婚約破棄? 喜んで! …その前に訂正を求めますわ!

萩月

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ジークフリート王国が「大陸一の知性国家」と呼ばれるようになってから、数年。
王宮の執務室では、今や王妃となった私が、山のような報告書を片手で捌いていました。

「……ふむ。北部の新設ダムによる発電効率が予測を〇.八パーセント上回りましたわね。誤差の範囲内ですが、担当官のボーナスを二パーセント増額する論理的根拠には十分ですわ」

「お疲れ様、ミルム。君がこの国に来てから、我が国の国内総生産(GDP)は当時の三倍、国民の識字率は九十八パーセントに達したよ。もはや君がいなければ、この国は一日で計算が合わなくなるだろうね」

隣で誇らしげに書類にサインをするのは、夫となったカイル陛下です。
私たちの生活は、甘い言葉よりも鋭い数字の応酬で満たされていました。

そこへ、一人の衛兵が困惑した表情で入ってきました。

「……王妃殿下、カイル陛下。国境付近の清掃業務に従事している『更生プログラム対象者』の一人が、どうしてもミルム様に会いたいと騒いでおりまして」

現れたのは、かつての煌びやかな面影を微塵も残していない、ボロを纏った男でした。
セドリック様です。
彼は私の顔を見るなり、地べたに這いつくばって叫びました。

「ミルム……! ああ、ミルム! 頼む、助けてくれ! リリィは借金を抱えて行方をくらまし、私のいた国は今や財政破綻寸前だ! 君の……君のその恐ろしいほどの頭脳があれば、我が国を、私を救えるはずだ!」

私は、冷めた紅茶を一口飲み、彼を無機質な視線で見下ろしました。

「セドリック様。お久しぶりですわね。……まず、一つ訂正を。私は貴方の『便利な道具』ではありませんし、貴方の国を救う義務も義理も一ミリも持ち合わせておりませんわ」

「そんなことを言わずに! 私たちは十数年も婚約者だったじゃないか! その情けで……!」

「『情け』。……その言葉を根拠に投資を求めるのは、ビジネスの世界では最も忌むべき禁忌ですわよ。……カイル陛下、この案件、貴方ならどう評価されます?」

カイル様は、セドリック様をゴミ箱の底を見るような目で見つめました。

「評価する価値すらないね。投資利益率(ROI)はマイナス。更生プログラムの費用すら、今の彼の労働生産性では回収できていない。……ミルム、君の貴重な一分間を彼に割くのは、我が国の国家予算をドブに捨てるのと同じ罪だよ」

「仰る通りですわ。……セドリック様、お聞きなさい」

私は立ち上がり、窓の外に広がる、豊かで活気ある王都を指し示しました。

「この美しい景色は、『愛』や『情け』といった不確かな感情ではなく、徹底した『論理』と『正論』の上に築かれたものです。貴方が私を捨て、リリィ様の甘い嘘を選んだ瞬間、貴方は未来という名の計算式から自らを除外したのですわ」

「そ、そんな……」

「過去の婚約期間は、私にとって『無能な個体を観測した貴重なデータ』として既にアーカイブ(保存)済みです。今の貴方に私が与えられるのは、慈悲ではなく、この一言だけ。……『不法侵入罪で衛兵に引き渡される前に、自らの足で退出し、労働による社会貢献に励みなさい』。これが私の導き出した、貴方への最適解ですわ」

セドリック様は絶望に顔を歪め、衛兵に抱えられて引きずり出されていきました。
彼の叫び声が遠ざかると、部屋には再び穏やかな、知的な静寂が戻りました。

「……やれやれ。ノイズの処理に三十二秒も費やしてしまいました。カイル様、この後のスケジュールに影響が出ますわよ」

「ははは。なら、その遅れを取り戻すために、今夜は二人で新しい経済特区の設計図を完成させようか。……もちろん、君が納得するまで徹底的にね」

カイル様は私の肩に手を回し、優雅に微笑みました。

「論理的な幸福。……悪くない響きですわね」

私は夫の隣で、再びペンを手に取りました。
前世の記憶も、魔法のような奇跡も必要ありません。
私には、研ぎ澄まされた知性と、それを理解し愛してくれるパートナーがいる。

「さて、殿下。……いえ、カイル様。次の項目の計算、始めましょうか? 私たちの未来には、まだまだ解くべき美しい難問が山積みですもの」

「ああ、望むところだ。一生かけて、君と一緒に答えを導き出そう」

夕暮れに染まる執務室。
二人のペンが紙の上を走る音は、どんな音楽よりも美しく、完璧な調和を奏でていました。

これこそが、毒舌令嬢ミルムが導き出した、最高に論理的な「幸福」の形だったのです。
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