悪役令嬢は婚約破棄に笑顔で去った。

萩月

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「動くな。怪しい動きを見せれば斬る」


数本の鋭利な剣先が、私の喉元に突きつけられた。

音もなく展開した騎士たちに包囲され、私は両手を挙げて降参のポーズをとる。

状況は極めて不利。

相手は武装した騎士が五名、そして指揮官と思われる銀髪の青年が一名。

対する私は、作業用の乗馬服に身を包み、武器と言えば計算尺付きのペーパーナイフ一本のみ。

戦闘力比は測定不能(エラー)だ。


「……質問に答えろ。貴様は何者だ? なぜこのような辺境の、しかも我が国との境界線付近をうろついている?」


銀髪の青年――隣国の大公、クラウス・ヴァン・ハイデンが、氷のように冷たい声で問いただす。

その瞳には、一切の慈悲がない。

美しいが、触れれば凍傷になりそうな鋭さだ。

私は深呼吸を一つして、できるだけ冷静に、かつ効率的に情報を伝えることにした。


「怪しい者ではありません。私はステファニー・フォン・ワイズ。昨日付でこの岩山の所有者となりました。現在、領内の測量調査を行っているところです」


「岩山の所有者だと? 女一人でか?」


「はい。人件費削減のため、単独で作業を行っております」


私の答えに、クラウス大公の片眉がピクリと動いた。

信じてもらえていないようだ。

騎士の一人が荒っぽい口調で怒鳴る。


「ふざけるな! ここは我が国と王国の緩衝地帯だ! 貴様の国の王族ですら寄り付かん場所だぞ。スパイならもっとマシな嘘をつけ!」


「スパイではありません。それに、訂正させていただきますが」


私は喉元の剣先を指先でそっと押しのけ(騎士がギョッとした顔をした)、一歩前に出た。


「ここは緩衝地帯ではありません。一八四二年に締結された『アルカディア・ログレス国境協定』の第三条第二項に基づき、西経一三五度、北緯四十二度の地点――つまり、あそこの尖った岩と、こちらの枯れ木を結んだラインまでは、我が王国の固有領土です」


私はポケットから測量メモを取り出し、早口で続けた。


「先ほど私が計測したところ、現在地は境界線より約十五メートル、我が国側に位置しています。よって、不法侵入をしているのは私ではなく、あなた方の方かと存じますが?」


「なっ……!?」


騎士たちが絶句した。

彼らも国境警備のプロだが、条約の条文や正確な座標まで暗記しているわけではないのだろう。

だが、クラウス大公だけは違った。

彼は興味深そうに私を見下ろし、口元をわずかに緩めた。


「……ほう。あの古びた協定の、しかも誰も気にしない細則を持ち出すか」


「ルールはルールですので。もし国際問題に発展させたいのであれば、正式に抗議文書を提出させていただきますが、作成には二日ほどお時間をいただきます。今はリゾート開発の設計図を引くのに忙しいので」


「リゾート開発? この岩山でか?」


大公が呆れたように鼻を鳴らした。


「正気か? ここは草一本生えぬ死の大地だぞ」


「ええ。ですが、視点を変えれば宝の山です。……ところで、閣下こそ、ここで何を? その巨大な魔導測定器を見る限り、単なる散歩ではなさそうですが」


私は彼らが設置していた装置を顎でしゃくった。

あれは軍事用の高感度魔力探知機だ。

やはり、彼らは気づいている。

この地下に眠る「何か」に。


クラウス大公は、私の視線を遮るように前に立った。


「我々の行動を探るとは、いい度胸だ。……だが、答えてやろう。先日より、この一帯で異常な地熱上昇と魔力励起が観測された。それが我が国の領土に影響を及ぼすか調査に来たのだ」


「なるほど。危機管理意識が高いのは結構なことですね。我が国の王太子殿下とは大違いです」


「……?」


「ご安心ください。その反応は、ただの温泉です」


「温泉?」


「はい。地下深くのマグマ溜まりが活性化し、地下水を温めているだけです。爆発の危険性はありません。私が責任を持って管理します」


私はあえて「魔鉱石」のことは伏せた。

温泉だけなら観光資源だが、レアメタルとなると国家間の争いになりかねない。

ここは情報を小出しにして、交渉カードにするべきだ。


クラウス大公は、私の目をじっと覗き込んだ。

嘘を見抜こうとするような、射抜くような視線。

私は目を逸らさずに見つめ返した。

数秒の沈黙。

張り詰めた空気が、岩山を支配する。


やがて、大公はフッと短く笑った。


「剣を引け」


「はっ! しかし閣下、この女は……」


「ただの令嬢ではない。スパイにしては堂々としすぎているし、何より……」


大公は私の手元、測量メモと計算尺に視線を落とした。


「その計算式。独自の短縮記号を使っているな? 王立アカデミーの方式よりも効率的だ」


「……お気づきになりましたか。アカデミーの式は無駄が多いので、勝手に改良しました」


「面白い。俺も常々そう思っていた」


大公は騎士たちに目配せをし、包囲を解かせた。

そして、私に向かって手を差し出した――握手のためかと思いきや、私の計算尺を奪い取った。


「ちょっ」


「ふむ。目盛りも独自のものか。……お前、名は?」


「先ほど申し上げました。ステファニー・フォン・ワイズです」


「ワイズ……。聞いたことがある。王国の影の宰相、『鉄の女』と呼ばれた公爵令嬢か」


「不名誉な二つ名ですが、否定はしません。今はただの無職ですが」


「婚約破棄されたと聞いたが?」


「ええ、昨日。おかげでこうして、自由気ままな開拓ライフを満喫しております」


私が胸を張って答えると、クラウス大公は肩を震わせて笑い出した。

氷の貴公子が、声を上げて笑っている。

騎士たちが幽霊でも見たような顔で主君を見ている。


「くく……ははは! なるほど、噂以上の変わり者だ。婚約破棄されて、泣くどころか岩山を開拓し、俺に領土権を主張するとはな」


大公は計算尺を私に返してくれた。

その瞳からは、先ほどまでの殺気が消え、代わりに強い好奇心のような色が宿っていた。


「気に入った。ステファニー、貴様を不法侵入者としては扱わん。だが、隣人として監視はさせてもらうぞ」


「監視、ですか?」


「ああ。この場所で異常事態が起きれば、我が国にも被害が及ぶ。……それに、お前がここで何をしようとしているのか、興味が湧いた」


「ただの温泉リゾート作りですよ」


「なら、完成したら一番に俺を招待しろ。査察してやる」


「お客様第一号ですね。承知しました。ただし、料金は正規価格でいただきますわよ?」


「金には困っていない。……期待しているぞ、隣人殿」


クラウス大公はマントを翻し、騎士たちに撤収を命じた。

去り際、彼はもう一度だけ振り返り、ニヤリと不敵に笑った。


「ああ、それと。そのテント、耐熱性は高いが、防音性は皆無だ。夜中に歌でも歌う時は気をつけるんだな」


「……っ!?」


言うだけ言って、彼らは風のように去っていった。

後に残されたのは、真っ赤になって立ち尽くす私だけ。


「……聞こえていたの? 昨日の夜、鼻歌を歌っていたの……」


最悪だ。

「鉄の女」の威厳が台無しである。

でも、まあいい。

とりあえず、最大の脅威である隣国とのトラブルは(たぶん)回避できた。

それどころか、有力な顧客候補をゲットできたと考えれば、上出来だろう。


「……クラウス・ヴァン・ハイデン。手強そうな相手だけど、話が通じるだけギルバート殿下よりマシね」


私は再び測量器具を手に取った。

隣国の大公が監視してくるなら、なおさら下手なものは作れない。

彼をあっと言わせるような、最高のリゾートを作ってやらなければ。


「見てらっしゃい。あの氷のような表情を、私の温泉でとろけさせてやるわ!」


新たな目標(野望)ができ、私は再び作業に没頭し始めた。

その背中を、国境の向こうから大公が楽しげに眺めていることには、まだ気づいていなかった。
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