婚約破棄された悪役令嬢~金貨と狂犬大公、どちらが効率的ですか?〜

萩月

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王城を後にした私は、その足で実家であるオルコット公爵邸へと戻っていた。

目的は一つ。
「逃亡資金」と「身分証」、そして何より「自由」を確保するためだ。

「お嬢様、お帰りなさいませ……!」

出迎えた執事の顔面は蒼白だった。
どうやら、夜会での騒ぎは早馬ですでに伝わっているらしい。

「お父様は?」
「旦那様なら応接間で激怒しておられます。……お嬢様、どうかご無事で」

同情的な執事に見送られ、私は戦場(応接間)の扉を開けた。

「よくも帰ってこれたな、この恥知らずがぁぁぁ!!」

開口一番、怒号と共に高価な壺が飛んできた。
私はそれを紙一重でかわし、冷淡な声で告げる。

「ただいま戻りました、お父様。壺を投げるのはおやめください。それは先代が大切にしていたものでしょう? 資産価値が下がります」

「うるさい! 貴様のせいで我が家の価値が暴落だ!」

顔を真っ赤にして怒鳴り散らすのは、私の父、オルコット公爵だ。
その横では、継母がハンカチを噛んでキーキーと喚いている。

「どうしてくれるのよ! フレデリック殿下との婚約は、我が家が王家と親戚になるための唯一の綱だったのよ! それを、あんな……あんな可愛げのない態度で台無しにして!」

「可愛げなど、外交交渉の役には立ちません」

「お黙り! ああ、もう終わりよ! 王家に睨まれたら、夜会にも呼んでもらえなくなるわ!」

二人の嘆きを聞き流しながら、私は冷静に状況を分析する。

彼らはまだ、私が「慰謝料を一億枚ふんだくった」ことも、「国王夫妻の弱味を握った」ことも知らない。
ただ「婚約破棄された」という事実と、「王族を怒らせたらしい」という噂だけを聞いている状態だ。

(……好都合ですね)

私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
ここで私が「大金を持っています」などと言えば、このハイエナのような両親は骨の髄までしゃぶり尽くそうとするだろう。
逆に、「私は王家の不興を買った疫病神です」と思わせれば……。

私はわざとらしく肩を落とし、深いため息をついた。

「……おっしゃる通りです。私は殿下の逆鱗に触れ、国王陛下にまで暴言を吐いてしまいました」

「な、なんだと!?」

父の顔色が土気色に変わる。

「おそらく、明日にでも近衛兵が捕縛に来るかもしれません。あるいは、オルコット家全体が『連帯責任』を問われ、取り潰しになるかも……」

「と、取り潰しぃぃ!?」

「ええ。不敬罪は重いですから。一族郎党、鉱山送りかもしれませんね」

「ひぃぃっ!」

継母が泡を吹いて倒れそうになる。
父はガタガタと震えながら、部屋の中をウロウロとし始めた。

「ど、どうすればいい……どうすれば助かる!?」

「簡単なことです、お父様」

私は懐から、あらかじめ用意していた一枚の書類を取り出した。
先ほどの借用書セットの中に忍ばせておいた、最後の一枚だ。

「『絶縁状』です」

「ぜ、絶縁……?」

「はい。日付は昨日付けにしておきましょう。そうすれば、『婚約破棄騒動の時点で、クリスティーンはすでに当家とは無関係だった』と主張できます。トカゲの尻尾切り、というやつですね」

父は書類を引ったくるように受け取り、目を走らせた。
そこには、『クリスティーンを勘当し、オルコット家の籍から抜く』『今後、彼女の行動に対して当家は一切の責任を負わない』『その代わり、彼女に対する親権および干渉権も放棄する』といった文言が並んでいる。

「こ、これだ……! これさえあれば、我が家は助かる!」

「ええ。ですが、急いでください。兵が来る前に私がここを出て行かなければ、意味がありません」

「サインだ! ペンを持ってこい!」

父は迷いなくペンを走らせた。
私の将来など微塵も心配していない。
自分たちの保身だけ。
知っていたことだが、ここまで清々しいと逆に笑えてくる。

「書いたぞ! ほら、持って行け! 二度と敷居を跨ぐな!」

「ありがとうございます。――感謝いたしますわ」

私は書類を受け取り、丁寧に折りたたんで胸ポケットにしまった。

これで、コンプリートだ。
莫大な資金。
王家の不干渉確約。
そして、自由な身分。

「では、お元気で」

私は一礼し、踵を返した。
部屋を出る直前、父が「待て」と声をかけてきた。

「……貴様、着の身着のまま出て行くつもりか? 路銀くらいは……」

おや?
まさか、最後に少しは親らしい情を見せてくれるのだろうか。

「……恵んでやろうと思ったが、金庫の鍵が見当たらん。さっさと行け」

前言撤回。
やはりこの男はクズだった。

「ご心配なく。荷物なら、三年前からまとめてありますので」

私は廊下の突き当たりにある自分の部屋へ向かった。
部屋に入ると、ベッドの下から大きなトランクを引き出す。

中身はシンプルだ。
着替え、保存食、簡易医療キット、そして護身用の魔導銃が一丁。
ドレスも宝石もいらない。
これから私が向かうのは、煌びやかな舞踏会ではなく、実力主義の荒野なのだから。

トランクを片手に、私は裏口へと向かった。
表門から出れば目立つ。
使用人用の通用口からこっそりと抜け出すのが、元・公爵令嬢の嗜みだ。

夜の闇に紛れ、屋敷を振り返る。
私の青春と労働力を搾取し続けた、巨大な石造りの牢獄。

「さようなら。せいぜい、没落しないように頑張ってくださいね」

私は小さく手を振り、待たせていた馬車へ戻った。

御者台に座るのは、雇っておいた口の堅い御者だ。

「出しな。行き先は?」
「北よ。バルトアン帝国国境まで」
「へえ、物騒なとこに行くねぇ。お嬢ちゃん、あそこは『筋肉』が通貨の国だぜ?」
「望むところです。筋肉は裏切りませんから」

馬車が動き出す。
石畳を蹴る蹄の音が、新しい人生へのカウントダウンのように心地よく響いた。

こうして私は、国を捨て、家を捨て、名誉を捨てた。
残ったのは、トランク一つと、懐の数億の資産。

「完璧な計画です」

馬車の中で、私はほくそ笑む。
これから悠々自適なスローライフが待っている。
誰にも邪魔されず、誰の世話もせず、ただ自分のためだけに生きる日々。

――だが、私は一つだけ計算違いをしていた。

私が向かっているバルトアン帝国には、私の「完璧な計算」さえも力技でねじ伏せる、とんでもない「イレギュラー」が存在することを。

「……なんか、寒気がしますね」

私はコートの前を合わせ、窓の外の月を見上げた。
国境の峠道で待ち受ける運命の出会いまで、あと数時間。
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