な戦いなら、夜通しでも大歓迎だよ」
カイル殿下は満足げに頷き、私をエスコートして歩き出しました。
背後で、セドリック殿下が「嘘だ……嘘だと言ってくれ……」と崩れ落ちる音がしましたが、私にとっては風に舞う紙屑の音と同じ、無意味な雑音に過ぎませんでした。
真実とは、感情の裏側に隠された、冷徹な数字と形跡。
私は改めて、論理という名の武器を磨き直す決意を固めたのでした。
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