婚約破棄? 喜んで! …その前に訂正を求めますわ!

萩月

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ジークフリート王国の王宮、大礼拝堂。
そこは今、かつてないほどの熱気と「紙のめくれる音」に包まれていました。

「……カイル殿下。第十五条、第四項の『永遠の愛』の定義ですが。これは『時間が無限大に発散する極限において、貴方の好意が他のいかなる変数よりも大きい定数として維持される状態』と解釈してよろしいかしら?」

私は純白のドレス……の袖を捲り上げ、婚約誓約書という名の分厚い束にペンを走らせていました。

「その通りだ、ミルム。さらに言えば、君への情熱による私の心拍数の上昇率は、君が正論を吐くたびに二次関数的に増大するという付帯条項も加えておいたよ」

「……ふむ。加速度的な愛情表現。論理的には少々過負荷な設計ですが、私の演算能力なら処理可能ですわ。承認します」

祭壇の上で待機していた老神官は、震える手で聖典を抱え、困惑の極みに達していました。

「あ、あの……両殿下。そろそろ『誓いの言葉』という、より情緒的な儀式に移っていただけないでしょうか。列席している国民の皆様も、計算式の確認ではなく、甘い抱擁を期待しておいでですぞ」

「神官様。情緒とは、確かな論理的基盤の上に成り立つ高度な精神的出力です。基盤がグラついていては、甘い言葉もただの空虚な振動(ノイズ)に過ぎませんわ」

私が冷然と言い放つと、参列していたジークフリート王国の国民たちから「そうだ!」「定義を明確にしろ!」と野太い賛同の声が上がりました。

「……素晴らしいな、我が国の民は。ミルム、君の影響で、この国の平均知能指数が三パーセントは上昇した気がするよ」

「三パーセント? 見積もりが甘いですわね。私の試算では五.二パーセントですわ。……さて、書類の不備はゼロ。ようやく『儀式』という名の非効率なデモンストレーションに移行できますわね」

私はようやくペンを置き、カイル殿下の手を取りました。
カイル殿下は、世界で最も美しいものを見るような瞳で私を見つめ、跪きました。

「ミルム・ファン・アトラス。君を私の王妃として、そして一生の知的な好敵手として迎えることを、ここに誓う。君の毒舌が私の慢心を砕き、君の正論が私の国を導く。……これは契約であり、私の魂の叫びだ」

「カイル・ヴァン・ジークフリート。貴方のその『不合理なまでの執着』を、私の人生における最も安定した定数として受理いたしますわ。貴方が論理を外れた時は、私が物理的に叩き直して差し上げます。……覚悟はよろしいかしら?」

「ああ。君に論破されることこそ、私にとって最高の至福だ」

カイル殿下は、私の指に指輪を嵌めました。
それは、光の屈折率を計算し尽くし、どの角度から見ても虹色のスペクトルを放つように設計された、理系的な極致とも言える魔導銀のリングでした。

「……指のサイズへの適合率、九十九.九九パーセント。摩擦係数も理想的。……合格ですわ、殿下」

「それは光栄だ。……では、最後の工程(プロセス)に入ってもいいかな?」

カイル殿下は私の腰を引き寄せ、顔を近づけました。
周囲の観衆が息を呑み、静寂が訪れます。

(……心拍数、急上昇。体温、約〇.五度上昇。……これは、私の制御系に重大なエラーが発生する前兆ですわね)

私は目を閉じました。
唇に触れたのは、熱く、そして驚くほど優しい「論理を超えた答え」でした。

「おおおおおっ!!!」

会場から、割れんばかりの拍手と、なぜか「数式の完成だ!」という歓喜の叫びが巻き起こりました。

「……殿下。今の接触時間、三.五秒。……少し長すぎではありませんこと?」

「おや、誤差の範囲だよ。それとも、もう一度計測し直すかい?」

「お断りします。……データの重複は無駄ですから。……一度で、十分に記憶回路に刻まれましたわ」

私は顔を赤らめ、視線を逸らしました。
かつての婚約破棄の際、絶望も悲しみも感じなかった私の心が、今は未知の演算結果に激しく揺れ動いています。

「……さて。婚約式という名の『初期設定』が完了しましたわね。殿下、明日の朝九時から、さっそく新婚旅行……いえ、隣国の市場調査の視察に出発しますわよ。スケジュール表はすでに作成済みです」

「ははは! 初日から視察か。君らしいよ、ミルム。……ああ、この国を、そして君を愛している。論理的に、いや、宇宙の法則を超えてね」

私たちは、かつてないほどの幸福な数式を胸に、新しい人生の門出を飾りました。
バカ王子の婚約者だった過去は、今や「失敗から学ぶための貴重なサンプルデータ」へと昇華されたのでした。
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